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千葉のイチオシ
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チバビズドットコムのイチオシ。
千葉のオススメ名物・名所を紹介。
知られざる千葉がまだまだあります。

利根川
利根川
  • ●利根川の大改修
利根川は、新潟県と群馬県の境の大水上山(おおみなかみやま)を水源に太平洋へ注ぐ河川で、昔は洪水や水害が多い日本三大暴れ川の一つとしても知られていました。また、利根川は坂東太郎、筑後川は筑紫二郎、吉野川は四国三郎の異名を持っていました。
徳川家康が豊臣秀吉に命ぜられ江戸に入府しましたが、当時の江戸にはたくさんの河川が流れ、洪水が多発し、大規模な治水事業を行わざるを得ない状況でした。そこで家康が関東代官頭の伊奈備前守忠次に大規模な治水・利水事業を命じて始まったのが、文禄3年(1591年)でした。それは江戸幕府創設前のことで徳川家康がまだ征夷大将軍に任ぜられる前でした。
当時の利根川は東京湾に流れていて、鬼怒川と小貝川が合流した常陸川が銚子から太平洋へ流れ出ていました。利根川を人工的に銚子へと流れるようにした「利根川東遷」と呼ばれた一連の事業は、元和七年(1621年)から承応三年(1654年)まで行われました。
昔と今の利根川
  • ●江戸を支えた利根川
幕府が利根川の東遷事業を行ったのは、江戸や利根川流域の水害対策としての治水工事と、仙台藩の伊達氏を仮想敵国とした江戸防衛のための大外堀として利用する軍事目的という説があります。
江戸幕府が開府して首都となった江戸の人口はどんどん増加し、100万人ともいわれる一大都市に成長しました。そのため人口をまかなうための食料供給が大きな問題でした。それを補うための新田の開発、街道や当時の物流の中心であった水運の整備が必要で、それを支える千葉県地域の役割は大きいものでした。
利根川東遷で水運が改善され、銚子から利根川を上り、関宿を通過し、開削された江戸川を通って江戸へと物資が運ばれるようになりました。遠く東北地方からの物資も、房総半島を回る太平洋の海路から利根川の水路を通るようになり、江戸への通過点の野田市関宿には関所が設けられました。関所があった付近には、関宿城を再現した千葉県立関宿城博物館が建てられ、当時の資料などが展示されています。
利根川と江戸川
関宿博物館と江戸時代の利根川、江戸川、東京湾
●利根川水運が今の千葉につながる
利根川を利用して物資を輸送していた代表的な船が高瀬舟です。この船は米俵に換算すると、大きい物で1,200俵、平均5〜600俵を積むことができ、船底が平らで浅瀬でも航行することができました。
船の物流が始まると、荷物を積み下ろしする河岸(かし)が発達しました。河岸の数は多い時で160箇所にものぼり、今も小江戸として当時の面影を残す佐原もその一つでした。
この水運の発達によって、米をはじめとした農産物、銚子から水揚げされる魚、銚子や野田の醤油、流山の白味醂、味噌、酒などの醸造品は千葉を代表する産物になっていきました。その後、鉄道輸送からトラック輸送、空の輸送へと変化してきましたが、大都市東京を支える様々な産業が根付いている千葉の基礎となったのは、江戸の大都市と利根川水運があったからでしょう。
関宿博物館と高瀬舟
当時の河岸と現在の利根川
(2018/10/10)
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