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チバビズ探訪 バックナンバー(61~72)
Vol.67 【勝手に注目】ジビエ
ジビエ
日本におけるジビエ
 ジビエ(gibier)とはフランス語の「狩猟」という意味で、食材として捕獲された野生の鳥獣やその肉を指す言葉です。かつてフランスでは上流階級の人々しかジビエを入手できなかったため、高級食材として貴族などが食べていました。
 日本でも古くからジビエを食べる習慣はあったものの、仏教が殺生を禁じている事から、1871年(明治4年)までは表向きは禁止されていました。肉食が解禁されてからも家畜肉が普及し、ジビエ肉は生産量が少ないため、庶民にとっては高根の花でジビエ肉を食べる文化が定着する事はありませんでした。また、太平洋戦争後には食糧生産に力を入れた結果、畜産も盛んになり、鶏肉や豚肉が安く手に入るようになったため、食の欧米化が進んで肉食が定着してもジビエを食べる習慣は一般に定着しませんでした。
 近年では野生動物が住宅街に出てきて襲われたり、農作物が被害にあったりと社会問題になっています。一方、ジビエを調達する狩猟免許の所有者数は1975年(昭和50年)に51.8万人でしたが、2018年(平成30年)には20.7万人と半分以下に減少しています。その理由は野生動物の保護が騒がれていた事と、猟師の高齢化、更に過疎化などが大きく影響しています。
イノシシの肉を使ったボタン鍋
イノシシの肉を使ったボタン鍋
捕獲されたイノシシ

千葉県の有害鳥獣の現状と県の取り組み
 農林水産省が発表した2023年(令和3年)度の「全国の野生鳥獣による農作物の被害状況」によると、全国の有害鳥獣による農作物の被害額はシカの被害が609,700万円で1位、次いでイノシシが391,000万円で2位となっています。千葉県はシカの数が少なく被害額も大きなポジションを占めていませんが、イノシシに関しては被害額が11,667万円と関東では1位、全国でも11位の被害額になっています。
 他にも千葉県は外来種の「キョン」の被害も多く問題になっています。「キョン」はシカの一種で、中国南東部及び台湾に自然分布し、ニホンジカよりも小さな動物で、千葉で繁殖してしまったのは、かつて勝浦市にあった観光施設の「行川アイランド」から逃げ出したものが野生化した事だそうです。「キョン」は繁殖力が高く外来種で生態系のかく乱に繋がると心配もされています。
 そこで千葉県は地域・市町村・県が一体となって、防護・捕獲・生息環境整備及び資源活用の野生鳥獣対策を総合的に推進するため、2007年(平成19年)に県・市町村・関係団体で構成する「千葉県野生鳥獣対策本部」を設置し野生鳥獣被害対策を進めています。また、県内で捕獲され、県内の食肉加工施設で適切に処理されたイノシシやシカの肉は「房総ジビエ」として料理コンテストやフェアを開催するなど、消費拡大に取り組んでいます。
 千葉県内で房総ジビエを提供する飲食店は2023年8月現在66店舗、東京都には6店舗までに拡大しており、入手できる飲食店向けの販売店が12件、消費者向けの販売店が10店舗までに拡大しています。また、最近では食肉卸業者を経由して県内のスーパーや道の駅などでも販売されるようになってきました。
東京湾フェリー
千葉市内のスーパーでも房総ジビエ肉が販売されている
フラミンゴショーが有名だったかつての行川アイランド

