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【ちばのへり】
 海と川に囲まれた千葉県の「へり」には何があるのか。ビジネスの種が見つかるかもしれません。そんなビジネスの種を見つけるため、「ちばのへり」コーナーではそんな「種」を探してご紹介します。
Vol.71 【ちばのへり】浜金谷
浜金谷
房州石の産地だった絶景スポット鋸山
 富津市の金谷は通称「浜金谷」と呼ばれ、現在は神奈川県の久里浜を結ぶ「東京湾フェリー」が就航している浜金谷港フェリーターミナルがある地域です。2000年(平成12年)には浜金谷港に隣接した場所に大型施設「ザ・フィッシュ」がオープンし、多くの観光客を集めています。また、金谷港の近くには1916年(大正5年)開業の千葉県の最西端に位置する内房線の「浜金谷駅」があります。
 この地域には国内外の多くの観光客がやってくる「地獄のぞき」で有名な「鋸山」があります。富津市と鋸南町にまたがる「鋸山」は凝灰岩でできた山で、建材に適している事から「房州石」と呼ばれ、江戸時代から盛んに採石が行われ、石材として金谷から江戸へと運ばれていたため、「浜金谷」は当時「房州石」の産地として知られていました。「房州石」の採石は江戸時代から昭和まで続きましたが、自然保護規制の強化によって1985年(昭和60年)に砕石は終了し、石切り場や石材を搬出する跡は今では「産業遺産」になっています。
 実は「鋸山」は725年(神亀2年)に開山された「日本寺(にほんじ)」の境内になっており、「日本寺」の山号になっている「乾坤山(けんこんざん)」が「鋸山」の正式名称で、かつて房州石の採石が盛んに行われ、岩を採取して露出した岩肌が「鋸の歯」の様に見える事から「鋸山」と呼ばれるようになりました。
 かつて賑わったこの地域に過疎化の波が訪れ、名産である「房州石」の歴史を振り返り「石と芸術のまち金谷」というテーマで町おこしを目的に2010年(平成22年)に「金谷美術館」がオープンしました。その後「金谷美術館」は2019年(令和元年)に「鋸山美術館」と改名し、現在も金谷ゆかりの資料や寄贈された美術品を収蔵しています。
東京湾フェリー
金谷と三浦半島の久里浜を結ぶ東京湾フェリー
JR内房線「浜金谷」駅

房州石
産地らしく今でも「房州石」の塀を見る事が出来る
「金谷美術館」改め「鋸山美術館」

軍事拠点だった浜金谷
 現在の金谷地域は、戦国時代の初期には「里見氏」が支配する安房と「真里谷武田氏」が支配する上総の境目に位置していたため、激しい攻防の影響を受けた地域でした。また、東京湾は単なる漁場だけでなく、東国の流通を支える大動脈となっており、東京湾岸に住む漁夫達は集団を形成し、漁業や海上輸送などに従事しながら自らの領域を侵犯された場合は成敗できる権限を持っていました。戦国時代になって安房を支配していた「里見氏」は、その権限を持った漁夫達を統制するようになり、「水軍」として機能していました。この水軍の拠点となっていた場所のひとつに金谷がありました。
 明治時代になると金谷周辺は、東京湾を守る軍事的な目的でも使われるようになり「浜金谷」がある富津市には軍事目的の施設がいくつも作られました。東京湾の入り口を塞ぐように突き出した富津岬は、横須賀の観音崎や猿島とともに幕末から太平洋戦争の防衛上の要となっており、明治時代から大正時代にかけ、外国の軍艦から首都を守るため、富津岬と三浦半島の観音崎を結ぶ東京湾口には海上要塞の第一海堡・第二海堡・第三海堡が築かれ砲台が置かれました。しかし実際には敵艦が東京湾を襲う事は無く、実戦で活躍する事はありませんでした。第一海堡と第二海堡は現在でも見る事ができますが、第三海堡は完成から2年後の1923年(大正12年)に発生した関東大震災で壊滅的な被害を受け、構造物のほとんどが海中に没してしまい、暗礁化して航路障害になっていた事から、航行の安全を図るために2000年度(平成12年度)から2007年度(平成19年度)にかけて撤去工事が行われ、現在その姿を見る事は出来ません。
 また、関東大震災で被害を受けた第三海堡の代わりなのか、1923年(大正12年)に作られた応急砲台のひとつが「金谷砲台」で、金谷港の近く、鋸山北方の山上に建設され、東京湾に向けて4つの砲座が並んで設置されました。この砲台は太平洋戦争まで残っていましたが、太平洋戦争後の1960年代(昭和30年代)には跡地に「砲台山ハイランド」という遊園地が建設されましたが、1970年代(昭和40年代)に閉鎖になったそうです。
富津岬
東京湾に突き出した富津岬
富津岬の沖合には第一海堡と第二海堡

