「伝統的工芸品」で
世界に目を向ける
「職人の手作り」にこだわった
本物の「洋包丁」
株式会社五香刃物製作所は1989年(平成元年)に私の父、八間川憲彦が設立した会社です。父と母は九州の出身で、20代で上京して刃物商社、いわゆる「刃物問屋」に20年余り勤務し、40歳を超えた頃に独立して、自宅で創業しました。
販売している商品は、自社の「光月作」という刻印の入った一般に「洋包丁」と呼ばれている「牛刀」の他、関東の職人さん達が手作りで製造した様々な刃物などの卸売りをしています。
「牛刀」が戦後一般に普及し始めた頃に、「刃物の街」として「街おこし」をしようとする自治体が登場しました。行政が補助金を出して誘致活動を行ったため、「牛刀」の発祥の地で商売していた牛刀屋さんや問屋さんなどの刃物業者さんがそこに移った事で、江戸時代から金物で有名だった兵庫県の三木市などに続く「牛刀」の産地として知られるようになっていきました。
一方で刃物業界は次第に「量産体制」の方向に向かって進み、商品自体の良し悪しでなく「カタログ」で商売する様になり、「ブランド」を確立した産地までがカタログで販売するようになりました。それによって商品を見分けるための「目利き」が出来る「プロの目」を持った人達が減少し、「価格競争」つまり「掛け率」の競争になっていきました。同時に刃物業界は技術を持った職人さん達をおろそかにする様にもなり、大量生産の波に飲み込まれて行ってしまいました。
「手作りの商品」が廃れていく一方で、関東圏に残ったのは商売が下手な職人さん達でした。社長には「そうじゃないだろう」という信念があって、関東圏内に残った職人さん達に商品を作ってもらったり、職人さんの中でこの人は誰にも負けないという人を「目利き」し、材料と「光月作」という刻印を渡して作ってもらう、「製造卸」というスタイルで自社製品も製造しました。社長は自社製品と共に関東に残った職人さん達の商品を持って、常に需要と供給がある刃物で有名になった産地に月の半分位は出張して販売していたのがこの会社の始まりです。
住宅街の中にある工場とショールーム
「牛刀」が作られる工場
手伝いから始まった
「牛刀」作り
1995年~96年(平成7年~8年)頃になって、うちの「光月作」の刻印の入った「牛刀」を作ってもらっていた親方が、年齢と不景気で「工場をたたむ」という話が持ち上がりました。社長は「親方が辞めてしまったら『牛刀』を作る伝統がなくなってしまう。それなら、うちで工場を建てるので、そこで作ってもらえませんか。」とお願いをして、現在の場所に工場を建てたのが、自社の工場で「牛刀」作りをするきっかけになりました。ちょうどその頃に「鍛冶屋さんになりたい」という子を受け入れて欲しいという話があって、その子を受け入れて自社工場がスタートしました。
私はというと、高校を卒業して特にやりたい事もなかったので、社長の手伝いをしながら、包丁を研いだり刻印を打ったり、最後の「仕立て」をしたりと刃物の基本的な勉強をしていたのが23歳から24歳の頃でした。
その後「鍛冶屋になりたい」と入社した子は、結局2年位で退社してしまい、親方一人になってしまいました。親方は若い頃から苦労されていて、工場に籠りきりの生活をおくっていたため、60歳を過ぎたところなのに足元はふらつき、また白内障も悪くなっていました。そんな体でも一生懸命作ってくれていたものの、私は職人になるかどうかもはっきりしないまま、親方のサポートをしているうちに段々と仕事を覚えていきました。
その頃私は外回りもしていましたが、「牛刀」で世界的なシェアを持っている産地に「牛刀」を持って行くと、「わざわざ産地に良く持ってくるな」と馬鹿にされました。「ここなら量産された『牛刀』が1,000円で仕入れられるのに、どうして『五香刃物』から5,000円で買わなければいけないの。『ブランド』が付いたりっぱなパッケージだから5,000円や6,000円で売れるんだよ。」と言われたので「うちは手作りで1本ずつ作っているので。」と言うと、「それは誰が説明するの」と言い返されました。「説明は販売をされている皆さんです。」と応えましたが、私も若かったので腹立たしく思っていました。要は量産された刃物ばかりを扱う用になって、手作りの刃物の「目利き」が出来なくなっていました。
有名な産地とのやり取りで、へこんだ気持ちで会社に戻ってみると、親方は目に見えて体力が落ちて、体がボロボロになっているにも関わらず、一生懸命商品を作ってくれていました。その姿を見て、私は悔しい気持ちを抑えながら親方の目には見えていない所の補完をしたりしているうちに、「こうすればいいのか」と次第に仕事を覚えられるようになっていきました。
私自身は子供の頃からこういう仕事をやるとは思っていませんでした。むしろ不器用な方で、いまだに釘をまっすぐ打つのも苦手で「それでよく包丁を作れるね」と言われたりもします。

鋼に型を書き込み、ここから牛刀作りが始まる
「牛刀」の形になった鋼に焼きを入れたもの