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ぴかいちば
ぴかいちば
千葉のきらりと光る
社長へのインタビューをご紹介。
社長の熱い思いを語っていただきます。

「自然に負荷をかけない農業」
を目指すと共に
「農業の価値」を高める。
自ら栽培した果樹を使った
ジャムの製造販売
 杉山ジャム工房は、無添加の手作りのジャムとお菓子の製造販売を行っており、ジャムにする果樹の多くは私が栽培したもので、他に仲間の農家から仕入れたトマトでケチャップなども作っています。
 販売はこの店舗とホームページを使ったネット販売、地元の道の駅「あずの里・いちはら」、アリオ市原の「地産地消コーナー」それにスーパーの「ヤオコー」さんなどにも置いていただいています。また、コロナ禍前まではデパートの催事やイベントなどにも参加していましたが、農繁期に畑仕事を休むわけにもいかず、最近はお断りしています。
 数年前にはネット通販で有名な会社が突然「お歳暮に使いたいから」と電話して来てくれました。名前の知れた会社が、私の作ったジャムをお歳暮に使ってくださるというのはすごく勇気のある事だと思いましたが、時期的にも作れる量を越えてしまっているのでお断りしました。他にも千葉県庁から輸出食品として販売する引き合いをいただいた事もありましたが、とても対応しきれないとお断りをしたところ、その話を聞いた市原市長から「なんで断ったんだ」と叱られてしまいました。
 とにかく小規模でやっているので「商売をする気があるのか?」と言われる事もありますが、そう考えるようになったのは、ある体験をした事がきっかけでした。
 日本ではなかなか手に入らない「フランス製のジャム」を手に入れ、食べてみると「こんなにおいしいジャムがあるんだ」と思いました。その後、そのジャムが新宿のデパートで販売されると聞いて「どうやったらこのジャムを大量生産できるのだろう」と興味津々で早速買いに行って食べてみると、以前私が食べた物より味が落ちていました。ラベルを確認すると「添加物」が入っていました。輸入商社が間に入って、その途端に「添加物」が入る。「やっぱりそうなるのか」とがっかりしました。それで私は「こういう仕事をしたくない」「お金より物を大事にしていく方がいいな」と思いました。
 大きくしながら「質」を保つ事は本当に難しいです。人からは「商売する気があるのか?」と言われます。「資本を指すから株式会社にしてやらないか」と誘ってくれる方もいますが、結局「実働部隊」は私で、維持するとなると非常に難しいです。一応パートさんもお願いしていますが、畑仕事や他の事はお願いできますが、ジャム作りだけは任せられません。どうしても同じ味にならないからです。「味」というのは本当に難しいものです。
杉山ジャム工房
工房と店舗が併設されたジャム工房
店舗スペースでは手作りの極上ジャムが並んでいる

