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ちばのたね
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千葉の人でも意外と知らなかった特徴と魅力。
チバビズの視点を通して、
街の新しいビジネスの種を見つけてください。

ちばのたね バックナンバー(1~12)
御宿町(おんじゅくまち)
地図
海洋性気候のリゾート地「御宿」
 御宿町は年間の平均気温が16°と冬は暖かく夏は涼しく過ごしやすい海洋性気候の外房の町で、海岸線は南房総国定公園に指定されています。この特定公園のエリアも含めた町の中心部は平地ですが、大半は房総丘陵の丘陵や山間部が占めています。「御宿」という名前は、鎌倉時代に北条時頼がこの地を訪れ、滞在した時に詠んだ歌の「御宿」がそのまま地名になったと伝えられています。
 漁業では大原漁港と並んで伊勢エビ漁が有名で、毎年秋には「おんじゅく伊勢えび祭り」が開催されています。かつては、三重県の志摩、石川県舳倉島と並んで日本三大海女地帯のひとつでしたが、現在、海女さんは一人もいなくなってしまいました。
 農業は県内の他の地域に比べ米の生産比率は低く、花木などの農産高の合計と畜産関連の生産高の合計がほぼ同じ金額の出荷高になっています。
 最大の産業は観光関連で、海岸沿いにはホテルやリゾートマンションなどが建ち並び、観光客を迎えるリゾート地の様相を呈しています。
 アクセスは、町の海側を縦断するJR東日本外房線の御宿駅が唯一の駅となり、圏央道(高速道路)の茂原長南インターチェンジから御宿町まで約60分と、残念ながらあまりよくありません。その他、国道128号線(別名:黒潮ライン)が外房線と並行するように町を縦断しています。
JR外房線御宿駅
JR外房線御宿駅
国道128号線
国道128号線

リゾートホテル
ビーチ沿いに建つリゾートホテル
川沿いリゾートホテル
ビーチを望む町内を流れる清水川沿いのリゾートマンション

美談と童謡の町
 御宿海水浴場から北方向に目を向けると、台地の上に細長いロウソクのような「日西墨三国交通発祥記念之碑(通称メキシコ記念塔)を見ることができます。
 今から約400年前の1609年(慶長14年)にフィリピン諸島総督「ドン・ロドリゴ」が「サンフランシスコ号」に乗り、マニラからメキシコのアカプルコに向け航海の途中、現在の御宿町岩和田沖で遭難し、当時の村人が総出で乗組員総勢373名中317人を救助しました。救助された乗組員は村人から介護を受け、その後鎖国だったにもかかわらず、徳川幕府は救助された乗組員を無事にメキシコに帰国させました。この史実がきっかけで、遭難から約300年後の1928年(昭和3年)に、日本とスペイン、更に当時スペインの属領だったメキシコの3国が協力してこの塔が建てられました。
 また、御宿海水浴場にはラクダに乗った二人の像があります。この像は、童謡「月の沙漠」が御宿の海岸の風景から発想してできたことを記念して作られたものです。作詞者の「加藤まさを」は、大正から昭和にかけて挿絵画家として活躍した人で、肺結核の療養で御宿に滞在していたことがあり、この海岸の風景から発想して作詞したといわれています。像の周辺には観光客が順番待ちして記念写真を撮る姿が見受けられ、インスタスポットにもなっています。
 1970年代に入るとサーフィンブームになり、千葉の外房地域もサーフスポットとしてサーファー達がやって来るようになりました。海水浴客で賑わう御宿も同様で、彼らはオフシーズンでも御宿を訪れサーフィンを楽しんでいます。今では、御宿海水浴場には「おんじゅくウォーターパーク」というプールも出来、海水浴場、サーフスポットとして多くの観光客が訪れています。
上陸の地
実際にドン・ロドリゴたちが救出されたとされる上陸の地
メキシコ記念塔
メキシコ記念講演にそびえ立つメキシコ記念塔

記念碑と記念像
御宿海岸にある月の沙漠の記念碑と記念像 
ポーズをとって撮影
記念像では観光客が次々とポーズをとって撮影している

生涯活躍のまちへの取り組み
 御宿町では2006年(平成18年)から毎年2月の中旬から3月3日まで、勝浦の「かつうらビッグひな祭り」と連動したイベント「まちかどつるし雛めぐり」が開催されます。町の協力店にはつるし雛が飾られ、観光客が自由に見学することができます。また、会期中月の沙漠記念館には町内の有志たちが作った沢山のカラフルなつるし雛が集められ展示され、多くの観光客が訪れています。
 また夏には「おんじゅく花火大会」や「ビーチバレー ムーンカップ IN 御宿」、「アームレスリング大会」、秋には「網代湾横断水泳大会(オーシャンスイムレース)」、「全日本学生ライフセービング選手権大会 東日本予選」など様々なイベントが開催され、1年を通して観光客が訪れるよう努力しています。
 一方、御宿町の内陸部の御宿台には1980年代半ばから西武鉄道と官民共同で開発したリゾート「御宿グリーンタウン」が開発され、中高年者を中心とする都市住民の移住や二地域居住地としても発展してきましたが、まち開きから30年が経ち、住人の高齢化が進み、町内で最も高齢者数が多くなってきました。町ではこの問題を解決するため、住民の紹介に渡る活躍の場の提供、いきがいの創出、安心して暮らせる体制の構築を進めようと『生涯活躍のまち・おんじゅく(おんじゅくまるごと生涯活躍・安心のまち)』を策定し、2018年(平成30年)に認定を受け、雇用創出や人口減少抑制に寄与する政策を推進しています。
 アクセスには若干ハンデを持ちながら、冬は暖かく夏は涼しく過ごしやすい気候と、美味しい食材を武器に、御宿町は「海」と「海産物」とイベントで観光客を集客しつつ、「生涯活躍のまち」の取り組みで住人と移住者をケアすることでこれからも発展していくでしょう。
月の沙漠記念館
月の沙漠記念館
吊るし雛
ひなまつり開催中記念館に飾られている吊るし雛

御宿町役場
洒落た外観の御宿町役場
御宿西武グリーンタウン
外国の高級住宅街を思わせる御宿西武グリーンタウン

(2020/4/10)
芝山町(しばやままち)
地図
日本一短い鉄道がある町
 芝山町は千葉県の北東部、下総台地のほぼ中央に位置し、成田市に隣接しています。令和元年12月1日現在の人口統計によれば、県内で5番目に少ない7,055人の小さな町です。
 主な産業は野菜類の栽培を中心とした農業で、空港に隣接していることから臨空工業団地(芝山第2工業団地、空港南部工業団地)などがあり、物流関係をはじめとした企業が進出して雇用の創出や町の財政の健全化に貢献しています。
 町内へのアクセスは、国道296号線が横断しており、最寄りの高速道路は、北は東関東自動車道の空港内にある新空港インターチェンジ、南には銚子連絡道路の横芝光インターチェンジがあります。また、町を縦断している県道62号線(成田松尾線)は別名「芝山はにわ道」と呼ばれ、道のあちこちに「はにわ」が置かれています。
 唯一町内を走る芝山鉄道は、成田空港建設の際に空港東側地域の住民や企業への補償のために第三セクターの会社として設立されました。その路線は、京成成田空港駅(現京成東成田駅)から先の全長2.2kmと日本一短い鉄道で、町内に唯一の駅「芝山千代田駅」があります。
モニュメント
「芝山はにわ道」にはいたるところに
「はにわ」のモニュメントが点在している
芝山千代田駅
町内唯一の芝山鉄道の「芝山千代田駅」