鯛の浦観光船
千葉県内ではいちばんの厄介ものイノシシ
外来種のキョン

野生鳥獣被害を解消するための様々な取り組み
 牛、豚、鶏など家畜は毎日安定的に飼料を与えられ、更に小屋などで飼われているため肉の脂肪分は多く柔らかくて脂身のジューシーですが、ジビエは自然の中を駆け回っていたので、肉はあっさりとした赤身でヘルシーな肉として認知されるようになってきました。
 一方で野生動物を捕獲する「猟師」として生活していける環境が整わないと担い手を確保する事が出来ません。猟師が猟師として生活できる環境を作っていく事が大きな課題になっています。
 以前チバビズでも紹介させていただいた、「ALSOK千葉」のジビエ工房では各地域で仕掛けた罠で捕獲されたイノシシを引き取りから精肉までを請け負い、茂原の「ジビエジャポン茂原」を通して販売しています。一方チバビズで紹介させていただいた「猟師工房」では猟師の育成や精肉した肉を傘下の「猟師流通」を経由して千葉県内に限らず全国レベルでジビエを流通させる取り組みが行われています。更に猟師工房は2023年4月に君津市の片倉ダム記念館内に「ジビエ」をテーマにした施設「猟師工房ドライブイン」をオープンし、ジビエ関連の直売と普及に取り組むなど、民間企業の取り組みが始まっています。
 また、農林水産省は「農林水産業流通マッチングナビ『agreach』」を用意し、ジビエ肉の販売先確保を助けています。
 野生動物には様々な細菌や病原体を保有しているリスクがありますが、ジビエ肉の流通は猟師の「自己責任」で行われているケースが多いようで、安全が担保されない状態で流通している事が多いようです。本来、飲食店や個人に「販売」する場合は、食品衛生法が適用されますが、実態は食品衛生法に抵触している物が流通している場合が見受けられるようです。そこで厚生労働省は2023年(令和5年)6月には「野生鳥獣肉の衛生管理に関する指針(ガイドライン)」を一部改正し、食の安全性を担保するため様々な取り組みが進んでくると思われます。
 野生鳥獣被害を解消していくためには民間企業の努力だけでなく、国・県・市町村が協力して、ジビエ文化を浸透、猟師の育成、流通機構の構築、安心・安全な精肉環境の確保などまだまだ課題は多そうです。
ケーズハーバー
「竹りん」で提供されている
2023年に君津市にオープンした「猟師工房ドライブイン」

(2023/10/10)
Vol.66 【勝手に注目】観光船
観光船
海にある道の駅「海の駅」
 「道の駅」は既に観光の目的地にされるほど知られていますが、「海の駅」があるのはご存じでしょうか。一般の人にはあまり馴染みが無い施設ですがが、「海の駅」とは国土交通省により登録された、一般利用者に開かれた船舶係留施設(マリーナ)をいいます。当初は大型のヨットやモーターボートなどの利用環境整備や情報ネットワーク化と提供を目的に設置が推進されました。「海の駅」として登録される条件として、「来訪者が利用できる係留施設を有する事」「来訪者が利用できるトイレを有する事」「係留予約等に関する情報提供を行うガイドを配置している事」などがあります。
 海の駅は2000年に設置された広島県の「ゆたか海の駅」が第一号として指定され、2023年8月の時点で全国に178駅、千葉県内には「ちょうし海の駅」「海の駅九十九里」「いすみ海の駅」「かもがわ海の駅」「海の駅館山」「きさらづ海の駅」「うらやす海の駅」の6か所があります。全国にある「海の駅」の中には、観光船やクルージングが体験できる海の駅もあり、千葉県内では「きさらづ海の駅」はクルージングサービスも提供しています。
 また、海・川・沼と多くの水辺がある千葉県には船を持たなくても楽しめる観光船があちこちにあります。普段は見る事が出来ない水上からの景色はまた格別で、千葉を楽しむ一味違うレジャーになるのではないでしょうか。
海の駅九十九里
海の駅九十九里
人気の「ばんや」は
「きょなん・ほた海の駅」にもなっている