「栄養学」を学び
更に「菓子職人」になる
 うちは祖父母が農業をやっていて父は公務員でした。当時米は家で食べる分は作っていましたが、主に作っていたのは「落花生」でかなりの量を出荷していました。農繁期には手伝いの人をお願いし、畑仕事を手伝ってもらっていました。私も小さい頃はとんでもない量の落花生を植えるのを手伝った覚えがあります。
 小学校は直ぐ近くでしたが、周辺は「新興住宅地」で当時1,000人の生徒がいましたが農家はうち1軒だけで、かなり馬鹿にされ、イジメもありました。
 兄弟は6歳離れた妹だけで、いずれは私が何とかしなければと思いつつ、大学は東京農大短期大学部の栄養学科に進みました。「栄養士」の資格は取ったものの、実際の仕事は「ほぼデスクワーク」だと知って、もっと自由な幅で食に携わっていきたいと思い「料理の道」に進む事を決めました。
 一般の料理専門学校は「調理師免許」を取るための学校で、私が持っていた「栄養士」の資格と内容はほぼ同じようなもので、むしろ「栄養士」の方が深く勉強しています。それでは学費も無駄なので、フランス料理とイタリア料理をひたすら教え「職人」を養成する学校に入りました。
 私は素材そのものを使うイタリア料理が好きでしたが、先生は私の性格を見抜いていて「杉山は性格的にフランス料理が向いている」と言われ、結局フランス料理を学ぶことになりました。フランス料理の厨房は「フランス語」が飛び交う所で「そんなのムリ」と思っていましたが、学校で1年間訓練されたおかげでフランス語のレシピを読めるほどになれました。
 専門学校時代は「菓子屋で」アルバイトもしていましたが、普通のアルバイトとは違う「料理の専門学校生」だからと、職人と同じ扱いをされ、怒鳴られながら叩き込まれました。専門学校時代には、昼間は学校に行って、学校が終わったら「菓子屋」で夜遅くまでひたすら働いていました。
 料理学校は女性ばかりですが、実際の料理の世界は圧倒的に「男社会」で、特に「パティシエ」は力仕事も多いので料理より「男社会」と言えます。先生は私の就職先を「男ばかりの職場より、女性の先輩がいて、女性の体力とかそういう事が分かって採用している所に入りなさいと」言われ、それに従って入ったお店は凄く良くて、即戦力で使ってもらえました。
 入社してしばらくして、たまたまデザート部門の先輩から相談されて、「下っ端」身分で「アドバイス」をしたら、「お前はお菓子を知っているんだ」という事になって、「じゃあ杉山は今日からデザートで」と言われました。私は「料理がしたいんだ」と言いましたが、「経営的」に考えても「教える」より「出来ている方」をやらせた方がいいですよね。仕方がない事ですが、あきらめきれない私は何とか折り合いをつけ、「デザート部門」の担当になる代わりに、空いている時間は「料理部門」に行かせてもらう事にしました。実際にレストランでのデザート作りをしてみると、アルバイト時代の「菓子屋」は「テイクアウト」前提でしたが、レストランでは「すぐ食べて」という物で、同じデザートでも「ここまで違う」事を学べました。
 その後、会社が新たに立ち上げる「晴海店」のオープニングスタッフに入ってしまい、会社の人事の人が「笑ってしまう位」、多い月は月に450時間も働くような状態で、そんな無茶がたたって体を壊してしまい、結局退社する事になりました。
杉山ジャム工房
毎年大人気で予約締切になるクリスマスケーキ
「ぷりんセス・エッグ」を使った週末限定販売のプリン