災害にもパンデミックにも負けない
 東京湾を守る重要拠点として軍事目的で利用される事が多かった「浜金谷」は、太平洋戦争後に占領軍GHQの命令で解散した「東亜海運」を母体として1957年(昭和32年)に設立されたのが「東京湾フェリー」で、1960年(昭和35年)に金谷―久里浜間の運行を開始しました。「東京湾フェリー」は東京湾を横断する人や自動車を運ぶ重要な動脈として機能するようになり、1994年度(平成6年度)の年間利用客は約280万人に達するまでになりました。しかし、1997年(平成9年)に開通した東京湾アクアライン連絡道(通称:東京湾アクアライン)によって、それまで東京湾を横断する唯一の手段だった東京湾フェリーは利用客減少の多大な影響を受け、「浜金谷」の象徴であるフェリーは経営危機に陥ったものの、様々な努力で現在も維持されています。
 2006年(平成18年)に金谷の町おこしを目的に周辺地域内外の有志が集まって設立されたのが「金谷ストーンコミュニティ」で、鋸山の調査研究の他、保全維持のため、住民や関係者と共に山の整備・清掃活動を行っている団体です。この団体が2019年(令和元年)に千葉県を襲った台風15号で鋸山の登山道が通行止めになるなどの復興を目的に「鋸山復興プロジェクト」を立ち上げ、クラウドファンディングで400万円近い資金調達をして尽力し、復活させました。
 このように金谷地区は様々な外的要因によって苦境に立たされ続けていましたが、かずさ地域の活性化と発展を目論見、この苦境を打破しようと富津市と鋸南町にまたがる「鋸山」を両自治体が協力して「日本遺産認定」を目指す活動が始まっています。この活動を応援する「2023年鋸山を日本遺産へ応援プロジェクト」が2023年(令和5年)12月に開かれ、鋸山とその周辺で「環境クリーン活動」や講演会、花火などいくつかのイベントが行われ、3年後の総括評価に向けた活動をサポートしています。
 また、台風15号では「鋸山」だけでなく周辺の住宅の屋根が飛ぶなど過去に経験した事が無いような壊滅的な被害を受け、断水や数日間にわたる大規模停電が続きました。富津市随一の観光客が訪れる施設「ザ・フィッシュ」も東京湾ビューを売りにしたガラスが割れるなどの被害を受け、営業再開まで1カ月間を要しました。しかしようやく台風の被災からようやく復興し観光客が戻り始めたものの、コロナ禍によっても引き続き大きな影響を受けました。
 復興した今では、奇岩が重なり合って独特の景観を持つ「鋸山の地獄覗き」、山頂からの眺望は東京湾をはじめ、富士山、三浦半島、伊豆半島から伊豆七島と関東一円を見渡す大パノラマ、夕日が美しい金谷港とともに訪れたいデートスポットになっている金谷には、恋人の聖地に登録され、「幸せの鐘」が設置されるなど若者たちの人気のスポットとして、「婚活ツアー」なども行われているようです。
 「日本遺産」に認定されれば、「浜金谷」にも今までよりも多くの観光客が訪れる事だろうと思います。無事「日本遺産認定」される事を願ってこれからの「浜金谷」に注目しましょう。
ヴィーナス岬
台風被害にあった鋸山
海に面した窓ガラスが割れたザ・フィッシュ

ヴィーナス岬
地獄覗きからは東京湾の絶景を見る事が出来る
フェリー乗り場の敷地にある恋人の聖地になった幸せの鐘

(2024/2/09)
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