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千葉のイチオシ
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チバビズドットコムのイチオシ。
千葉のオススメ名物・名所を紹介。
知られざる千葉がまだまだあります。

千葉のイチオシ バックナンバー(25~36)
千葉の観光
鋸山
  • ●観光を支えた寺社
推定110万人を抱える江戸の食糧供給基地として発展を遂げた千葉県は、それと共に観光地としての側面も注目されるようになりました。
当時物流の動脈になっていた利根川水運は、物流と同時に観光客も呼び込むようになりました。利根川水運を利用して訪れる観光客は、香取神宮、鹿島神宮、息栖(いきす)神社の東国三社詣でや、千葉県内にある七つの寺院も含んだ坂東三十三観音への詣でなど、信仰の旅で訪れていたようです。
他にも日蓮宗の開祖、日蓮の生誕の地として鴨川市の誕生寺や清澄寺にも多くの信者がやってきたそうです。
江戸後期には当時江戸で大スターだった、初代市川團十郎が成田山のお不動さんに願をかけたことで後継ぎの子供を授かったことから、成田のお不動さんの霊験をテーマとした芝居を作るなど、現代でいえば成田山のプロモーションをしたおかげで、庶民たちの間に成田山の評価が高まり、こぞって成田参りをするようになったということです。
また、成田山では「出開帳」という遠く地方にある有名な仏像を江戸に運んできて、今でいう博物館の展示のようなイベントも行っていたようです。
香取神宮と成田山
●リゾート地として
明治になると人々の生活は大きく変わってきます。江戸時代から交通の要所として利根川水運が鉄道に置き換わり、人々の足として鉄道が使われるようになってきました。
明治20年代になると健康増進のための海水浴が奨励されると、現在の千葉市稲毛区の海岸に海水浴場を備えた療養所が設置されるようになりました。施設の案内をする冊子が作られた他、文人なども訪れるようになり、それが外房の片貝海岸などにも波及しました。現在の一宮海岸は、避暑寒地としての海水浴場や別荘ができ、海水浴場発祥の地、神奈川の大磯と肩を並べるべく、「東の大磯」と呼ばれるようになりました。
大正から昭和初期にかけて鉄道はさらに発達し、内房、外房に避暑地や観光地が作られていきました。
1907年(明治40年)に現在の松戸競馬場が移転し、1920年(大正9年)に中山競馬倶楽部と名称を変えたのが、現在の中山競馬場です。
また、現在の習志野市谷津は元々塩田地でしたが、1925年(大正14年)に海岸地帯を埋め立てて娯楽施設「京成遊園地」として遊園地が開設されました。
稲毛浜と谷津干潟
●有名レジャーランドが目玉に
太平洋戦後千葉県は県内各地で大規模開発が行われ、京葉工業地帯が建設されると共にベッドタウンとしての開発も進みました。
1955年(昭和30年)にはプールや遊戯施設なども併設した温泉施設、船橋ヘルスセンターがオープンしました。その後1960年(昭和35年)にはマザー牧場のオープン、1970年(昭和45年)には鴨川シーワールド、1983年(昭和58年)には東京ディズニーランドがオープンするなど、現在でも有名なレジャーランドが続々オープンしました。また、1980年代以降、健康ランド(スパ)ブームが始まり、千葉県内にも日帰り温泉を含む様々な温浴施設もできました。
千葉県も2008年には観光立件の推進に関する条例を公布し、観光作りの促進やまちづくり、地域づくりなどに取り組んできました。
観光立県を目指して進んできた千葉県ですが、2019年(令和元年)9月9日の台風15号、10月12日の台風19号、更に10月25日には台風21号と低気圧の影響による豪雨被害により観光業や観光施設に大きな痛手を受けました。
被災地の皆様からは「とにかく来てほしい」「観光に来てお金を落としてほしい」との声も聞こえてきます。被災地を支援するためにも、千葉に遊びに来て千葉の観光を大いに楽しんでいただきたいと思います。
水仙と花祭り
(2019/12/10)
大山千枚田
大山千枚田
  • ●上皇陛下もご訪問された大山千枚田