「はにわ」と空港の町
 町内には5世紀から7世紀に作られた古墳群があり、「はにわ」などが多く出土しています。また、町内の天応山観音教寺(てんのうざんかんのんきょうじ)は、781年(天応元年)に征東大使の藤原継縄(ふじわらのつぐただ)がこの地を訪れ、十一面観世音菩薩を安置したのが始まりとされ、寺の仁王門に安置される仁王尊は「芝山仁王尊」と呼ばれ、火事除け、泥棒除けにご利益があるといわれています。芝山町の「芝山」は、この仁王尊からきているともいわれ、成田に鉄道が引かれるまでは「成田山新勝寺」と人気を二分していたようです。
 観音教寺が中心となって発掘した殿塚・姫塚からは、多くの「はにわ」が出土したことから、1996年(平成8年)に本堂に隣接している「芝山はにわ博物館」が新設されました。
 鉄道空白地域の便を図るため、1911年(明治44年)に成田―多古間を成田鉄道(現在のバス会社、千葉交通の前身)が「成田鉄道多古線」として開業しました。その頃は芝山町にも駅がありましたが、1944年(昭和19年)に廃線となり、現在はバス路線へと置き換わっています。
 1960年代になると年々増大する航空機の重要性が高まり、滑走路の拡充などを改善するため羽田に替わる都市空港候補地の中から、成田市三里塚が建設予定地となりました。三里塚に決まった理由は、東京に近く国有地の御料牧場や県有林を活用できる上、周辺の土地の多くは戦後開拓の入植地だったため用地買収が容易に進むと考えられたからでした。この決定で、三里塚闘争をはじめとする反対運動やテロ事件などが頻発しましたが、空港の建設は企業進出や空港に関係する起業などにより、町に多くの貢献をしたことも事実です。
芝山仁王尊
成田山と人気を二分していた芝山仁王尊(仁王門)
多古線橋台跡
成田鉄道多古線橋台跡(成田市土屋)

歴史と空港がある町
 芝山町は空港に隣接しているためアクセスも良く、古墳などの遺跡やゴルフ場、航空科学博物館などの他、道の駅「風和里しばやま」や空の駅「風和里しばやま」では地元産の野菜や特産物などが販売されています。
 行楽・観光地としても気軽に行けるスポットになっている芝山町ですが、やはり他の市町村と同様に「高齢化」や「人口の減少」などの問題を抱えています。成田市の市街よりも身近に空港があり、成田市、富里市、栄町、神崎町、多古町との市町村合併も検討されていましたが、成田市が難色を示すなどで実現はしませんでした。
 芝山町は2020年度から2024年度までの5年間の「第2次 芝山町 まち・ひと・しごと 創生総合戦略」と題した総合計画を発表しました。計画は「①安定した雇用の創出」「②新しいひとの流れをつくる」「③若い世代の結婚・出産・子育ての希望をかなえる」「④時代に合った地域をつくる」「⑤安心なくらしを守る」と5つの基本目標が掲げられ、それを実行するための様々な取り組みが行われています。
 歴史と空港がある町「芝山町」の今後の動向が注目されます。
道の駅「風和里しばやま」
道の駅「風和里しばやま」
空の駅「風和里しばやま」
空の駅「風和里しばやま」

航空科学博物館
航空科学博物館
ひこうきの丘
空港が一望できる「ひこうきの丘」

(2020/3/10)
長柄町(ながらまち)
地図
房総の「へそ」長柄町
 長柄町は、房総半島の中央部房総丘陵に位置し、平地が少なく山が多い地形で、大きな川が無いため水源を確保するための溜池・ダムが数多くあります。中でも長柄ダムのダム湖の市津湖は、地域の水源確保を目的として作られました。
 昭和30年4月29日、長柄村、日吉村、水上村の3村が合併し長柄町として発足しました。平成27年の国勢調査では、人口が7,337人と千葉県の54市町村中52位で、県下でも人口の少ない地域です。
 主な産業は農業で、米とネギやトマト、キュウリなどの野菜、乳用牛の生産が主で、他に民間の観光施設などが複数点在しています。
 町内には鉄道の駅は無く、北部を横断する14号線が唯一の国道となっています。東端を首都圏中央連絡自動車道が縦断していますが、現在インターチェンジはありません。しかし、2020年2月16日には長柄町と茂原市国府関をまたいだ「茂原長柄スマートインターチェンジ」が開通する予定で、それにより、県内外から長柄町までのアクセスが格段に良くなります。
ダム湖の市津湖
ダム湖の市津湖
田円風景
町内のいたるところに見られる田園風景

古代の遺跡~町内に点在する長柄横穴群
 長柄町の周辺は古くから人が住んでいた地域で、旧石器時代の石器、縄文土器の出土する遺跡や、全国的にも珍しい高壇式の横穴墓が分布しています。この横穴墓は、「長柄横穴群(ながらよこあなぐん)」という名称で、1995年(平成7年)に国の史跡に指定され、2008年(平成20年)には、「ちば遺産100選」にも選定されました。
 奈良時代の後半774年(宝亀5年)、藤原黒麻呂が朝廷から上総国(かずさのくに)の長官にあたる上総介(かずさのすけ)に任じられました。着任後、黒麻呂は当初は茂原地区を牛や軍馬の飼育や繁殖のため放牧しておく私牧(しまき)にしていましたが、この私牧を開墾して「藻原荘(もがばらのしょう)」という荘園にしました。
 その後、黒麻呂は新たに現在の長柄町の地域も取得して「田代荘」とし、この荘園は子供の春継まで続き、この時期に長柄町が発展していったことは、その後の歴史的な遺産でも想像することができます。
 現在、東京国立博物館に所蔵され重要文化財に指定されている梵鐘は、千葉県最古の古鐘で、平安時代後期の1013年(長和2年)に開基された臨済宗妙心寺派の眼蔵寺にありました。
 また、鎌倉時代末期に造られた国指定文化財の木造不動明王坐像は、顕本法華宗の飯尾寺(いいおじ)にあり、本堂の欄間には葛飾北斎にも影響を与えたといわれている「波の伊八」の龍の彫刻があります。更に、江戸時代1670年(寛文10年)に作られ、千葉県内では最古のものといわれている、寺には珍しい「狛犬」が本堂前に置かれており、これも町の指定文化財になっています。
長柄横穴群
長柄横穴群
横穴の中を見られる
横穴の中を見られるようになっている

