館山市 海洋性リゾートタウン
食と海の街館山
館山市は房総半島の南部に位置し、市内の西側に突き出た「洲崎岬」には「洲崎灯台」が建てられ、その場所が東京湾と太平洋の境にもなっています。市内の大小11の漁港では豊富な魚介類が水揚げされ、新鮮な魚介類を求める観光客にも人気です。一方、陸地でも水稲や野菜などの農作物の生産も盛んで、また観光客向けにはイチゴなどのフルーツや野菜などを収穫体験できる観光農園なども営業しています。市内には多くの宿泊施設も揃っており、市の中心を貫く国道127号線沿いには、地元の人たちが利用する多くのロードサイド店が並ぶ商業地域になっています。館山は新鮮な魚介と農産物の両方が味わえるため、「食」を求める観光客にとって首都圏に近い観光地として魅力的な場所になっています。
海に囲まれた館山は「食」以外にも海のレジャースポットとしても人気で、家族連れでにぎわう「海水浴」のほか、「釣り」を楽しむ観光客が多く訪れるスポットとしても知られています。更に館山の海は、サンゴの生息の北限として知られており、ダイビング愛好者たちはこのサンゴを目当てに館山にやってきます。この館山のサンゴは、かつて海水面の低下が起き、更に関東大震災によって隆起した地層からは、100種類ほどのサンゴや貝類の化石が発見され、館山の海には約6,000年前からサンゴが生息していた事が分かりました。このサンゴの化石は「沼(ぬま)地区」で発見された事から、「沼サンゴ」と呼ばれています。
このように館山は、豊富な「観光資源」を持った千葉県内では有数の街になっています。
サンゴを見る事ができる「沖ノ島」は関東大震災で陸続きに
「里見八犬伝」で知られた館山は「軍の拠点」に姿を変える
戦国時代に館山は「里見氏」が治ており、「里見氏」はその後上総から下総の一部に至るまでに勢力を伸ばしていました。「館山城」は1580年(天正8年)頃に「里見義頼」が築城したとされ、その後1588年(天正16年)から1590年(天正18年)にかけて城が改修され、現在の館山地区に城下町が作られたとされています。
1590年(天正18年)に発生した「北条氏」と「真田氏」の領土紛争で「北条氏」が武力を使った事で、豊臣秀吉が大名間の「私闘」を禁じた「惣無事令(そうぶじれい)違反」である「北条氏」はもとより配下の「里見氏」も「上総国」を没収され、その結果「安房国」一国が「里見氏」の領地として残りました。
1600年(慶長5年)に起きた「関ヶ原の戦い」では「里見氏」は「徳川家康」を支援していたものの、江戸幕府成立後の1614年(慶長19年)に「小田原藩」の藩主だった「大久保忠隣(おおくぼただちか)」が、幕府に無届で養女を「牛久城主に嫁がせた」という理由で改易(かいえき)となり、その関係者とされた「里見忠義」も「国替え」の処分を受け、「館山藩」の「里見氏」の当時が終わる事になりました。
「里見氏」の統治が終わってから200年ほど経った江戸時代の後期1814年(文化11年)に刊行された「曲亭馬琴」の大人気長編小説「南総里見八犬伝」は、架空の物語ではあるものの「里見氏」をモデルに書かれた事で、「館山」と「里見氏」は広く世の中に知られるようになりました。
江戸時代に「安房」だった館山は明治時代に入ると廃藩置県が行われ、「館山県」、「木更津県」とかつての藩を元にした区分から「県」に、そして最終的には1874年(明治6年)に千葉県になりました。
明治時代以降「軍国主義」が勢力を高める中、1930年(昭和5年)頃には「館山航空基地」が完成し、続いて「館山海軍航空隊」「洲崎航空隊」「海軍砲術学校」などが次々に設置され、第二次世界大戦中は「軍都」として発展しました。1945年(昭和20年)に終戦を迎えると、アメリカの海兵隊が館山に上陸し、離島を除いて唯一アメリカ軍による占領統治が行われました。
景観を整備し海洋性リゾートタウンへ
1987年(昭和62年)に「リゾート産業の振興と国民経済の均衡的発展を促進する」事を目的に、多様な余暇活動が楽しめる「場」を整備する「総合保養地整備法(通称リゾート法)」
が施行されました。千葉県は「総合的なリゾート地域」の整備を推進するため、「房総リゾート地域整備構想」を策定し、1989年(平成元年)には国の同意を受け、県内の11地区を「重点地区」として定め、現在も事業を進めています。
館山市は「房総リゾート地域整備構想」の中で「鏡ケ浦(館山湾)」と豊かな自然環境、温暖な気候持つ地区として「館山サンシャインリゾート」と、館山市を含む「フラワーライン」に代表される「お花畑」というイメージから「南房フラワー・パーク・リゾート」という二つの「重点整備地区」に含まれる事になりました。
元々館山は明治初期から「保養地」や「海水浴場」として多くの人々が訪れる場所でしたが、その表玄関になっていた館山駅は東側(内陸側)で、西側(海側)は民家もまばらで開発が遅れている状態でした。そこで「館山サンシャインリゾート」では、「海洋性リゾートタウン」という方向性を打ち出し、1989年(平成元年)には「館山市街並み景観形成指導要綱」が告示され、館山駅西側を含む北条海岸から西岬、平砂浦海岸、富崎地区が景観地区に指定され、「暖かさ」「青い海」「緑の大地」「美しい花」を強調した街並みづくりが始まりました。
1991年(平成3年)には「館山駅西口地区街づくり協議会」が発足し「屋根はオレンジ」、「壁は城を基本」として統一感のある街並みを目指して進められました。並行して館山駅の改修も進められ、海洋性リゾートへの玄関口にふさわしい現在の街並みが出来上がりました。
2023年(令和5年)には館山市初、千葉県で30番目の道の駅「道の駅グリーファーム館山」もオープンし、観光地として更に充実しその景観と共に千葉県屈指のリゾートタウンとして発展していくでしょう。
(2026/01/09)