千葉県南部の房総半島にある房総丘陵のうち、加茂川以南の嶺岡愛宕山・嶺岡浅間などの嶺岡山系(みねおかさんけい)の面積約3.2ヘクタールの急傾斜地に、階段のように連なる大小375枚の田んぼが大山千枚田です。
山岳地に位置することで耕地整理が遅れたため棚田が形成され、日本で唯一雨水のみで耕作を行っている天水田です。1999年(平成11年)に農林水産省の日本の棚田百選に認定されており、文化庁の文化的景観の保存・活用事業の対象地域にもなっています。
嶺岡山系独特の蛇紋岩の風化した強粘土質の土壌で、漏水が少なく雨水を蓄えて稲作ができ、美味しいお米を育てる土壌だといわれ、長狭地区で採れる「長狭米」は「日本のお米百選」にも選ばれ、天皇陛下の献上米にも採用されたことがあります。
上皇、上皇后両陛下が2010年9月27日に千葉県を訪問(ゆめ国体)された際に、大山千枚田を視察され、秋の大山千枚田の風景に感動した上皇陛下が、翌年の新年に詠んだ「刈り終へし 棚田に稲葉青く茂り あぜのなだりに 彼岸花咲く」の歌が刻まれた記念碑があります。
歌碑と石碑
●大山千枚田から望める千葉県の最高峰愛宕山
大山千枚田の南側の房総丘陵のうち、鴨川以南の嶺岡愛宕山・嶺岡浅間などの山々は嶺岡山系(みねおかさんけい)と呼ばれています。この嶺岡山系は現在県立嶺岡山系自然公園(けんりつみねおかさんけいしぜんこうえん)に含まれ、県立嶺岡山系自然公園に指定されています。
嶺岡山系の中で一番高い愛宕山は、県内には「愛宕山」と称する山が複数あるため、嶺岡愛宕山(みねおかあたごやま)とも呼ばれています。高さは標高408.2mで千葉県の最高峰ですが、全国の最高峰の中では最も標高が低い山で、山頂には航空自衛隊の防空レーダー施設(峯岡山分屯基地)が設置されています。
嶺岡山系の北側、鴨川市域の西端に位置する高蔵山は標高219m、長狭平野で最も高い場所に位置し、古くから山岳信仰の地で、良弁が奈良時代に開基したと伝わる大山寺があります。江戸期には江戸近郊の観光地として賑わったそうで、山頂には高蔵神社があり、現在もなお神仏習合の名残があります。
峰岡山系と高蔵山に囲まれた自然豊かな土地だからこそ、現在にも引き継がれるおいしい米が作れる棚田が残っているのです。
愛宕山山頂と大山寺
●棚田が地域と都市を結ぶ懸け橋に
大山千枚田のある鴨川市長狭地区では、1995年に農村の活性化を目指し農業構造改善事業が導入されました。地域の財産として守るとともに地域の活性化を図ろうという活動が始まり、鴨川市は棚田オーナー制度開設し、1997年(平成9年)に大山千枚田保存会を設立、2003年(平成15年)にはNPO法人の認可を受け、その運営を委託されています。
現在棚田オーナーは、法人、個人合わせて約130組で100㎡あたり30,000円(年間)を支払い、「My田んぼ」の耕作権と収穫物を得ることができます。
米の収穫を終えた棚田は、10月から1月にかけてLEDキャンドルやエコキャンドルのライトアップ「棚田のあかり」が行われ、ライトアップが始まる10月には各種イベントも開催されます。
棚田の運営を委託されている大山千枚田保存会は、栽培した大豆で豆腐や味噌作りを体験する大豆畑トラスト、収穫した酒米(さかまい)で酒づくりをする酒づくりオーナー、自分たちで栽培した和綿と藍で織物やりや藍染めなどを楽しむ綿藍トラストなどにも取り組んでいます。
棚田を望む高台には地域資源総合管理施設の「棚田倶楽部」が建てられ、地域と都市からやってくる人々との交流の場や、ベントや体験プログラムなどを開催する場として機能しています。また、隣接した古民家レストラン「ごんべい」では千枚田で収穫した米を使ったランチなどが提供され、訪れる観光客で賑わっています。
棚田の美しい景観だけでなく、環境保全の取り組み、都市部の人たちとの交流、まさに千葉のイチオシです。
棚田倶楽部とごんべい
(2019/10/10)
海水浴
海水浴1
  • ●医療行為からレジャーになった海水浴
日本では平安時代から、潮湯治(塩湯治)、潮浴み(しほゆあみ)、塩湯浴み(しほゆあみ)という呼び名で健康や療養のために海水に入る風習がありましたが、幕末の開国で欧米人が持ち込んだ西洋風の海水浴が明治時代に広まりました。
