まちづくりで
地方創生実現を目指す
船橋のタウン誌が
活動の原点
株式会社myふなばしは、タウン誌の「ふなばし再発見!!マガジンMyFuna」、インターネットニュースの「MyFunaねっと」、「船橋経済新聞」を提供している会社です。他に私の個人事業として株式会社フィットで、イベント企画の運営、HP制作、地域コンサルの活動を行うほか、船橋地方卸売市場内の「市場カフェ」の運営や、船橋のなしの情報サイト「船橋のなし」、船橋市三咲地域の情報配信を行う「船橋三咲エリアニュース」、船橋地区のママさん達のための情報サイト「Mamachi」、船橋の中山商店街の情報発信サイト「中山かわら版」などを運営しています。
船橋をベースとして、町づくりのための様々な活動をしています。
お金にならない事ばかりやっていますが、ベースとなる収入はサポーター制度という会員制度で成り立っています。私が作っているMyFunaが街づくりのために役立っていると思った方が会員でいてくれるという仕組みで、趣旨に共感した方達の寄付で成り立っている会社です。
やりたい事をやる
生まれたのは千葉市稲毛区ですが、父親は銀行員で転勤族だったので、小学校5年で船橋家を建てました。小学校卒業と同時に豊橋へ移り、中学校2年生の終わりまではそこで過ごしましたが、中学校3年で船橋に戻り、それからはずっと船橋に住んでいます。
子供の頃はサッカー選手になりたいとか、警察官になりたいとか漠然と思う程度で、目的を持っていませんでしたが、二十歳の時に友人が事故で突然亡くなり、「人って簡単に死んでしまうんだ」という事を目の当たりにし、それならやりたい事をやった方がいいと思うようになり、独立することを夢見ていました。
大学を卒業し、独立するためのノウハウを得るために、東京の新宿に本社のある教習所専門のコンサルタント会社に就職し、最初に赴任したのは鹿児島でした。その後静岡の藤枝に転勤になりました。当時は鹿児島でも藤枝でもサーフィンをやってから出社という満員電車が無い、海や山に囲まれた生活を送っていました。
26歳になって東京でも働いてみたいという思いで求人広告の会社へ転職し、新宿や神田の営業所で、営業エリアは東中野から昭島、あきる野など山手線にかからない中央線沿線を営業していましたが、千葉に新規事業所立ち上げの話がきっかけで、都内からまた千葉に異動しました。
その後、29歳で求人広告の代理店として会社を設立し独立しました。