棺座
左右に遺体を置いた場所(棺座~かんざ)
解説ボード
中の様子を解説したボード

レジャー複合施設とロケ地
 長柄町は、東京ドーム70個分の広大な敷地にホテルをはじめ、各種スポーツ施設やクリニックを併設した観光施設「リソルの森」、観光牧場の秋元牧場、3つのゴルフ場など、リゾート地としての顔を持っています。更に、町内の野菜などの販売を中心にした道の駅「ながら」、町営の福祉センターの天然温泉「ながら温泉」など、観光客が訪れるような地域の施設も揃っています。
 知る人ぞ知るロケ地の「ロングウッドステーション」も特筆すべき特長です。当初、この施設は2004年に長柄ダムに隣接したショッピングセンターとして「アウトレットコンサート長柄」として開業しましたが、親会社の倒産で一度2009年3月に閉鎖されました。その後経営が変わり、同9月に「ロングウッドステーション」として開業しましたが、通年営業はせず、イベント会場やドラマ・映画やミュージックビデオのロケーション撮影のスタジオとして利用される施設になりました。
 このロングウッドステーションは様々な撮影に使われており、2014年に全編ワンカットの撮影で注目された、アメリカのロックバンド「オーケー・ゴー」の「I Won't Let You Down」のミュージックビデオもここで撮影されました。
 2019年9月9日千葉県に上陸した台風15号で、長柄町でも停電、倒木などの被害が相次ぎました。また、10月25日に千葉県を襲った台風21号の豪雨でも、土砂崩れなどで2名の方がお亡くなりになるなど、2019年は自然災害の被害を受けましたが、観光施設が充実している観光の町としてその特徴を保っています。今後は町内に高速道路のインターチェンジもでき、アクセスも向上して更に充実していくでしょう。
リソル生命の森のホテル
リソル生命の森(写真はホテル)
リソル生命の森
リソル生命の森

ロングウッドステーション 
ロングウッドステーション
農産物加工施設
ロングウッドステーションの隣には町の農産物加工施設が

(2020/2/10)
神崎町(こうざきまち)
農業のまち、発酵のまち
 神崎町は5,827人(千葉県毎月常住人口調査:令和元年10月1日現在)と千葉県内で最も人口が少ない町です。千葉県北部の成田市と香取市に隣接し、利根川を挟み対岸は茨城県稲敷市に隣接しています。
 産業の基幹は、平坦で肥沃な土壌を生かした稲作をはじめとした農業で、出荷額は米作が最も多く、芋類、乳用牛、野菜などが続きます。
 また、良質なコメの産地で、地下水にも恵まれ、江戸時代には物流の動脈になっていた利根川沿岸だったことから、醸造業が盛んになりました。
 アクセス環境は、JR成田線の下総神崎駅があり、国道356号線が町の北部を横断しています。町を縦断しているのは、高速道路の首都圏中央連絡自動車道(圏央道)で、地域の利便性を大きく高めた神崎インターチェンジがあります。また、自転車専用道路の「千葉県道409号佐原我孫子自転車道線」が利根川沿いを通っており、多くのサイクリスト達が訪れています。
広がる田園風景
町内に広がる田園風景
佐原我孫子自転車道
佐原我孫子自転車道

古くから人が住み、水戸黄門も訪れた町
 近隣の市町村と同様に、西ノ城貝塚(にしのじょうかいづか)や古墳が発掘され、古代から人が住んでいたことが伺えます。平安時代には神埼荘(かんざきしょう)という荘園があり、千葉一族の支配後、江戸時代には天領や旗本領、高岡藩の領地などになっていました。
 その頃には水郷の早場米産地として知られ、米は江戸へと運ばれていました。また、当時物流の中心だった利根川水運のおかげで河港としても発達し、その恵まれた環境により、日本酒、醤油、味噌などを江戸の供給する発酵食品の生産地としても発達しました。 「激しい産地間競争等を通じ近代産業へと発展した利根川流域等の醸造業の歩みを物語る近代化産業遺産群」と名付けられた経済産業省が認定した文化遺産の中に、神崎町のフジハン醤油(旧米蔵、醤油蔵、店舗)も選ばれています。
 歴史的文化財では、町の中心部にある神崎神社に「神崎神社文書」と呼ばれる鎌倉時代初期から室町時代初期にかけての神崎荘及び神社関係の文書が保存され、千葉県指定有形文化財になっています。更に、境内にあるクスノキは国指定の天然記念物に指定され、別名「ナンジャモンジャの木」と呼ばれています。「水戸黄門」で知られる水戸光圀が延宝2年(1674年)にこの神社を訪れた時に、「この木は何というもんじゃろうか」と「自問し、感嘆した」からだと伝えられています。
神崎神社
神崎神社
大クス
社の隣にある神崎の大クス(別名ナンジャモンジャの木)

発酵で町おこしに取り組む
 江戸時代に利根川の水運で栄えた醸造業は、当時より数は減ったものの、日本酒製造の鍋店株式会社、株式会社寺田本家や醤油製造のフジハン醤油株式会社、味噌製造の平甚酒店、糀・味噌製造の鈴木糀店をはじめ、発酵を生業とした店が今でも残っています。神崎町では「発酵の里」をキャッチフレーズに町おこしに取り組むことになり、鍋店株式会社や株式会社寺田本家が新酒の季節に開催していた新種発売のイベントを、2009年から二つの酒蔵を中心に町ぐるみで始めたのが「酒蔵祭り」です。
 初年度には2万人の集客を実現し、その後毎年様々なイベントや体験イベントも開催するようになり、「酒蔵祭り」年々進化を続けています。
 更に、2015年には圏央道のインターチェンジに隣接した道の駅「発酵の里こうざき」をオープンし、「発酵」をテーマに神崎の発酵食品はもとより、全国から選りすぐりの発酵食品集め人気を博しています。
 千葉でいちばん人口が少ない神崎町は、これからも「発酵の里」として全国に、そして世界に知られる町になっていくことでしょう。
神崎酒造
鍋店株式会社 神崎酒造
稚魚が放流
寺田本家

フジハン醤油
フジハン醤油
発酵の里神崎
道の駅 発酵の里神崎

(2020/1/10)
横芝光町(よこしばひかりまち)
農業の町
 2006年に山武郡横芝町と匝瑳郡光町が合併し発足した横芝光町は、千葉県北東部に位置し、九十九里浜、九十九里平野のほぼ中央に位置しています。
 北部には一部標高が高い場所があるもののほぼ平野で、町の中央を九十九里平野最大の栗山川が流れています。
 最新の経済センサスの結果では、農家数が1,162件、漁業経営体数が5件、工業の事業所数が57件、商業の事業者数が267件と農業が圧倒的に多く、農作物の出荷額では米作、野菜、畜産の順となっています。
 14世紀中ごろに千葉氏が築城した坂田城址に咲く1,000本の梅は、県下最大級の坂田城址梅林として毎年2月~3月上旬には梅まつりが開催されています。この梅は横芝光町の特産物の果実として栽培しているもので、梅干しの他、梅酒や梅ジャムなどの加工品として販売されています。また、「ひかりねぎ」のブランド名で高く評価されている長ネギもあります。
 畜産は養豚が盛んなので、ホルモンが名物食材として町内の飲食店のメニューになっている他、大木式ハム・ソーセージが町内のスーパーや直売所で販売されています。このハム・ソーセージは、明治28年現在の横芝光町で生まれた日本のハム・ソーセージの父といわれた大木市蔵が残したレシピを再現したものです。
 鉄道駅は総武本線の横芝駅があり、国道は126号線が横断している他、町の中央付近に首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の松尾インターチェンジから分岐した自動車専用道路の現在の終点があります。
田園風景
いたる所にある田園風景
ネギ畑
名産のネギ畑