海水浴が広まるきっかけになったのが、「日本近代医学の父」と呼ばれるドイツ人医師エルウィン・フォン・ベルツでした。ベルツは「保養の思想」として温泉療法、転地療法を提唱し、海水浴の適地として鎌倉の七里ヶ浜を紹介しました。当時の政府の高官たちは、その影響を受けて相模湾周辺地域に別荘を建てて休暇を楽しむ文化が広まり、それが西洋医学に基づいた医療行為としての海水浴の始まりとなりました。
海水浴が広まっていく中、大磯の照ヶ崎海岸に海水浴場を作って「海水浴ブーム」を作ったきっかけとなったのが、当時の初代陸軍軍医統監だった松本順でした。松本は佐倉藩(千葉県佐倉市)の藩医の家に生まれ、将軍家茂、慶喜の侍医となり、明治維新後には初代陸軍軍医統監に就任しました。
東海道線の開通によって大磯は海水浴客で賑わうようになり、また鉄道会社も沿線の海水浴場や名所への行楽を盛んに宣伝するようになったことで、各地に海水浴場が作られていきました。
海水浴2
  • ●千葉の海水浴場の発祥の地
千葉の内房、特に富津までの干潟地域は遠浅の海岸が広がる地域で、1888年(明治21年)、東京からのアクセスが良い千葉市の稲毛や黒砂付近に千葉県初の海水浴場ができました。更に、現在の稲毛浅間神社の境内に、海水温冷浴、遊技場、運動場などの施設「稲毛海気療養所」も建てられました。
大正時代になると「稲毛海気療養所」はオーナーが変わって別荘風旅館「海気館」になり、総武線に京成電鉄が開通したことで、東京から海水浴客や潮干狩に訪れる観光客が増加し、海岸近くには多くの旅館や商店が立ち並ぶ保養地として発展しました。海気館には、島崎藤村、徳田秋声、森鴎外など著名な文人が滞在し、彼らの作品の中にも登場しています。
他にも、保養地としての稲毛の歴史を今に伝える「日本のワイン王・神谷伝兵衛」が大正7年に建てた別荘洋館(千葉市民ギャラリー・いなげ内)や中国清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀の実弟である溥傑と妻・浩が、半年ほどこちらに居を構えた「ゆかりの家いなげ」(千葉市地域有形文化財)などがあります。
1969年(昭和44年)に宅地造成のために始まった「千葉海浜ニュータウン構想」で稲毛海岸は埋め立られ、新たな住宅都市へと生まれ変わっていきました。
旧稲毛海岸の海岸線は、砂浜及び自然環境が消失してしまったため、自然を再び取り戻すことをテーマに日本初の人工海浜として整備されました。検見川の浜も含んだ公園内には運動施設・プールのほか、博物館、海浜レジャー施設、結婚式場(複合施設)等の施設があり、1977年(昭和52年)、稲毛海浜公園都市公園(総合公園)として開園しました。2017年(平成29年)には検見川地区を含め、ヨットハーバー、スポーツ施設を除く区域(約65ha)の施設がリニューアルされ、「SUNSET BEACH PARK INAGE」になりました。この稲毛の人工海浜は、磯の松原として日本白砂青松100選にも選ばれています。
稲毛浅間神社周辺
ゆかりの家いなげ
●海水浴場とサーフスポット
現在千葉県内の海水浴場は九十九里浜だけで30箇所、県内全域を合わせると65箇所にのぼり、中でも1996年(平成8年)に発表された日本の渚100選には、勝浦市の鵜原海水浴場と守谷海水浴場、鴨川市の前原海水浴場、九十九里海岸海水浴場として九十九里浜の海水浴場全体が選ばれています。
また、社団法人・日本の松の緑を守る会が選定した美しい松原をともなった砂浜として九十九里浜が選ばれ、2001年(平成13年)に環境庁が水質などについて一定の要件を満たしているとした「日本の水浴場の88選」では守谷海水浴場が選ばれました。更に、環境省では水質が美しいこと、水辺が清潔であること、水難事故に対する対策がなされていること、利便性(周辺設備・交通アクセスなど)に富むこと、生態系への配慮がなされていることなどの条件を満たした「快水浴場百選」には、守谷海水浴場、和田浦海水浴場が選ばれています。
三方を海に囲まれた千葉。海水浴場の数は長崎県の66箇所に次いで65箇所。都心からのアクセスも良く、海水浴だけでなく、外房から内房にかけ36箇所のサーフポイントもある千葉の海水浴はイチオシです。
海岸
(2019/9/10)
大賀ハス
大賀ハス
  • ●2000年前のハスが現代に咲く
