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千葉の注目ポイントをご紹介します。

千葉の観光
鋸山
  • ●観光を支えた寺社
推定110万人を抱える江戸の食糧供給基地として発展を遂げた千葉県は、それと共に観光地としての側面も注目されるようになりました。
当時物流の動脈になっていた利根川水運は、物流と同時に観光客も呼び込むようになりました。利根川水運を利用して訪れる観光客は、香取神宮、鹿島神宮、息栖(いきす)神社の東国三社詣でや、千葉県内にある七つの寺院も含んだ坂東三十三観音への詣でなど、信仰の旅で訪れていたようです。
他にも日蓮宗の開祖、日蓮の生誕の地として鴨川市の誕生寺や清澄寺にも多くの信者がやってきたそうです。
江戸後期には当時江戸で大スターだった、初代市川團十郎が成田山のお不動さんに願をかけたことで後継ぎの子供を授かったことから、成田のお不動さんの霊験をテーマとした芝居を作るなど、現代でいえば成田山のプロモーションをしたおかげで、庶民たちの間に成田山の評価が高まり、こぞって成田参りをするようになったということです。
また、成田山では「出開帳」という遠く地方にある有名な仏像を江戸に運んできて、今でいう博物館の展示のようなイベントも行っていたようです。
香取神宮と成田山
●リゾート地として
明治になると人々の生活は大きく変わってきます。江戸時代から交通の要所として利根川水運が鉄道に置き換わり、人々の足として鉄道が使われるようになってきました。
明治20年代になると健康増進のための海水浴が奨励されると、現在の千葉市稲毛区の海岸に海水浴場を備えた療養所が設置されるようになりました。施設の案内をする冊子が作られた他、文人なども訪れるようになり、それが外房の片貝海岸などにも波及しました。現在の一宮海岸は、避暑寒地としての海水浴場や別荘ができ、海水浴場発祥の地、神奈川の大磯と肩を並べるべく、「東の大磯」と呼ばれるようになりました。
大正から昭和初期にかけて鉄道はさらに発達し、内房、外房に避暑地や観光地が作られていきました。
1907年(明治40年)に現在の松戸競馬場が移転し、1920年(大正9年)に中山競馬倶楽部と名称を変えたのが、現在の中山競馬場です。
また、現在の習志野市谷津は元々塩田地でしたが、1925年(大正14年)に海岸地帯を埋め立てて娯楽施設「京成遊園地」として遊園地が開設されました。
稲毛浜と谷津干潟
●有名レジャーランドが目玉に
太平洋戦後千葉県は県内各地で大規模開発が行われ、京葉工業地帯が建設されると共にベッドタウンとしての開発も進みました。
1955年(昭和30年)にはプールや遊戯施設なども併設した温泉施設、船橋ヘルスセンターがオープンしました。その後1960年(昭和35年)にはマザー牧場のオープン、1970年(昭和45年)には鴨川シーワールド、1983年(昭和58年)には東京ディズニーランドがオープンするなど、現在でも有名なレジャーランドが続々オープンしました。また、1980年代以降、健康ランド(スパ)ブームが始まり、千葉県内にも日帰り温泉を含む様々な温浴施設もできました。
千葉県も2008年には観光立件の推進に関する条例を公布し、観光作りの促進やまちづくり、地域づくりなどに取り組んできました。
観光立県を目指して進んできた千葉県ですが、2019年(令和元年)9月9日の台風15号、10月12日の台風19号、更に10月25日には台風21号と低気圧の影響による豪雨被害により観光業や観光施設に大きな痛手を受けました。
被災地の皆様からは「とにかく来てほしい」「観光に来てお金を落としてほしい」との声も聞こえてきます。被災地を支援するためにも、千葉に遊びに来て千葉の観光を大いに楽しんでいただきたいと思います。
水仙と花祭り
(2019/12/10)
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