坂田城跡の梅林
坂田城跡の梅林 春には満開の花が
JR総武本線横芝駅
JR総武本線横芝駅

「成田山とのゆかり」そして仏教と儒学の町
 横芝光町には、縄文時代後期には縄文人が生活していた跡として貝塚がいくつか残っています。また、古墳時代に作られた小川大古墳群や芝山古墳群も残っており、弥生時代からは稲作が盛んに行われ、古代から沢山の住人がいたことが伺えます。
 成田山とのゆかりのきっかけは、平安時代の939年(天慶2年)に一時関東を支配下に置いて新皇と称していた平将門が起こした「平将門の乱」でした。この反乱を鎮めるために真言宗の高僧「寛朝」が、難波の津(古代の大阪湾)から船で不動明王の像を運び、横芝光町に流れる大布川の河口付近に上陸したとされています。この寛朝が運んだ不動明王は成田山へと運ばれ、本尊になりました。
 現在の横芝光町の海岸、大布川の河口には、「御本尊不動明王上陸之地」として鳥居と不動明王像が建てられています。
 仏教とのかかわりは、民衆にも残っています。それは鎌倉時代初期に始まったとされる広済寺で毎年8月に行われる鬼来迎(きらいこう)という仏教劇です。この鬼来迎は、「地獄の様相と菩薩の救い」を仮面狂言にしたもので、日本唯一の民俗芸能といわれ、1975年(昭和50年)に重要無形民俗文化財の指定を受けました。
 更に横芝光町は、江戸時代に学問として幕府でも重要視された儒教の世界の偉人、海保漁村(かいほ ぎょそん)も輩出しています。1798年(寛政10年)に横芝光町で生まれ、身分の隔たりなく庶民の子弟に学問を教え評価を得ました。その門弟の中には、明治維新後近代日本を前進させる原動力となった政治家の鳩山和夫や実業家の渋沢栄一などもいたといわれています。漁村生家跡は「海保漁村先生誕生之處」として、1939年(昭和14年)に千葉県の指定史跡になりました。
プレート
千葉県指定史跡のプレート
記念碑
海保漁村生誕の地の記念碑

鳥居
成田山御本尊上陸之地に設置された鳥居
不動明王の銅像
成田山御本尊不動明王の銅像

広済寺仁王門
広済寺仁王門
広済寺仁王門説明
広済寺仁王門は江戸時代に建てられた

都心からの近い自然豊かな町
 横芝光町の中央を流れる栗山川は、サケが遡上(そじょう)する南限といわれ、毎年採卵した卵を受精させ、学校などに配布して孵化したサケを毎年3月に放流する「サケ里親事業」が行われています。
 海岸でもある九十九里浜は、「日本の白砂青松100選」と「日本の渚百選」に選定されており、町内にある屋形海岸は、海水浴場やサーフスポットとしても知られ、木戸浜海水浴場は、自然豊かで「ハマヒルガオ」の群生や「アカウミガメ」が産卵する北限の浜として知られています。
 自然豊かな横芝光町には、宿泊して自然をゆったり楽しんでもらうためのコテージなどの施設もでき、日本のアウトドア総合メーカーのモンベルが選んだ、「豊かな自然環境の中でアウトドア・アクティビティを楽しめるおすすめのフィールド」として選定している「フレンドエリア」に千葉県で唯一選ばれました。
 また、海岸には街灯などがないため、星空の撮影や初日の出などの撮影場所としてもよく使われ、「しんぶん赤旗」に連載された旭爪あかね氏の小説「稲の旋律」を原作に製作された「アンダンテ!~稲の旋律~」のロケ地にもなりました。
 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会では、メキシコの隣、ユカタン半島の付け根に位置するベリーズ国のホストタウンになるなど、東京都心から60~70km圏内とアクセスも良く、農作物が豊富で自然豊かな横芝光町は注目です。
記念碑
サケ稚魚放流記念碑
稚魚が放流
ここからサケの稚魚が放流される

屋形海岸
屋形海岸
栗山川
自然豊かな栗山川

(2019/12/10)
多古町(たこまち)
農業の町多古
 多古町は千葉県の北西部に位置し、下総台地と九十九里平野に挟まれ、町の中央部には鮭の遡上最南端といわれている栗山川が流れています。
 町名の多古という名前は諸説ありますが、多くの湖沼が散在していたところから「多湖」・「多胡」が「多古」になったといわれています。
 産業は農業が主体で、出荷額は野菜が1位、乳用牛、養豚が主体の畜産業が2位で、芋類が3位、「多古米」という千葉県では一番有名なブランド米の生産地ですが、稲作は4位となっています。出荷額3位の芋類の中で、多古産の大和芋は全国屈指の生産量・生産額を誇っています。
 現在町内に鉄道路線は通っていませんが、1911年(明治44年)から1946年(昭和21年)までは成田鉄道多古線が通っており、五辻駅・飯笹駅・染井駅・多古駅の各駅が存在していました。一方、道路は国道296号線が横断しており、町内の動脈となっています。
田園
ブランド米を育てる田園
多古米が販売
道の駅「多古あじさい館」で販売されている多古米

大和芋
多古名産の大和芋
多古線橋跡
成田鉄道多古線橋跡(成田市土屋)

肥沃な土地は歴史にも登場
 多古町は古くから多くの人が住んでいたらしく、九十九里浜から香取海、さらに陸奥国への交通の要衝でした。千葉県北部には数多くの遺跡がありますが、多古町でも遺跡が発見されており、延暦16年(797年)に征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂が蝦夷征討の途中に参拝したと伝えられている松崎神社裏には、千葉県の指定史跡になっている北条塚古墳があります。
 多古町は平安時代末期には貴族の藤原親政の千田荘という荘園でしたが、治承4年(1180年)石橋山の戦いに敗れた源頼朝が房総に逃れ、頼朝に呼応した千葉氏により下総目代が討たれた後、千葉氏の荘園となりました。
 その後、室町時代前期に第14代当主、千葉満胤の次男、馬加 康胤(まくわり やすたね)の裏切りで千田荘に逃れた16代当主の千葉胤直は東禅寺で自害しました。東禅寺には千葉宗家の7基の五輪塔があり、千葉県の史跡になっています。
 徳川家康が江戸に入部すると、保科正光が多古に入部し、天領時代を経て、松平家嫡流の勝義が多古町を治めました。松平家の領地は明治の廃藩置県まで続きました。
 江戸時代中期に始まった町内の八坂神社の祇園祭に演じられる民俗芸能「しいかご舞」は、豊作・無病息災・雨乞い等の願いを込めたもので、1975年(昭和50年)に「多古のしいかご舞」という名称で千葉県の無形民俗文化財に指定され、1976年(昭和51年)には選択無形民俗文化財にも選ばれました。
北条塚古墳
松崎神社境内の北条塚古墳
千葉胤直の墓
東禅寺の千葉胤直の墓(多古町指定史跡)