大賀ハスは1951年(昭和26年)現在の千葉市花見川区朝日ヶ丘町にある東京大学検見川厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)内で発掘された種が発芽、開花したハスの名前です。 戦時中に東京都から東京を中心に50km圏内で燃料不足を補うために代用燃料を探せという命が下り、花見川下流域に枯死した湿地植物などが炭化した石炭「泥炭」が豊富に埋蔵されていることが分かり、東京大学検見川厚生農場の一部を借りて泥炭の採掘を開始しました。
戦後もその採掘は継続され、1947年(昭和22年)7月28日に作業員が採掘をしていた所、たまたま1隻の丸木舟と6本の櫂(かい)を発見しました。
遺跡発見を受け、慶應義塾大学と東洋大学、日本大学で調査が進められ、縄文時代の「船だまり」であったことが判明し、「落合遺跡」と命名されました。
発見された中に、ハスのめしべが大きくなった「果托(かたく)」があったことを知った植物学者でハスの権威であった大賀一郎博士(当時関東学院大学非常勤講師)は、1951年(昭和26年)に地元の小・中学校の生徒やボランティアの協力を得て発掘調査を行い、地下約6mの所から3粒のハスの種を発掘しました。
博士は5月上旬から東京都府中市の自宅で発芽を試み、種3粒のうちの1粒の発芽に成功し、翌年にはピンク色の大輪を咲かせました。
花托と博士
発見場所
実験所と見本園
  • ●大賀ハスの故郷を市民が守る
この古代ハスのニュースは世界中に発信され、ハスの名前は発芽を成功させた博士の名前をとって「大賀ハス」と命名されました。
この大賀ハスの実の上方層で発掘された丸木舟の破片の年代調査をしたところ、弥生時代以前の物であることが分かりました。
大賀ハスは1954年(昭和29年)に「検見川の大賀ハス」として千葉県の天然記念物に指定され、1993年(平成5年)には千葉市の花として制定されました。更に平成15年には大賀ハスをモチーフに「大賀ハスの妖精」としてデザインされた「ちはなちゃん」が「花の都・ちば」のキャラクターに決定しました。
2010年(平成22年)に大賀ハスの故郷となっていた東京大学の緑地植物実験所は、西東京市にあった附属農場とともに改組され、新たに設立された「東京大学大学院農学生命科学研究科付属生態調和農学機構」となり、大賀ハスが栽培されていたハス見本園も検見川から西東京市へ移転してしまいました。
ハス見本園の移転の話を受け、地元の自治会などの有志たちが大賀ハスを残していこうと「大賀ハスふるさとの会」を結成し、旧施設内の「ハス見本園」の花ハスを育て、それまで続いていた「観蓮会」も継続して開催しています。
花園ハス祭り観蓮会
ちはなちゃん
●国内はもとより、千葉発海外へ
千葉公園に作られた900平方メートルのハス池には、毎年6月に多い時は700輪もの大賀ハスの花が咲きますが、1つのつぼみの開花は4日間しかありません。1日目の朝は完全には開ききらず、昼にちかづくにつれ閉じてしまい、翌日もまた同じことを繰り返しながら、日を重ねるごとに開き方が大きくなり、4日目の午後には花びらが落ちてしまいます。
この千葉公園の大賀ハスの開花に合わせて、ハス池と隣接する蓮華亭・多目的広場周辺で「大賀ハスまつり」が開催され、各種演奏、販売、講習会など様々なイベントで期間中は大いに賑わっています。
大賀ハスの種が発見された千葉市花見川区の花見川河口付近、幕張、検見川辺りはその昔海で、そのうち砂で塞がれ湖になり、ハスが群生するようになりました。当時の人々は丸木舟を浮かべハスの実や菱の実を食料としていたのでしょう。
大賀ハスはこのようにこの地に生え、約2000年後発掘され、奇跡的に発芽した世界でも稀な大切なものです。栽培地では太古のハスの遺伝子を守るため、開花後は果托を刈り取って実が池に落ちるのを防ぎ、他のハスとの交雑を回避しています。 この大賀博士が栽培した大賀ハスは、千葉県内の他の場所はもとより、国内36の都府県、そして海外にも分根され、栽培されています。
千葉でよみがえった唯一無二の太古のハス、大賀ハスは何といっても千葉のイチオシでしょう。
宝珠院・真野寺
石堂寺
(2019/8/8)
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