●Vol.73 【ちばのへり】物語の舞台になった町 飯岡
物語の舞台になった町 飯岡
太平洋に面し、かつて津波被害も受けた町
「旧飯岡町」は九十九里浜の東端にあたり、夏には海水浴やサーフィンの客で賑わっている2005年(平成17年)に「海上町」、「干潟町」と共に旭市に合併しました。
「旧飯岡町」は「屛風ヶ浦」の西端にあたる高さ66mにも及ぶ台地と平地の高低差がある町で、下総台地の東端にあたる台地の農地周辺には「飯岡風力発電所」の5基の風車が設置され太平洋からの海風を受けて発電しています。
農業が盛んで、なかでも「旧飯岡町」で栽培された「タカミメロン」は、「飯岡貴味メロン」として商標登録するなど千葉県の有数なメロンの産地にもなっています。また、「飯岡漁港」は銚子漁港に次いで千葉県第2位の漁獲高を誇る漁港で、漁港の周辺には親水型防波堤が整備され、更にタイヘイ湯尾を望む「いいおかみなと公園」が作られ、市民の憩いの場になっています。
「旧飯岡町」のうち平地の地域は過去の大地震の際には大きな被害が出ています。1703年(元禄16年)に野島崎附近が震源地で関東地方を襲った「元禄大地震」では「旧飯岡町」にも5~6mの津波が襲い、多くの被害が出ました。また、2011年(平成23年)に発生した東日本大震災でも、津波で死者13人、行方不明2人、家屋の全壊427棟、半壊335棟、床上浸水387棟と大きな被害が発生した事から、「旧飯岡町」の「萩園海岸」には「東日本大震災 旭市飯岡津波被災の碑」が建てられ、津波発生時の避難施設も建設されました。
このように高低差がある「旧飯岡町」は、海の恩恵を受ける一方で災害の歴史も持った地域です。
台地の上には巨大の風車で風力発電が行われています
刑部岬に建てられた飯岡灯台
天保水滸伝と座頭市の町
「旧飯岡町」を吸収した「旭市」の地域は、戦国時代の武将「木曽義昌」が晩年を過ごした地域で、江戸幕府開府前の1590年(天正18年)の徳川家康が関東移封になった事で、木曽義昌には下総国阿知戸(現在の千葉県旭市網戸)に1万石が与えられ、着任した義昌はこの地域の街づくりに尽力しました。
また、「旧飯岡町」では江戸時代後期の天保から嘉永にかけて下総地域で「飯岡助五郎」と「笹岡繁蔵」の二人の侠客の抗争があり、その顛末を講談として語られるようになったのが「天保水滸伝」です。
現在の横須賀市に生まれた「飯岡助五郎」は、相撲部屋の「友綱部屋」に入門したものの、親方の急死で1年足らずで廃業し、当時地引網で大漁景気だった九十九里に渡って漁夫となりました。その後飯岡に移り、飯岡の玉崎神社の奉納相撲でその名を知られるようになり、当時銚子から飯岡まで縄張りを持っていた「銚子の五郎蔵」の代貸になりました。飯岡一帯の縄張りを譲り受け、かつ飯岡の網元の事業も成功させ、漁港整備をはじめ飯岡に大いに貢献しました。また十手も託されるようになった頃に、相撲部屋の「千賀ノ浦部屋」に入門した現在の東庄町の「笹川繁蔵」は1年で廃業し侠客となった人物で、次第に勢力を拡大するようになり、対立するようになりました。現在も玉崎神社には、飯岡助五郎の碑と助五郎が力比べや雇用の際に使用したと伝えられる「力石」があります。
また、作家子母澤寛(しもざわかん)の小説が原作で、映画で有名になった「座頭市」の物語は子母澤が「飯岡助五郎」の取材で佐原市を訪れた際に、飯岡にまつわる話のひとつとして聞いた「盲目の侠客 座頭の市」の話を元にしたもので、実在した人物をモデルにしていた事から、九十九里ビーチラインの萩園海岸近くには「座頭市物語の碑」が建てられているなど、物語にまつわる地になっています。
「座頭市」のモデルになった記念碑
玉崎神社境内にある飯岡助五郎の碑と力石
絶景観光スポット刑部岬
飯岡町の台地部にあたるのは千葉県北部に広がる下総台地の東端にあたり、銚子市から旭市まで、海の浸食によって出来た崖「海食崖(かいしょくがい)」の南端、そして「九十九里浜」の最北端の境目にあたるのが飯岡町の「刑部岬(ぎょうぶみさき)」です。刑部岬がある「屛風ヶ浦」は高さ40~50mにもおよび、東は太平洋、南は九十九里浜、西は条件が揃えば「富士山」を望む事ができる絶景ポイントとして「関東の富士見百景」の他に「日本夜景遺産」「日本の朝日百選」「日本の夜景百選」「日本の夕日・朝日百選」にも選定され「上永井公園」という公園になっています。
また、「あしたのジョー」の作者「ちばてつや」氏の父親は飯岡の出身で、戦後に一時「ちば氏」も飯岡に住んでいた事から、「刑部岬展望燗~光と影」のある「上永井公園」内には「あしたのジョー」で登場するキャラクターの石像が置かれています。
旭市に合併する前の1989年(平成元年)から絶景ポイントを生かした「いいおかYOU・遊フェスティバルが開催」がされるようになり、10000発もの花火を打ち上げるなど「花火の絶景」も売りにして毎年10万人もの観光客を集めるイベントにまで成長しました。コロナ禍で中止が続いたものの2023年(令和5年)には4年ぶりに開催され多くの観光客を集め、「絶景の飯岡」が復活しました。
このイベントが開かれていた事で、かつて「天保水滸伝」や「座頭市」の物語の舞台となった「旧飯岡町」は現代になっても物語の舞台になりました。それはドラマやアニメにもなった「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」で、この物語の舞台になった事で若者たちがロケ地を巡る「聖地巡礼」をする観光客や絶景を楽しむ観光客で賑わっています。
更に刑部岬に建設された飯岡灯台は1956年(昭和31年)に初点灯し、海の安全に役立っている他、2018年(平成30年)には一般社団法人日本ロマンチスト協会が行っている「恋する灯台プロジェクト」で、飯岡灯台も「恋する灯台」に認定され若い観光客を集めています。建設が進んでいる銚子連絡道路の横芝光町芝崎から匝瑳市横須賀の約5kmが2024年(令和6年)3月31日に開通し、既に計画されている旭市までの区間が開通すれば、銚子市内と都心の所要時間が更に短縮され更にアクセスが向上する事が期待されています。旭市に組み込まれ市の一部になっても、かつて物語になり飯岡は旭市の魅力的な観光スポットとして、これからも観光客を集め続けるでしょう。
「打ち上げ花火上から・・・」の記念碑
「打ち上げ花火・・・」の撮影場所モニュメント
「あしたのジョー」のライバル力石徹の石像
「あしたのジョー」矢吹丈の石像
(2024/4/10)