八坂神社
八坂神社
プレート
八坂神社の「しいかご舞」を説明するプレート

世界にはばたけ多古米
 多古町のランドマークとも言える道の駅「多古あじさい館」は、国道296号線沿い、町内を横断する栗山川のほとりの田園地帯に作られ、川両岸のあじさい遊歩道には、春は菜の花、初夏は紫陽花、秋はコスモスが咲き、人々の目を楽しませています。
 館内には多古町の物産や加工品の販売の他、多古町の観光情報コーナー等、栗山川を遊覧する観光船もあり、その田園風景を眺めることができます。
 多古米はミネラル分が豊富な土壌で育ち、とても粘りがあって美味しく、1963年(昭和38年)には天皇陛下の献上米に選ばれ、1971年(昭和46年)には「全国自主米品評会」において食味日本一に輝きました。
 2013年(平成 25年)3月に開催された、すしの調理技術を競う「ワールドスシカップ・ジャパン2013」で公式米として採用されたことがきっかけとなり、多古米は海外で活躍するシェフにも知られるようになり、海外への輸出に取り組むことになりました。
 更に、名産の大和芋やさつま芋を使った料理や多古米で造った日本酒なども合わせて広めることで、ブランド米「多古米」を海外へ発信する努力を続けています。
 弥生時代から始まった米作りは、肥沃な土地に恵まれた多古町だからこそできるものです。多古米を農業県千葉のブランド米として、更にその価値を上げていってほしいものです。
遊覧船
道の駅多古あじさい館の裏手の栗山川の遊覧船
あじさい遊歩道
栗山川沿いの整備されたあじさい遊歩道

(2019/10/10)
白子町(しらこまち)
太平洋に面した玉ねぎの町
 白子町は千葉県東部の長生村、一宮町、睦沢町、長柄町、長南町と共に長生郡に属する町です。九十九里浜海岸に面し南部は九十九里平野で、町の中心部を南白亀川が流れ、白子海岸へ流れているため、長生郡の地域で多く見られる用水の確保を目的とした溜池はありません。
 産業の中心は農業と観光業で、九十九里浜は遠浅海岸のため漁港はありません。町内には田園地帯が広がり稲作が盛んですが、町の名産として有名なのは玉ねぎで、毎年5月には玉ねぎ祭りが開催され、県内外から多くの観光客を集めています。 観光業では、町内に5つの海水浴場(剃金・古所・五井・中里・幸治)と20件のホテル・旅館、国民宿舎、ユースホステル、6件の民宿・ペンションがあります。
玉ねぎ祭りでは畑で直接収穫体験も行われている
 町内には鉄道は通っておらず、最寄りの駅は長生村にある外房線の八積駅、茂原市の茂原駅になります。国道も通っていませんが、海岸線を九十九里有料道路が通り、町内の白子インターチェンジがアクセスを向上させています。
袋売り
玉ねぎ祭りでは5kgの袋売りもされている 
パワースポット白子神社
町内のパワースポット白子神社

ガーベラ団地
ハウスが繋がるガーベラ団地 
ガーベラの花
ガーベラ団地の中には沢山のガーベラの花が咲いている

地引網発祥の地
 白子町の気候は黒潮と親潮が出合うため温暖で、沿海には魚類が多く集まり、江戸時代にはイワシの漁場として繁栄していました。紀州の漁民「西宮久助」が悪天候で白子町の海岸に漂着し、紀州で行われていた地引き網を使った漁法を伝えました。白子町は千葉における「地引網」発祥の地で、この効率的な漁法のおかげで獲ったカタクチイワシは天日干しにされ、畑などに使用する干鰯(ほしか)という肥料として流通していました。
 明治維新後は機械揚繰網が登場し、漁船の大型化に対応するための漁港が必要となりましたが、遠浅な砂浜海岸のため対応できなかった白子町など、九十九里浜の漁業は衰退していきました。現在は、農業と観光が産業の中心となり、地引網は観光目的で行われています。
 南白亀川(なばきがわ)の河口近く、九十九里自然公園内の剃金(そりがね)海水浴場の入口付近には、地引網発祥の地の記念碑が建っています。
地引網発祥
九十九里地引網発祥の地碑
地引網発祥の地碑
地引網発祥の地碑は白子町指定文化財にもなっている

天然ガス・温泉・テニスの聖地に
 南関東一帯に分布する日本最大の水溶性天然ガス田があり、千葉県では九十九里沿岸の北は横芝光町、南はいすみ市まで採掘されています。この天然ガスは、上総層郡(かずさそうぐん)と呼ばれる第3紀から第4紀の地層中の砂と泥が交互に繰り返し重なっている地層のうち、地下2000m砂層にはメタンを主成分とする天然ガスが含まれており、白子町ではこの天然ガスと一緒に上がってくる灌水(かんすい)を、数少ないヨードが含まれた温泉として観光の目玉にしています。
 白子町は1960年代初頭に5箇所の海水浴場が開場されたものの、昭和戦前期から海水浴地として発展してきた九十九里町よりも後発であったため、海水浴以外の観光対象を模索するようになりました。1971年に1件の季節民宿が海水浴客用の余暇施設として4面のテニスコートを導入したのをきっかけに、1986年には400面を越すまでになり、季節民宿「テニス民宿」による通年経営を始めました。その後、1989年の温泉導入に伴い高層の宿泊棟や体育館などが建設されました。山中湖や軽井沢との差別化を図り「テニスの町」というイメージを定着させるため、特にジュニア世代の獲得を重視し,ソフトテニス大会の誘致にも力を入れました。
 今では東京都市圏でテニスコート数日本一の「テニスの聖地」として知られ、白子温泉を有する保養地として、これからも発展していくでしょう。
白子温泉源泉
白子温泉源泉
テニスコート
町内にはいたるところにテニスコートがある

(2019/9/10)
栄町(さかえまち)
田園とスーパー堤防の町
 栄町は千葉県北部の中央あたり、印旛沼の印旛地域に位置した町です。
 関東平野に含まれ、町の西北部と南部は平坦で水田地帯が広がり、東部は下総大地で山林や畑が多くあります。町の南には印旛沼があり、北は利根川、町の中心には利根川と印旛沼を繋ぐ長門川、西には将監川(しょうげんがわ)が流れ、町を三つのブロックに分けています。
 産業の中心は農業で、出荷額は水稲栽培が占めています。工業では、利根川沿いに大手企業の食品工場などがある矢口工業団地があり、河川法で「土地の区域内の大部分の土地が通常の利用に供されても計画高水流量を超える流量の洪水の作用に対して耐えることができる規格構造を有する堤防」と規定された日本初の堤防、通称「スーパー堤防」があります。
 町内の国道は356号線が利根川沿いに通っていて、JR成田線我孫子支線が町の北部を横断し、駅は町の東部の安食駅だけです。駅中心に町の繁華街が形成され、駅から離れた龍角寺台は開発され住宅街が造成されています。
広がる田園
町の西部に多く広がる田園
長門川
町の中心を流れる長門川

