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【ちばのへり】
 海と川に囲まれた千葉県の「へり」には何があるのか。ビジネスの種が見つかるかもしれません。そんなビジネスの種を見つけるため、「ちばのへり」コーナーではそんな「種」を探してご紹介します。
Vol.76 【ちばのへり】天津小湊
天津小湊
のどかな漁村の風景を残している天津小湊
 「1958年(昭和33年)に内房の富津岬から外房の太東崎までの海岸線は「南房総国定公園」に指定されました。旧天津小湊町は鴨川市北東部にあたる場所で、この「南房総国定公園」に指定されているエリアに含まれる場所にあるます。
 「旧天津小湊町」は、南は太平洋に面し北には清澄山系と房総丘陵が大多数を占め、市街地は海岸線に沿って広がっているのみで、耕作可能地も少ない事から漁業が中心になっています。また、元々この地域は1955年(昭和30年)に旧天津町と旧小湊町が合併してできた町です。「天津」は「海女のいる港」、「小湊」は「良港」を指すといわれ、いずれも名前からして漁業の町だという事を示しています。この「旧天津小湊町」は2005年(平成17年)には鴨川市に合併されて消滅しました。
 かつては南房総までの街道は、現在の千葉市中央区浜野から始まり内房を通って南下し館山市北条までに至る「房州往還」と、「房州往還」から分離して外房を南下して館山市北条に至る「伊南房州通往還」がありました。かつてはこの地域を訪れるために「伊南房州通往還」が使われ、旧天津小湊町は「伊南房州通往還」が通る街道筋の町でした。
 「伊南房州通往還」は狭い平地の海岸線を通っており、周辺に家が密集し道幅は狭いため、自動車が通る幹線道路にはならない環境のため、内陸部の房総丘陵に多くのトンネルを掘って広い道路を通した国道128号線が新たに作られました。そのため、観光客は国道128号線を通るため、幹線道路から離れた旧天津小湊地区の中心はのどかな漁村の風景を残した街並みになっています。
小湊港と天津港
小湊港
天津港

国道128号
トンネルを掘って作られた国道128号
漁村の風景を残す街並みの背後に国道沿いの高層マンション

漁業の町そして日蓮の生誕地
 「旧天津小湊町」の地域は鎌倉時代以降「東条氏」の所領で、後に里見氏の支配となり、江戸時代には幕府直轄地となりました。この地域は江戸時代の初期に紀伊国(現在の和歌山県と三重県西部)の漁民が移住してイワシ漁を始めたとされ、漁業の拠点として知られていました。また、東北地方と江戸を結ぶ「東廻海運」の避難港としても使われ、旧小湊町には「東廻海運」の番所が置かれ、廻船の援助と監視にあたっていました。
 この地域にある「清澄寺(せいちょうじ)」は、平安時代の771年(宝亀2年)に旅の僧が訪れ「虚空菩薩」を守る寺を祀るため創建され、山岳信仰の霊場となっていました。その後「清澄寺」は天台宗の大きな寺となり、「日蓮」はこの「清澄寺」で修業し「出家得度」して「日蓮宗を立教開宗」した事で知られています。「清澄寺」は後に徳川幕府二代将軍「徳川秀忠」の命により「真言宗」に改宗し、1949年(昭和24年)には更に「日蓮宗」に改宗して「日蓮宗の大本山」になりました。
 また、小湊は「日蓮」誕生の地である事から、「日蓮」の弟子「日家(にけ)」が生家跡に「高光山日蓮誕生寺」を建立しました。しかし「誕生寺」は1498年(明応7年)の「明応地震」と1703年(元禄16年)に発生した「元禄地震」の二度の大地震と大津波で、生家跡地域は海中に沈んでしまったため、現在の場所に移転されました。
 この「清澄寺」と「誕生寺」は山梨県の総本山「久遠寺」・東京の大本山「池上本門寺」とともに「日蓮宗四霊場」と呼ばれています。
 明治時代になると鉄道の整備が始まり、南房総も鉄道の整備が始まりました。1917年(大正6年)に発足した小湊鉄道株式会社は、「小湊駅」までを結ぶ計画で設立された鉄道だった事から、社名に「小湊」の名前が入っています。しかし、設立当初から第一次世界大戦の影響などで資金が思うように集まらず、1927年(昭和2年)にようやく現在の「五井駅」―「上総中野駅」間が開通しました。その後資金不足、更に清澄山系の岩盤が固く、当時の鉄道技術では限界だった事、加えて「国鉄木原線(現いすみ鉄道)」が「上総中野」に接続した事などの理由で、当初の計画は実現せずに現在の路線に留まりました。
 また後に国鉄(現JR東日本)の外房線は1929年(昭和4年)には上総興津駅―安房鴨川駅」間が延伸して「安房天津駅」と「安房小湊駅」も開業し、この地域で獲れた水産物の消費地への輸送が可能になり環境が大きく変化しました。
清澄寺と誕生寺
日蓮が修業したとされる清澄寺
日蓮の誕生の地小湊に作られた誕生寺

小湊鉄道の終点上総中野駅といすみ鉄道の終点大原駅
現在の小湊鉄道の終点上総中野駅
小湊鉄道と連結しているいすみ鉄道の終点大原駅

風情を残す観光地
 旧小湊町にある「妙の浦」という海域は、「日蓮」が誕生した際に鯛が飛び跳ね、ハスの花が咲き乱れた言い伝えが残っているそうです。そこから地元民はこの海域での漁を禁じたことに由来して「妙の浦」転じて「鯛の浦」と呼ぶようになりました。実際この地域は真鯛が群泳しており「国の天然記念物」に指定され、今でも禁漁になっています。
 鯛の群泳は古来より名物として知られており、昔から手漕ぎの和船で鯛見物をさせていました。昭和になってこの事が広く知られるようになり、1952年(昭和27年)からは観光遊覧船の運航が行われるようになりました。また隣接している誕生寺の門前には、旅館や土産物店が建ち並び、観光地として大変賑わいました。
 様々な土産物がある中で、今でも続く代表的なのは大正時代に考案された「鯛せんべい」で、禁漁となっている「鯛の代わりの土産物」として考案され、今でも郷土菓子として変わらず販売されています。
 南房総沿岸の岩場は、満潮時は荒波で揉まれ、干潮時には天日や潮風にさらされる厳しい環境です。千葉はそのような厳しい環境の岩場で育つ「ひじき」の産地としても知られています。天津小湊地域も産地のひとつで、毎年2月頃からの大潮の時期には「ひじき狩り」が行われ、春を伝える風物詩として毎年メディアでも紹介されています。収穫されたひじきは「名産品」として販売され、この地域でひじきを専門に扱う7社は「房州ひじき生産会」を結成し、7社が販売するひじきは「千葉のブランド水産物」に認定されています。
 鴨川は観光地として知られ、市の中心部には多くのホテルや旅館がありますが、小湊地区も元々「誕生寺」「鯛の浦」を抱える観光地だった事から、周辺に小さなホテル街があり、かつては多くの観光客で賑わいました。また、周辺の海水浴場に比べ規模は小さいものの、夏には混雑しない「穴場」の海水浴場として知られる「城崎」と「内浦」の二つの海水浴場は穴場狙いの海水浴客で賑わっています。
 かつて誕生寺参拝客や鯛の浦など観光客で賑わった旧小湊町は、かつてのような賑わいは見られなくなったものの、漁村の風情を残す観光地として愛され続けるでしょう。
鯛の浦遊覧船
鯛の浦遊覧船
内浦海岸海水浴場

鯛せんべい
城崎海水浴場
鯛せんべい

(2024/7/10)
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