大多喜町でこだわりの
「ゆば」と「豆腐」提供
こだわりの「ゆば」と
「豆腐」を販売する
「ゆば喜」は、国道297号、通称「大多喜街道」沿いで「ゆば」や「豆腐」などの製造販売をしています。出来上がった製品は店舗の直売以外に飲食店や商品を扱ってくれる卸売業者、高級スーパー、更に県内の道の駅や直売所からオーダーされる商品も製造しています。
使用している大豆は全て国産の決まった生産者の物だけを使っています。一部の生産者さんには毎年お願い周りをして作って頂いています。豆腐は特にそうですが、使っているこの大豆が無かったらこの味は出せません。更に「豆腐」を固める「にがり」も主に沖縄の物を使うなどこだわった材料を使っています。
ご承知の通り「ゆば」で有名なのは日光や京都で、京都は「シート状の湯葉」を「コリコリ」食べるもので、日光の「湯波」は京都とは違う「巻き湯波」ですが、うちの「ゆば」はそういう有名な所とは全く違った物です。
「ゆば喜」の「ゆば」が他とは違うのは、巻かれた「ゆば」と「豆乳」がラップにくるまれている事です。普通は「豆乳」をラップに包む事はできませんが、うちではわずか2~3秒の瞬時で行う事で「豆乳」と「ゆば」を包む事が出来ます。これは、よその職人では出来ない技で、「ゆば喜」を立ち上げる際にそういう職人技を持っていた、ある小さな「ゆば屋」さんと出会いました。一緒にこの店を立ち上げた方がその店で修業させてもらって「ゆば喜」のオープンにこぎつける事が出来ました。更に教えてくれた師匠はオープン当初は何度もこの店に来て指導をしてくれました。この技は感覚でしか会得出来ないので、マニュアル化する事も出来ません。「ゆば喜」の「生ゆば」がこの製法で作っている商品です。
「ゆば」というのは「豆乳」に含まれる「タンパク質」なので非常に乾きやすいものですが、「豆乳」を混ぜながら「ゆば」をラップでくるんで成型する事で、日が増すごとに「ゆば」に濃い豆乳が馴染んでいって「トロッ」となっていきます。これが「ゆば喜」の「生ゆば」の特徴です。だからお客さんには作った初日より、3日~4日置いた物の方が一番美味しいと伝えています。
「ゆば喜」では「豆乳」と「ゆば」を袋に一緒に入れた状態の「ゆば」も販売していますが、同じ様な商品が京都や日光にもあるようです。理屈は「ゆば喜」の「生ゆば」と一緒ですが、「タンパク質」は「膜」になっているので掬い上げると細長い形になってしまいます。袋の中でこの細長くなった「ゆば」に「豆乳」が繋がると「タンパク質」が団子状になって「凝った」状態になってしまいますが、「ゆば喜」の「生ゆば」の製法では「凝る」事が無い全く別の「ゆば」に仕上がります。
一方販売している「豆腐」は、お客様には「絶対醤油を使わないでください」と言っています。今の醤油の多くは「化学調味料」が使われているので、「スーパーで売っているような豆腐」にかけて食べると美味しいですが、残念ながら「豆腐」の味ではなく「醤油の味」になってしまいます。「ゆば喜」の「豆腐」は本当はそのまま食べてもらうのがベストですが、天然の味を味わっていただく物なので、相性の良い「塩」で食べる事をお勧めしています。なので店内で販売している厳選した「こだわりの塩」も良く売れています。

「ゆば喜」の店舗と工場
店内には店長直筆の2001年創業の看板が掲げられている
使用しているこだわりの大豆が店内に置かれている
こだわりの「塩」も人気
飲食店の開業をお手伝いする仕事から
店長に転身
元々この会社は東京の総合食品商社が、健康食ブームが始まった時代に体に良い大豆製品を使った食品を扱おうと考えたのが始まりでした。当時は居酒屋でもスーパーに売っているような豆腐ではなく、うま味を利かせたこだわりの豆腐がメニューに登場するようになっていました。そこで2001年(平成13年)に「株式会社創食」を立ち上げこの「ゆば喜」がオープンしました。
この場所を選んだのは母体となった総合食品商社が既に大多喜町に営業所を持っていたのが理由のひとつです。他にも地元からの雇用もあった事、更に当時は「館山道」が開通しておらず、大多喜街道は房総半島を縦断する道で館山方面に向かうバスも通る「観光の道」で、街道が直線で見晴らしも良く目立つ事などでこの場所が選ばれました。
私は大多喜町の隣の睦沢町の出身で、高校を卒業して一旦は地方公務員に就職しましたが肌に合わず、就職したのが母体となった東京の総合食品商社でした。会社では新たに飲食店を開業しようとしている方に、「経営」の事から「新しいメニュー作り」などを指導する開業のお手伝いをする仕事をしていました。それまでは特に料理を勉強した事はありませんでしたが、会社にはキッチンがあって、そこで調理の勉強をさせてもらい、常に料理をしていました。「事業を立ち上げる方のお手伝いをする」という仕事は、とても「やりがい」のある仕事でした。「ゆば喜」の立ち上げにあたって、私が「店長」として店を任される事になりましたが、「店長」としての仕事が忙しく、更に「ゆば」や「豆腐」だけに特化した店なので調理をする事はなくなってしまいました。
「ゆば喜」が始まった当初は「ゆば」で有名な日光や京都と違って、街道沿いでしかも千葉県の「ゆば」など馴染みが無く、こんな田舎で、しかも当時1パック200gで800円と、牛肉より高い「ゆば」を販売するのは当然のように苦戦しました。それでも、次第に口コミが広がってお客さんが付いてくるようになりました。
オープン当初は「ゆば屋」なので、販売していたのは「ゆば」と「豆乳」のみで「豆腐」はやっていませんでしたが、当然「美味しい豆乳」が出来る事から「豆腐も作ってみよう」と、駆使して最初に製品化したのが「まろやか豆腐」でした。そこから色々な豆腐が増え、今は豆腐も10種類位まで増えました。
大多喜街道を通ると直ぐに見つける事が出来る大きな看板
メイン商品の「ゆば」
「まろやか豆腐」をはじめ数多くの豆腐商品
あぶら揚げやさつま揚げなど加工品も人気