記念碑
スーパー堤防発祥の地記念碑
上総一ノ宮駅
安食台駅

竜伝説と古墳の町
 町の東部には天台宗の寺院「龍角寺」があります。和同2年(709年)に創建されたと伝えられており、発掘調査でも7世紀よりも古い伽藍が発見されている関東屈指の古寺です。
 龍角寺には、日照り続きを解消するために聖武天皇の命で竜神を祀って雨ごいをしたところ、小龍の化身が大龍にその身をささげて雨を降らせ、人々が助かったという伝説があり、この伝説にちなんで町のイメージキャラクターは「龍夢(ドラム)」という龍になりました。
 この龍角寺参道付近には114の古墳が確認され、この古墳を総称して龍角寺古墳群と呼んでいます。古墳は前方後円墳が37、方墳が6、円墳が71確認されており、6世紀以降に作られたものだとされています。大きさは、前方後円墳は20〜30m、円墳は10〜20mと比較的小規模のものが多くありますが、7世紀前半以降には浅間山古墳や、日本で第二位の大きさの方墳「岩屋古墳」が作られました。
 「岩屋古墳」の付近には「千葉県房総風土記の丘資料館」があり、県内で出土された遺物や龍角寺第101号古墳の埴輪と副葬品、成田市公津原古墳群の石棺と副葬品などの他、房総半島の生い立ちと歴史などが展示されています。
龍角寺
龍角寺
釈迦如来像
龍角寺の本尊 釈迦如来像(模型)

岩屋古墳
岩屋古墳
資料館
風土記の丘資料館

展示スペース
風土記の丘資料館展示スペース
龍夢
栄町のイメージキャラクター「龍夢」

温故知新の町として海外の観光客にも人気
 風土記の丘資料館がある「千葉県立房総のむら」は、江戸末期の街並みや農村をリアルに再現した施設で、「張子」の絵付け体験や鍛冶屋での釘や小刀づくりなどが体験できます。また、国の重要文化財になっている旧学習院初等科正堂や昔の農家の家を移築した旧御子神家住宅、県指定の重要文化財になっている旧平野家住宅などの文化財も移築され、栄町の観光スポットとして多くの観光客を集めています。さらに、併設している栄町の観光拠点「ドラムの里」には観光案内所、レストラン、直売所があり人気スポットになっています。
 施設内には忍者や町娘、侍などに変身して房総のむらの古い建物で撮影ができる「コスプレの館」が設置され、内外のコスプレーヤーや家族連れに人気を博しており、1984年に、外国人観光客が安心して一人旅ができ日本の良さを知ってもらえる「国際観光モデル地区」にも選定されています。
 7世紀創建の龍角寺から古墳時代を経て、江戸の文化を体験できる栄町は成田空港からも近く、海外からの観光客にとって、古代から江戸、明治の日本を知りコスプレも体験できる興味深い町になっています。
 見て体験してもらえる町、栄町は大きく実る「ちばのたね」として期待できるのではないでしょうか。
房総のむら
房総のむら
旧学習院初等科正堂
旧学習院初等科正堂

ドラムの里
ドラムの里
コスプレの館
コスプレの館

(2019/8/8)
一宮町(いちのみやまち)
都心へのアクセスが良い九十九里
 一宮町は千葉県東部いすみ市、睦沢町、長生村に隣接し、太平洋に面した九十九里浜の最南部に位置しています。町内北部には一宮川が流れ、台地に谷が入り込む谷津地形になっており、谷津田という田園風景が広がっています。
 町の北部を横断する一宮川は、千葉県南部の房総丘陵から太平洋に注ぐ二級河川で、流域は古くから上総の国の社会・経済・文化の中心になっていました。この川で獲れたシジミは江戸時代、毎年将軍に献上されていたそうです。現在では河口付近で青海苔の養殖が行われています。
 道路は町内を縦断する国道128号線と九十九里有料道路が町北部で終点となっています。鉄道はJR外房線が通っており、町内には東浪見駅と上総一ノ宮駅の二つの駅があります。特に上総一ノ宮駅は、総武・横須賀線快速の終点にもなっているため、都心からのアクセスも良く、駅周辺は住宅開発が進んでいます。
 九十九里浜に面しているものの、漁港が無いため産業の中心は農業で、米よりも野菜や果物などの出荷額が多くを占めており、トマト、梨、メロンなどの産地になっています。
谷津田風景 
谷津田風景 
一宮川
一宮川

東浪見駅 
東浪見駅 
上総一ノ宮駅
上総一ノ宮駅

上総の一宮
 町名の一宮という名前は、飛鳥時代後期に制定された日本の律令制に基づいて設置された地方行政区分で、最も社格が高い神社からきているものといわれています。
 この町名の元になっている神社が1200年以上になるという歴史のある上総國一宮玉前神社(たまさきじんじゃ)です。
 神話では神武天皇の母親とされる玉依姫命 (たまよりひめのみこと)を祭神とし、9月に行われる上総十二社祭りは、玉依姫命とその一族が由縁のある釣ヶ埼海岸で再会するというもので、一族を祀った12社(現在は一つに統合)が集まった祭りであることから上総十二社祭りと呼ばれています。
 玉前神社近くには、16世紀頃作られたといわれる標高30mの大地を利用した山城の一宮城跡があります。1590年頃までは城がありましたが、戦によって落城した後、廃城となっていました。領主の変遷を経て明暦三年(1657年)には脇坂淡路守安元、また文政九年(1826年)には加納遠江守によって陣屋が設けられた。代々加納家が藩主として続きましたが、1969年(明治2年)に久宜(ひさよし)が藩籍奉還し、陣屋は取り壊されました。
上總國一宮 玉前神社
上總國一宮 玉前神社
釣ヶ埼海岸の鳥居
玉依姫命が上陸したといわれる釣ヶ埼海岸の鳥居

一宮陣屋跡
一宮陣屋跡
記念物史跡

玉依姫命の守護で町は永遠に発展
 夏には町北部の九十九里浜にある一宮海水浴場は海水浴客でにぎわうスポットですが、南端にはもう一つサーファーが集まる釣ケ崎海岸があります。
 町内の海岸線を縦断する県道30号線、別名九十九里ビーチラインには、サーフィン客を迎えるサーフショップやカフェなどの飲食店、民宿、ペンション、ホテルなどが並び、「ここは日本か?」と思うようなおしゃれな店が連なり、一宮町のもう一つの繁華街になっています。
 釣ケ崎海岸には、「世界最高レベル」ともいわれる良質な波を求めて多くのサーファーが訪れ、国内最大級の国際サーフィン大会なども開催されています。またご承知の通り、来年2020年に開催される東京オリンピックのサーフィン会場に決定し、広く海外へもその名が知られるようになりました。
 歴史の町、上総国の中心となる町としての一宮、そして広く世界に知られるサーフィンの一宮と変化を遂げることができたのも、「清新・発祥・開運・再生」など、物事の新しく始まる事象を守護してくれる玉前神社の祭神、玉依姫命のおかげなのかもしれません。
サーフィン会場になった釣ケ崎海岸
2020年東京オリンピックの
サーフィン会場になった釣ケ崎海岸
 