フランスでは「ジャム屋」が
成り立つ事を知って
「ジャム屋」を始める
 母の本業は「ピアノの教師」ですが、趣味でジャムづくりをしていました。母は祖父母に畑の事を教えてもらって、ビニールハウスではなく畑で作る「露地いちご(のじいちご)」を育てていましたが、収穫時にはとにかく食べきれない量が採れるので、採れた「いちご」でジャムを作っていました。出来た「ジャム」は半端ではない量で、母は友達に配っていました。
 そんな環境で育った私は、大学に通うため寮生活を送っていました。寮の朝食には「ジャム」が出てきますが美味しくなくて、隠し持った「母の手作りジャム」を食べていました。それを見た同級生や先輩達にも広まって、その後も母の作った美味しい「ジャム」は料理学校の先生や、就職先の先輩達にも評判で、改めて母の「ジャム」はどこにも売っていない物だと気づかされました。
 大学時代には「ジャム」についての知識を仕入れると、直ぐに母に渡していました。また、図書館にある海外の資料で「こんな物がジャムになる」と言う事も知りました。たとえば当時「ブルーベリー」は市場には出ていませんでしたが、海外の文献では普通に出てきました。
 一方実家でも市役所で農業関係の仕事をしていた父が「ブルーベリー」の苗を買ってきて植えたところ、2~3年で大量に採れるようになって家族で楽しんでいました。母は友達にブルーベリーの「おすそ分け」をしていましたが、後で聞いてみたら貰った友達は実は捨てていたそうです。母もいとこから「ブルーベリーはジャムになるんだって」聞くと、早速「ブルーベリージャム」を作っていました。
 一方私の方も大学では先生の許可を得て農学部の授業も聴講し、様々な「果樹」の知識を得る事が出来ました。授業で知った「果樹」の苗は学園祭で販売されているので、それを買っては実家に持ち帰って育てる事が当たり前になっていました。
 就職したレストランの過酷な労働で体を壊して「これは続かない」と思っていた時、学生時代にアルバイトをしていた「菓子屋」から「戻ってきなさい」と声をかけていただき、そこで本格的に勉強をしました。この頃働きながらも、実家の畑をこれからどうしていくか悩んでいました。
 実家の畑は農家としてやっていくには広さが足らず、私は知識も技術も持っていません。そこで思いついたのが「ジャム」を商売にする事でした。これを思いついたのは、レストランで働いていた時に休憩時間に読んでいた本の事を思い出したからでした。その本はフランス語で書かれた本で、ジャムだけで商売を始めた人が書いた本で、その時は「ジャム屋で事業が成り立つんだ」と思った程度でした。
 この店を始めたのが2003年(平成15年)ですが、最初は体調が酷かったので、休みながら畑仕事をして細々とやっていました。そのうち知り合いから紹介された結婚式場の厨房でのアルバイトを紹介され、週末は結婚式場、他は畑と「ジャム」づくりをしていました。
 今は春になると「いちご」から始まって、「白加賀」と「南高梅」の2種類の梅。その間に「レッドカラント」「グズベリー」「ラズベリー」「ブラックベリー」そして「ブルーベリー」のベリー類、更にいちじく農家さんから「いちじく」が入ってきて、更に「梨」が2種類。続いて「桃」「りんご」「栗」と続いて柑橘類が5~6種類と続きます。その間イベントに出たり、クリスマスケーキを作って、次の春へと休みなしで1年が終わります。
 私の作ったクリスマスケーキを都内からもわざわざ買いに来てくれるんです。普通は秋の暇な時期に、スポンジを焼いて冷凍庫に入れておくんです。でも、私はケーキに使うスポンジは前日に焼くんです。こんなバカな事をやっているケーキ屋はそうは無いでしょう。ビジネスにならないですからね。でも、私が就職した菓子屋もレストランも「そういうのは絶対に嫌だ」という方針の所だったので、月の労働時間が450時間になってしまいますよね。でも出来立てなので味が違うんで、そこまでこだわる価値があるんです。
 今は私も年を取ってきたので、クリスマスケーキは100個が限界ですね。お客様は「あと1個位いいじゃない」とおっしゃいますが「ここで締め切る」と決めているのでキリがないからお断りします。
 ケーキに使う「いちご」にもこだわっていて、市場を通すと通常収穫から2~3日はかかってしまます。また、その時期は需要が高まるため価格が高騰し、生産する農家もそれに向けてため込んでおくので、どうしても味が落ちてしまいます。うちは、農業をやっている仲間の農家からは、朝3時に「いちご」を摘み取って持ってきてくれるので、注文をいただいたお客様には新鮮な「いちご」をご提供することができるようになっています。
杉山ジャム工房
工房の浦の畑にある畑で様々な物が育てられている
収穫した栗は材料として使われる

