市川市(いちかわし)

東京のベッドタウン
市川市は千葉県の北西部に位置し江戸川を挟んで東京都江戸川区に接しています。市の南部は平野、北部は下総台地になっており、年間平均気温は15.8℃とおおむね温暖な気候です。人口は約50万人で千葉県内では千葉市、船橋市、松戸市に次いで第4位の人口規模の市で、西側は東京都と接しており、ベッドタウンとして発展しています。
市川市における梨栽培の歴史は大変古く、江戸時代から行われており、現在「市川の梨」と「市川のなし」が地域ブランドとして商標登録されています。市川に初めて梨を伝えたのは、寺子屋の師匠をしていた川上善六という人で、市川の土地は梨の栽培が適していることがわかると、美濃国大垣(現在の岐阜県大垣市)から梨の枝を持ち帰り、葛飾八幡宮の境内で試験栽培をはじめました。当初は八幡、市川、中山地域で栽培されていましたが、この地域が都市化されていくにしたがって、次第に北部へと移り、現在は大町、大野町、柏井町を中心に栽培されています。他に「花き」生産も盛んです。
工業は、内陸部に中小の事業所が立地している他、臨海部には金属、鉄鋼、石油、化学等の大型事業所が集約されおり、京葉工業地帯の一翼を担っています。
商業は、JR総武線の市川駅、本八幡駅の他、地下鉄東西線の行徳駅、妙典駅周辺など東京湾沿岸部が中心になっており、他にもニッケの工場跡地には大型商業施設のコルトンプラザなどもあります。
市川へのアクセスはJR東日本の総武線が横断しており、市内には市川駅と本八幡駅の2駅があります。また市の南端には京葉線が横断し、塩浜駅、二俣新町駅の2駅があります。更に二俣新町駅に接続した武蔵野線は市の東北部を縦断し、二俣新町駅の他に市川大野駅があります。一方、私鉄は京成本線も同様に市の中央を横断し、市内には国府台駅、市川真間駅、菅野駅、京成八幡駅、鬼越駅の5駅が、北総線は市の北端を横断し、北国分駅があるなど北から南まで鉄道路線が横断しています。また、他にも地下鉄の都営新宿線が市の中心部まで到達し、市内に終点の本八幡駅があります。
高速道路は市の南端を東関東自動車道が横断し、千鳥町インターチェンジがあります。市の中央部には京葉道路が横断し、京葉市川インターチェンジ、原木中山インターチェンジの2つのインターチェンジがあります。東京外環自動車道が東関東自動車道と京葉道路に繋がり市を縦断し、市川北インターチェンジがあります。国道は14号線が市の中央を横断、357号が市の南端を横断しています。
内陸部には梨園が点在し、シーズンには梨を目的に賑わう
古くから栄えた街
市内北部の台地地区には旧石器時代の遺跡が数多く存在しています。縄文時代の遺跡には堀之内貝塚、姥山貝塚、曽谷貝塚など国の史跡になっている遺跡があり、貝塚を含めた遺跡数が60か所にのぼり、集中した地域としては国内最大級の規模で残っています。これにより市川が縄文時代に栄えた場所だということがわかります。
奈良・平安時代の律令国家では、国庁と国府が置かれて下総国の中枢になっており、国分寺と国分尼寺が所在していました。国分寺は今も残っている国分寺と、100mほど先には国分尼寺跡が国分尼寺跡公園として残されています。
平安時代には八幡地区は寛平年間に創建された「葛飾八幡宮」を中心に発展しました。平安時代末期になると「石橋山の戦い」に敗れ安房国に落ち延びた源頼朝が、上総広常と国府台で合流して軍勢を立て直したことはよく知られています。また、1260年(文応元年)には中山法華経寺が創建され、中山地区周辺は「門前町」として栄えました。
室町時代後期になると関東で活躍していた「太田道灌」の弟「太田資忠」が国府台城を築城し、城跡は里見公園内に残されています。また、国府台は戦国時代に里見氏と北条氏をはじめとした房総半島の諸将の間で起こった「国府台合戦」の戦場にもなりました。
江戸時代に市川市域は天領や旗本領になり、市川地区や八幡地区は「佐倉街道(成田街道)」の宿場町として栄えました。また、徳川家康の命により塩の供給を得るため「行徳塩田」が整備され、水路を使って江戸へと運ばれていました。
明治時代になり、1885年(明治18年)には陸軍教導団が置かれ、1899年(明治32年)には廃止されたものの陸軍の野砲兵連隊・国府台陸軍病院なども置かれ、市川は軍都として栄えました。太平洋戦争終戦後、陸軍が使っていた広大な土地は病院や大学、高校などの施設になりました。
太平洋戦争後の1945年(昭和20年)日本画家の東山魁夷は、市川市に居住し、1999年(平成11年)に90歳で亡くなるまで市川市で創作活動をつづけたことから、自宅の隣に2005年(平成17年)に市川市東山魁夷記念館が造られました。
産官学のチームワークで発展する
市川市内は歴史がある分、狭い道や、入り組んでいる路地が多く存在します。また、幹線道路も狭く、特に市の南北の交通の便に問題を抱えていました。2018年(平成30年)に開通した国道298号および東京外環自動車道が開通したことにより、南北間の交通事情が激変し、それに合わせて市川市初の道の駅「道の駅 いちかわ」も誕生しました。市川産の農産物や千葉のみやげ品の販売のほか、有名イタリア料理店の姉妹店やカフェなどができたことで、地元はもちろん観光客の人気も集め、市川の発信拠点として機能しています。
高度成長期で市川市は急激に人口増加し、市川駅周辺は急速に都市化が進んだものの、ライフラインなども不完全状態でした。公共施設が不足するなど多くの問題を解決するため市川市は「市川駅南口地区第一種市街地再開発事業」を実施し、建設されたのが「I-linkタウンいちかわ」です。先進的で住みやすい都市型住宅(超高層マンション)の供給を図ると同時に駅前広場および道路の整備を行い、暮らしやすい街を開発することを目的としてこの計画は始まりました。
2005年(平成17年)に着工しましたが、2007年(平成19年)に書類審査で鉄筋不足が発覚し、強度不足を解消する補強工事を実施した後2009年(平成21年)に竣工しました。市川駅南口に直結し低階層には商業施設や公共施設が入り、A街区の高層階は分譲マンション、B街区の高階層は介護付き有料老人ホームのライフ&シニアハウス、更に都市再生機構の賃貸住宅になっています。また、A街区の45階には無料で一般開放されている展望施設もあり、観光名所にもなっています。
千葉県市川市に所在する千葉商科大学、和洋女子大学、東京医科歯科大学教養部、昭和学院短期大学、東京経営短期大学の5つの高等教育機関があります。そしてそれらが教育資源や機能等の活用を図りながら幅広い分野で相互に連携協力し、教育研究の質的向上を図り、地域社会の発展に資することを目的として、2018年(平成30年)11月に「大学コンソーシアム」が設立されました。更に市川市の発展を目的とした地域課題の解決に取り組むため、市川市、市川商工会議所と産官学連携包括協定を締結し、「大学コンソーシアム市川産官学連携プラットフォーム」が形成され、併せて2021年(令和3年)には産業界の京成電鉄株式会社、東京ベイ信用金庫、千葉税理士会市川支部、株式会社市進ホールディングスの4つの機関とも協定を結びました。このプラットフォームを通じて、12の取り組み目標と取り組みを掲げ市川市の発展に取り組んでいます。
(2023/9/8)