(2019/7/8)
鋸南町(きょなんまち)
内房の漁港の町
 鋸南町は東西10.75km、南北7.3km、総面積45.19k㎡、人口約10,000人、年平均気温17度で冬は比較的暖かく、夏はカラッとしのぎやすい気候に恵まれた、千葉県の南部東京湾に面した内房の町です。北は富津市、東は鴨川市、南は南房総市に隣接し、1959年(昭和34年)に勝山町と保田町が合併して鋸南町になりました。町の北部の富津市との境に鋸山、海岸線は起伏に富んで、保田や勝山など魚が豊富にあがる漁港があるものの、山が海岸線ギリギリまで迫っているため町域の大部分が山間部です。町内西側を国道127号線が町を縦断し、鉄道はJR外房線の保田駅と安房勝山駅の二つの駅があります。
 日本三大水仙群生地で古くは江戸に出荷された、日本水仙が特産物で、他に稲作、畑作、酪農も行われています。
 東京湾の浦賀水道に面しているため、定置網漁業がさかんで、アジ・サバ・カワハギ・イワシ・タイ・スズキ・ブリ・イサキ・カマス・イカ類等豊富な魚種が獲れます。鋸南町保田漁業協同組合直営の食堂「ばんや」は、新鮮な魚が食べられる店として有名で、休日にはたくさんの観光客が順番待ちをする光景を見ることができます。
 勝山漁港沖の浮島では2012年から関東唯一の海面魚類養殖場が作られ、無添加、無投薬のオーガニックで銀鮭の養殖が始まり、「江戸前銀鮭」として高い評価を受けています。
勝山漁港
勝山漁港
保田漁港
保田漁港

保田 漁師食堂ばんや
保田 漁師食堂ばんや
鋸南 日本水仙
鋸南 日本水仙

歴史の中の鋸南町
 鋸南町は古くから海上交通路となっていた浦賀水道に面し、伝説では平安時代末期の1180年(治承4年)から1185年(元暦2年)に伊豆で起こった内乱の石橋山の戦いで敗れた源頼朝が、現在の鋸南町の竜島海岸に逃れ、そこから再起をはかった場所とされ、現在は千葉県の史跡になっています。
 また、鋸南町は有名な浮世絵師との関係も深く、「見返り美人図」で有名な江戸初期に活躍した菱川師宣は鋸南出身で、「道の駅きょなん」に隣接した菱川師宣記念館では、その作品や浮世絵に関する展示、企画展などが開催されています。江戸時代の浮世絵師、歌川広重も保田から見る富士のすばらしさに感動し、「富士三十六景・房州保田海岸」を描いています。
 更に、鋸南町を拠点に活躍した石工、武田石翁(たけだせきおう)は、江戸後期に安房の名工として知られ、多くの作品を残しています。
 明治に入り、海水浴が一般に行われるようになり、千葉では保田海岸が房州海水浴発祥の地になり、夏目漱石や西条八十も海水浴を楽しんだそうです。
源頼朝 上陸の地 竜島海岸
源頼朝 上陸の地 竜島海岸
千葉県指定史跡 上陸の地石碑  
千葉県指定史跡 上陸の地石碑  

菱川師宣記念館
菱川師宣記念館
見返り美人像
見返り美人像

千葉観光の拠点として
 100年以上の歴史を持ちながら2014年に廃校となった保田小学校の校舎を利用し、2015年にオープンしたのが都市交流施設「道の駅 保田小学校」です。飲食店や宿泊施設などは校舎の面影を残しながら営業しています。他にも体育館を改装した千葉のお土産ショップ「きょなん楽市」などもあり、県内の道の駅とは一線を画した人気施設です。
 鋸南町北部には鋸南町と富津市にまたがる鋸山があります。鋸山は正式な名称を乾坤山(けんこんざん)といい、火山から噴出された火山灰が堆積してできる凝灰岩から成り、建築資材に適しているため、「房州石」として江戸時代から盛んに採石が行われました。その結果、採石跡の山肌が鋸のように見えることから鋸山と呼ばれるようになりました。
 鋸山は奈良時代の高僧行基によって開山された曹洞宗の乾坤山日本寺(にほんじ)の境内で、山中には石製大仏座像として日本最大の大仏「薬師瑠璃光如来」、千五百羅漢像、百尺観音像などがあります。また、観光地として有名な「地獄覗き」は国内外の観光客に人気のスポットになっています。
 鋸南町は内房の小さな町ながら、交通の要所から観光の拠点に変化し、地元発の内房の観光スポットとして、これからも地域経済に貢献していくでしょう。
道の駅 保田小学校
道の駅 保田小学校
観光客に人気がある鋸山の地獄除き
観光客に人気がある鋸山の地獄除き

彫られた百尺観音
太平洋戦争の戦没者や交通戦争犠牲者の
供養のために彫られた百尺観音
鎌倉の大仏の約2倍ある日本寺の薬師瑠璃光如来
鎌倉の大仏の約2倍ある日本寺の薬師瑠璃光如来

(2019/6/10)
東庄町(とうのしょうまち)
利根川沿いの稲作の町
 東庄町は千葉県の北東部にあり、銚子市、香取市、旭市に隣接した千葉県内で14ある町のひとつです。西北の笹川周辺は平地で、それ以外は台地になっており、各所に谷津田(谷地にある田)が広がっています。
 人口は14,023人(平成31年3月1日現在)で昭和60年と比べると23%程減少しています。昭和30年に笹川村、神代村、東条村、橘村が合併して東農庄町が誕生しました。町内にはJR成田線の笹川駅、下総橘駅の二つの駅があります。
 産業は農業が中心で、稲作のほか、「ホワイトボール」という名称で商標登録したコカブは京浜市場のシェアでトップを占めています。また、観光客には観光イチゴ農園のいちご狩りが人気となっています。
 養豚業では「東庄SPF豚研究会」が、豚の健康に悪影響を与えると指定された特定の病気が存在しない豚、SPF豚(Specific-Pathogen-Free)を生産し、「東の匠SPF豚」として好評です。
 1724年の創業の笹川の入正醤油株式会社は、1985年(昭和60年)NHK朝の連続ドラマ小説「澪つくし」の舞台になった醤油蔵で、工場見学も受け入れており、醤油の歴史を学ぶことができます。
JR成田線 笹川駅
JR成田線 笹川駅
JR成田線 下総橘駅
JR成田線 下総橘駅