「吾唯足知(われただたることをしる)」
 2019年(令和元年)の千葉県を襲った台風では、この辺りはいくつもの竜巻が発生して大きな被害を受けました。土嚢が飛んできてガラスが割れた家など10軒中9軒は何らかの被害に遭っていましたが、うちは「抜け所」が無い風が天井を突き破り、瓦が飛んで家の中に雨が滝の様に流れました。
 そんな経験をしてしまうと、何か「新しい事をする」というより、「自然に負荷をかけない農業」をどれだけできるかを勉強する様になりました。うちはこの災害で畑が壊滅的な被害を受け、折れた果樹も収量が落ちて、あと10年しても元に戻らないという状況です。更にこの所の異常気象の影響も大きく、経済も大事ですが、農業を守らない国は滅びるような感じがしています。自分の人生の残り時間を考えるとお金は大事ですが、お金だけにまい進するのもどうかと思っています。
 こうやって頑固にやっていると、一生懸命やっている人とのネットワークが出来てきます。そんな仲間を増やして連携し、環境に負荷をかけない農業をやっていく事に興味を持ち始めました。
 最近うちでは、減少が危惧されている「日本ミツバチ」も飼い始め、それによって殺虫剤の使い方も変わりました。「ミツバチ」がいなくなったら受粉が出来ずに食べ物が無くなってしまいます。更に千葉県内に広がっているイノシシなどの害獣被害はこの辺りでも拡大していて、農業はもとより家庭菜園さえ辞めてしまう人が多く、うちの畑も被害を受けています。この先「駆除」をしてくれる先輩達がいなくなった事を思って「わな狩猟免許」も取得しました。でも、女性が狩猟をする事にはまだ社会は受け入れてくれないようです。
 こういう活動は私一人では力不足ですが、仲間と共にSNS等を使って積極的に情報発信を行っていこうと考えています。
 また、日本人には「ブランド」を付けて高く売れるようにするという考え方が欠けているような気がします。たとえばフランスでは、畑で葡萄の栽培から、ワインの醸造、瓶詰まで行っている「シャトー」は、本来農家ですが綺麗な格好をしてオシャレに見せています。普段からそんな恰好をしているわけではありませんが、付加価値を付けるための見せ方のひとつだと思います。一方日本では農家をオシャレに見せる事は無く、農家が「ブランド」として確立しない体質になっています。
 私はこれからも大量に生産して売り上げを伸ばす事より、自分の商品の価値を上げる事で頑張っていきたいと思っています。私の作った1個1,400円の「ジャム」をお客様が躊躇なく買い支えてくださるのは本当にありがたい事だと思います。
 「吾唯足知」という言葉は私が大好きな言葉で、京都の龍安寺の蹲(つくばい:茶室に入る前に手を清めるために作られたもの)に掘られた言葉です。私はこれを見た時に、「日本人は昔からこのような精神を持っていたんだ」「これを実現したらもっとうまくいくのに」と感じました。
 食べて寝て、仲間と一緒に健康に暮らせれば、それでいいのではないかと思います。死んで持って行けるのは「思い出」とか「思いやり」で、お金は持っていけないので、自分ばかり貯めるのではなく、もうちょっと「人のための事が出来たらいいのに」と思っています。
杉山ジャム工房
2019年の台風で折れた木が今でも残されている
減少が危惧される日本ミツバチを飼っている
杉山ジャム工房
 京都龍安寺の蹲(つくばい)に掘られた言葉「吾唯足知(われただたることをしる)」が私が大好きな言葉です。
龍安寺
 京都の龍安寺にある蹲(つくばい:茶室に入る前に手を清めるために作られたもの)には、中央の水穴を「口」の字に見立て、「口」の字を周りの四文字と共用して「吾唯足知(われただたることをしる)」と読みます。
 この言葉はお釈迦様が説いた「知足のものは、貧しといえども富めり、不知足のものは、富めりといえども貧し」という「知足(ちそく)」の心を図案化した仏教の神髄で、茶道の精神にも通じるとされており、徳川光圀の寄進とされているそうです。
企業名 杉山ジャム工房
事業
概要
ジャムと菓子の製造販売
住所 〒285-0812 
千葉県市原市引田333
電話
番号
0436-36-3982
HP HP:
http://sugiyamajam.com/

Facebook:
https://www.facebook.com/
sugiyamajam/?fref=ts


Instagram:
https://www.instagram.com/
sugiyama.jam/
メディア紹介 2024年8月25日 フジテレビ千葉の贈り物
2024年9月17日 日本テレビ ZIP「水卜あさ美と朝ごはん」
その他
資格
栄養士 わな狩猟免許
(2024/12/10)


〈編集後記〉
 
 杉山さんのお話を伺っていてその経歴にびっくりしました。単に美味しいジャムを作っている「ジャム屋さん」だと思っていましたが、実際はまさに「料理人」だと感じました。栄養士としての知識、プロの料理人としての知識と経験を駆使してジャム作りをしている杉山さんのジャムに多くの引き合いが来ることは当然だと思いました。
 お話を伺っていると、杉山さんは「好奇心の塊」だと感じます。きっと杉山さんの周りにいらっしゃる方も、同じ様な「好奇心」や「チャレンジ精神」を持った方で、杉山さんと共に「食の世界」に「新しい風」を吹かせてくれるだろうと思いました。

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