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九十九里浜
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  • ●東洋のドーバーが生んだ砂浜
房総半島の東岸の太平洋側、屏風ヶ浦の南端、刑部岬と太東崎の間、約66kmの海岸が九十九里浜です。日本では、静岡県から愛知県にかけて全長115kmある遠州灘の次に大きな海岸になります。一里ごとに屋を立てていくと、99本になったことから源頼朝が九十九里と名付けたといわれ、森・滝・渚全国協議会で日本の渚100選にも選ばれています。
九十九里浜は、日本列島の南岸に沿って流れる黒潮と、南下してくる親潮が交差する場所にあり、浜の両端には東洋のドーバーと呼ばれている屏風岬と太東崎の二つの岬があります。この岬の地層はとても脆く海食されやすいもので、この地層が親潮と黒潮がぶつかる太平洋の荒波に削られ、その土砂が沿岸流に乗って入り江に砂状に堆積していき、九十九里浜ができました。
かつては年間1mの速度で削られていましたが、侵食が激しいために、第二次大戦後、護岸や人工構造物で海食対策を行いました。ところがその影響で、九十九里浜に供給される砂が少なくなり、現在では砂浜が減少するという事態が発生しています。匝瑳市の堀川浜海水浴場では、約100mあった砂浜が10~20m程まで縮小してしまいました。更に、波打ち際の傾斜が急になって満潮時には水深が深くなって危険なため、2009年に閉鎖されるなど、九十九里浜はその姿を変えつつあります。
変貌する海岸
  • ●地曳網と九十九里
戦国時代、今の京都や大阪など関西方面で、農業を兼業していた漁民が余った鰯を乾燥させた干鰯(ほしか)を肥料として使うようになりました。江戸時代になり、干鰯が木綿や菜種の栽培に適していたことから、需要が拡大しました。一方、鰯の漁獲高は減少してしまったため、当時中心となっていた紀州の漁民たちは新たな漁場を求め、太平洋岸各地に漁場を求め、地曳網などの漁法を伝播させていきました。
九十九里浜もその一つで、紀州から来た漁民たちが地曳網で鰯を獲り、干鰯を作って関西方面に輸送していました。1703年に関東地方を襲った元禄地震の大津波で、紀州から鰯を求めて来ていた漁民が壊滅的な被害を受けたことから、地曳網による鰯漁の中心は地元九十九里の漁民たちに移りました。
九十九里で生産された干鰯は江戸でも盛んに利用されるようになり、大網から千葉市の登戸までを、当時土気街道と呼ばれていた街道を通り、船で江戸へ運ばれていました。
港の風景
●サーフスポットとしての九十九里浜
明治時代には漁法も変わり、大型の漁船が使われるようになると、九十九里浜は遠浅な砂浜海岸のため港を建設しにくいことから、次第に観光地へと変化していきます。 1902年に、今の片貝海岸付近に無料休憩所が設置されたことで、九十九里浜の海水浴場が誕生しました。第2次世界大戦後の高度経済成長期には、海水浴客のための海の家や民宿が作られ、1960年代には海水浴ブームとともに、九十九里浜は観光地化していきました。
また、戦後駐留していたアメリカ軍がレジャー施設として訪れるようになり、1960年代にはその影響を受け、サーフィンを楽しむ日本人が増えていきました。1970年代には日本でサーフィンブームが到来、九十九里浜はサーフスポットとして定着しサーフショップなどもできるようになっていきました。
2020年の東京オリンピックで、日本有数のサーフスポットである一ノ宮町の釣ヶ崎海岸が会場になることが決定し、その経済効果も期待されています。
時代とともに変化してきた九十九里浜を千葉の資源として守り、オリンピックが終わっても千葉の資産として守って行きたいものです。
サーフィン
(2018/12/10)
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