かつて香取海(かとりのうみ)に面した東北方面への玄関口
 東庄町は下総台地の東端付近の丘陵地帯に位置します。北側には、今から約1000年前には内湾のようになっていた香取の海がありましたが、江戸時代の利根川東遷と、それによって利根川を流れてくる土砂が堆積、更に天明の浅間山噴火(1783年)による火山泥の堆積もあり、香取の海は田畑が広がって次第に小さくなり、現在のようになりました。
 一方、町の南東側は、椿海(つばきのうみ)と呼ばれた湖で江戸時代から新田開発のため干拓され、以前は干潟百万石と呼ばれた田園地帯が広がっています。
 東庄町は、江戸時代の笹川繁蔵と飯岡助五郎の二人の侠客の争いを講談にした天保水滸伝の話で有名になりました。現在の東庄町生まれの笹川繁蔵は、笹川一家を張っていました。一方、飯岡漁港で網元として成功した飯岡助五郎は、博徒の親分でありながら十手持ちで、下総一帯に勢力を誇っていました。繁蔵が勢力を増すに従って抗争となり、一度は勝利した繁蔵の謀殺の機会を狙っていた助五郎は、闇討ちで繁蔵を殺害したという事件です。
 講談で知られるようになったこの話は、後に浪曲や小説、映画にもなりました。繁蔵の助っ人の浪人、平手造酒(ひうらてみき)も映画などで人気を博すキャラクターになりました。
 現在、天保水滸伝遺品館で笹川繁蔵愛用品や、平手造酒愛用品など、当時の侠客の風俗を語る遺品が展示されています。
匝瑳市に隣接し椿海だった干潟100万石 
匝瑳市に隣接し椿海だった干潟100万石 
香取海だった里山と田園
香取海だった里山と田園

天保水滸伝遺品館
天保水滸伝遺品館
延命寺にある笹川の繁蔵の碑と平手造酒の墓
延命寺にある笹川の繁蔵の碑と平手造酒の墓

サイクリストが東庄町の「たね」になる?
 千葉県の房総地区ではサイクリング客の需要が高まり、自転車を電車に積んで房総地区に向かう乗客が増えてきましたが、通常の電車では法律上は積載に制限がありました。これに対応するため、JR東日本千葉支社で自転車を分解や折りたたみせずに持ち込めるサイクルトレインを運行していました。しかし、積み下ろしで停車時間が確保できる駅は限られており、これを解消するために用意された車両が、2018年1月から運行を開始したJR東日本の電車がB.B.BACE(房総バイシクルベース)です。
 B.B.BACEでは佐原や銚子方面のコースが用意され、町内には7か所のB.B.BASE特典施設、6か所のB.B.BASEエイドステーションを設置して、訪れるサイクリスト達をサポートしています。
 東庄町には利根川沿いの利根川サイクリングロードの他、サイクリストたちが好む田園風景が広がっており、B.B.BACEだけでなく、車でこの地まで訪れるサイクリスト達へのサポートがもっと充実すれば、東庄町を目指して来てくれるサイクリストが増えてくれると思います。
 サイクリストたちが増えることは、観光の中心となっているイチゴ農園にとどまらず、町民が誇る自然が、資源として更に評価され、東庄町のこれからの発展につながる「たね」となるのではないでしょうか。
サイクリングロード1
サイクリングロード2

利根川沿いのサイクリングロード(銚子、小見川、佐原自転車路線)
(2019/5/13)
長生村(ちょうせいむら)
千葉県で唯一の村
 長生村は千葉県南部、北は白子町、南は一ノ宮町に、西は茂原市、東は太平洋に囲まれている県内唯一の村です。古くは上総の国だった地域で、地形は緩やかで起伏が少なく、気候は温暖で年間降雨量が比較的多い地域です。
 村内には東側の海沿いに九十九里有料道路、西側に国道128号線、鉄道はJR外房線が通っており、村内唯一の駅八積(やつみ)駅があります。
人口は14,429人(平成30年4月1日現在)60歳以上が40%弱を占め、産業は総事業所数469のうち、農業経営体数が約82%(2014年データ)を占める農業地域です。太平洋に面していますが、九十九里の砂浜が続いている地域のため漁港が作れません。また、「千葉といえば」と落花生と共に知られている江戸から続く地引網は、漁としてではなく観光目的で行われています。
一松(ひとつまつ)海岸にはサーファーが
一松(ひとつまつ)海岸にはサーファーが
村内唯一の駅八積駅
村内唯一の駅八積駅
(コミュニティーセンターが併設されている)

高級青海苔の産地
 サーファー達が集まる一松海岸では、年間を通して浜から自由に投げ釣りを楽しむことができ、イシモチ、シロギス、ボラなどを釣ることができます。また、内陸部の鵜沼堰(うぬませき)は、関東でもヘラブラ釣りのメッカとして知られており、通年を通して楽しむことができるスポットです。
 町内に流れる一宮川(いちのみやかわ)の中洲付近、太平洋につながる河口付近の川と海が交わる汽水域で青海苔の養殖が行われ、一松海岸産として高値で取引されています。
また、養殖が行われている中洲を渡って海に出るには、はしけ船で渡るしかなく不便なため、戦後網元の亀吉という人が自力で100mにも及ぶ木造の橋を完成させました。現在は老朽化しているため使用禁止になっていますが、その姿は今でも残っています。
 稲作と野菜の栽培が中心の長生村では、アイガモに田んぼを泳ぎ回って雑草や害虫を食べさせる、アイガモ農法で安心、安全な米を作っているのが特徴です。
一松海岸で投げ釣りをする人の姿も
一松海岸で投げ釣りをする人の姿も
鵜沼堰ではヘラブナ釣りが有名
鵜沼堰ではヘラブナ釣りが有名

今も残る一の宮川にかかる中瀬大橋
今も残る一の宮川にかかる中瀬大橋
あたり一面田園風景が広がる
あたり一面田園風景が広がる

長生村でながいき
 長生村では産業の中心となっている農作物をその名の通り、「長生=ながいき」としてブランド化されています。  中でも九十九里浜のミネラル豊富な砂質土壌と塩分をたっぷり含んだ潮風が、玉葱栽培に適していると言われていて、白子町と共に県内でも有数の玉ねぎの産地となっています。また、若取りの葉を食べる玉ねぎは、「ながいき葉玉ねぎ」と命名され、3月上旬~中旬が旬で甘みが強く糖度はスイカ並みで、長生村の特産物になっています。  他にも高糖度の完熟トマト、「ながいきトマト」など、長生村の農産物は「ながいき」ブランドとして東京近郊に出荷されています。  際立った観光地が無い長生村ですが、全国でも数少ない青海苔の産地、「ながいき」ブランドの野菜、来年2020年には隣の一宮町で行われるオリンピックのサーフィン競技もあり、付近には観光客がたくさん訪れてくれます。この機会に「ながいき=Live Longer」として海外にもアピールしたらどうでしょうか?
ながいき葉玉ねぎ
2020年には隣の一宮町で行われるオリンピックのサーフィン競技も
(2019/4/8)
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