Chibabiz.com
千葉県企業の情報サイト
〈チバビズドットコム〉

HOME ぴかいちば チバビズ探訪 ちばのたね ホームページ道場 バックナンバー チバビズ・マルシェ
チバビズ探訪 組合・団体活動情報
チバビズ探訪
千葉のビジネスを活性化する団体や活動を
歴史や背景、課題や展望など
様々な角度からご紹介します。

【ちばのへり】
 海と川に囲まれた千葉県の「へり」には何があるのか。ビジネスの種が見つかるかもしれません。そんなビジネスの種を見つけるため、「ちばのへり」コーナーではそんな「種」を探してご紹介します。
Vol.90 【ちばのへり】「谷津遊園」が残した物
「谷津遊園」が残した物
人々の憩いの場所「谷津遊園」
 習志野市の南西部、船橋市に隣接した谷津地区に隣接しているのが「谷津バラ園」そして「谷津干潟公園」です。このエリアは大正時代に「塩田地」として使われていた場所で、後に国の「塩業試験場」へと転用されていました。その後「京成電鉄」はこの一帯を「娯楽施設」に転用するため、1925年(大正14年)に「京成遊園地」を開業し、その後名称が「谷津遊園」に改称され、1957年(昭和32年)には「谷津遊園」に隣接して「谷津遊園バラ園」も開園しました。
 この「谷津遊園」は1960年代後半に東京湾が埋め立てられる前までは、「潮干狩り」や「海水浴」ができる遊園地としても人気がありましたが、1982年(昭和57年)当時、母体の「京成電鉄」の経営が悪化した事、更に「東京ディズニーランド」への経営参画などの理由によって「谷津遊園」は閉園する事になりました。
 「谷津遊園」の跡地の一部は、その後都市再生機構(現在)が開発した大規模な団地へと変化しまし、「谷津遊園バラ園」は1965年(昭和40年)に「京葉道路」の工事に伴って現在の場所に移転になりました。その後1982年(昭和57年)の「谷津遊園」閉園に伴ってバラ園も閉鎖されましたが、市民からの要望を受けて1988年(昭和63年)に「都市公園」としての「習志野市市営」の「谷津バラ園」が誕生しました。
谷津バラ園
谷津公園に隣接した谷津バラ園
バラ園の園内には数多くの種類のバラを見る事ができる

今につながる「谷津遊園」
 かつての「谷津遊園」はレジャー施設として愛されてきただけでなく、発祥の地、そして文化財として現代に続く物にもかかわりを持っています。
 1934年(昭和9年)に開催された日米野球で、来日するアメリカ選抜チームに対抗するため、「東京六大学」出身者を中心とした全日本チームが結成されました。「谷津遊園」内に作られた「谷津球場」で練習が行われ、その時のチームが後の「東京読売巨人軍」で、当時のチーム運営会社「大日本東京野球倶楽部」の筆頭株主が京成電鉄だった事から、この谷津遊園の跡地に「読売巨人軍発祥の地」の記念碑が建てられています。
 また、現在佐倉市の「山万ユーカリが丘線」で運行されている「新交通システム」のモデル線が作られたのも「谷津遊園」でした。この「新交通システム」は大型のニュータウンなどと鉄道の駅を結ぶ「近距離交通システム」で、「Vehicle Of New Age(新しい時代の乗り物)」略して「VONA(ボナ)」と名付けられ、日本車両製造と三井物産の共同開発で進められました。1972年(昭和47年)に当時の「谷津遊園」にモデル線が営業運行開始され、1982年(昭和57年)に「山万ユーカリが丘線」が開業されました。
 更に「谷津遊園」内にあった「楽天府」は、1899年(明治32年)に「旧勧業銀行本店」として建物で、1926年(大正15年)に「谷津遊園」に移築され、「楽天府」と呼ばれるようになりました。「谷津遊園」の閉園後の1940(昭和15)年に千葉市役所の庁舎となり、1965(昭和40)年に移築・修復され、現在は千葉トヨペット株式会社の本社・中央店として使用され、1997年(平成9年)には国の「登録有形文化財」になっています。
読売巨人軍発祥の地
谷津公園内に作られた「読売巨人軍発祥の地」碑
ユーカリが丘を走る「VONA」

「ラムサール条約登録」の「谷津干潟」
 1960年代から1970年代にかけて千葉県の東京湾沿岸は大規模な埋立てが進められ、内房に広がっていた干潟はどんどん消滅していきました。埋め立てによって海岸線がどんどん消滅していくなか、1982年(昭和57年)に閉園になった「谷津遊園」周辺の谷津干潟は「利根川放水路計画」のため「旧大蔵省」の所有だったため、埋め立て工事を逃れる事が出来ました。
 当時は千葉県も習志野市も干潟部分の埋立てを望んでいたものの、東京湾に飛来する「シギ類」や「チドリ類」「カモ類」などの渡り鳥の生息地になっている事が指摘され、更に保護活動家が重要性を指摘している事や清掃活動が行われ市民もそれを認知していました。1977年(昭和52年)には当時の「環境庁」が国会で「鳥獣保護区」に指定して保全を図りたいとした事で、1980年代前半には千葉県も習志野市も「干潟の保護」に転じました。周囲はマンションや学校、東関東自動車道と京葉道路に囲まれ、東と西側にそれぞれ1本ずつの水路に囲まれ、東京湾と繋がった40ヘクタールに渡る干潟は、1988年(昭和63年)には正式に「鳥獣保護区」に指定されました。
 1971年(昭和46年)に「ラムサール条約」が湿地の保全と賢明な利用を目的に締結され、1980年(昭和55年)に国内第一号の登録湿地となった「釧路湿原」に続いて、「谷津干潟」は1993年(平成5年)に国内7番目の登録地になりました。「谷津干潟」はかつての内房に干潟が続いていたように、水鳥が生息し海水と真水が混ざる「汽水域」のため、餌になる甲殻類の他、海水魚と淡水魚も生息する環境が保護されるようになりました。
 1994年(平成6年)には「谷津干潟然観察センター」が完成し、干潟の保全や渡来する鳥類の観察・記録、来場者の案内、更にボランティアなどの活動拠点になっています。
 このように「谷津遊園」とそのエリアは、かつて東京湾に広がっていた干潟を残し、併せてバラ園や公園など市民の憩いの場を提供し、次世代に繋げる役割を果たしています。
谷津干潟
野鳥類の憩いの場にもなっている谷津干潟
野鳥類の観察ができる谷津干潟然観察センター

(2025/10/10)
チバビズ探訪 バックナンバー
バックナンバーの一覧はコチラ
HOME ぴかいちば チバビズ探訪 ちばのたね ホームページ道場 バックナンバー チバビズ・マルシェ
お問い合わせはこちら

チバビズドットコム制作委員会
株式会社 翠松堂BTL
© 2017 chibabiz.com Production Committee
トップへ戻る