交通手段が観光船になる
 千葉県は海に囲まれ他の県とは川で区切られており、江戸幕府は江戸防衛のために川に橋をかけませんでした。街道に続く渡し舟は厳しく管理されていましたが、一方で対岸に農地を持つ農民のための渡船は許されていました。旅人の中には事情により街道の経由がはばかられ、農民に扮装して川を渡る者もあったといいます。現在も残っている渡し船は、歌にも歌われている「矢切の渡し」で、生活用の渡し船というよりは観光要素として現在も運航されています。また、現在の渡し船「東京湾フェリー」も下船せずに往復乗船ができるなど、観光船として楽しむ事が出来ます。
 一方千葉県北部には、江戸時代に栄えた町「佐原」にも、川から江戸情緒を楽しめる「舟めぐり」や水郷地区をめぐる「加藤洲十二橋めぐり」などの観光船があります。また、印旛沼の「印旛沼観光船」や印西地区の川をめぐる「いんざいぶらり川めぐり」という観光船が就航しており、訪れた観光客に人気になっています。
 一方県内には海の生き物を側で見る事が出来る「ウオッチング」を目的とした観光船があります。「日蓮上人誕生の地」鴨川市には、上人が誕生した際に「真鯛が浮上して躍り出た」と伝わる「鯛の浦」は世界有数の真鯛の群生地で、「鯛の浦観光船」では間近でタイの群生を見る事が出来ます。また銚子には「銚子海洋研究所」が運航する観光船では銚子付近を泳ぐイルカやクジラを間近で見る事が出来る「イルカ・クジラウオッチング」が人気を博しています。更に、内房にも外房にも船に乗るだけで海の中を観察できる「野島崎海底透視船」や「館山スタークルーズ号」など「海あり県」ならではの観光船も就航しています。
東京湾フェリー
下船せずに往復で乗船を楽しめる東京湾フェリー
佐原の「小野川」にも人気の観光船がある

鯛の浦観光船
天然記念物の鯛を見る事が出来る「鯛の浦観光船」
銚子海洋研究所ではイルカやクジラを見られる観光船がある

全国一位の千葉港を観る観光船
 「東京湾」は「伊勢湾」「大阪湾」と共に「日本三大港湾」といわれ、東京湾にある「千葉港」は「名古屋港」「横浜港」と並び「日本の三大貿易港」と呼ばれています。
 「千葉港」は市川市から船橋市、習志野市、千葉市、市原市、袖ヶ浦市までと複数の市にまたがった大きな港で、全国で102港あまりある「重要港湾」に指定されています。また、千葉港は政令により特に重要として定められている全国に18か所ある「国際拠点港湾」のひとつにもなっています。また、京葉工業地帯の拠点となっている港として、貨物の取扱量は全国2位を誇っています。
 この港のほぼ中央に位置する千葉市にある千葉中央旅客船桟橋に隣接して「ケーズハーバー」が整備されています。この「ケーズハーバー」は国土交通省に登録された港に関する交流施設・旅客ターミナル・緑地・マリーナなどを活用した交流拠点・地区の愛称「みなとオアシス」にもなっています。
 「ケーズハーバー」からは千葉ポートサービス株式会社が運営している「千葉港めぐり観光船」や「幕張メッセ沖合遊覧」「納涼船」などに乗船する事が出来、人気を呼んでいます。また、夜間クルーズでは「日本八大工場夜景」にも選ばれた工場夜景を海上から眺める事ができます。
 コロナ禍で観光客が激減する等、観光船にとっても厳しい時期を経て廃止された観光船もあるようですが、全体としては復活の兆しにあるようです。このように観光船はマリンスポーツや釣りなどの体験とも連動し、マリンレジャーのひとつとしてその幅を広げつつ千葉に観光客を呼ぶツールのひとつとしての役割を果たしていくでしょう。
ケーズハーバー
旅客戦ターミナル等複合施設ケーズハーバー
千葉港をめぐる観光船「あるめりあ」

千葉ポートタワー
海から千葉ポートタワーを望む
結婚式場「アマンダンセイル」(左)と
レストラン「オーシャンテーブル」(右)

(2023/9/10)
Vol.65 【勝手に注目】釣り
釣り
釣りが趣味として発展したのは江戸時代から
 釣りの歴史は縄文時代の狩猟採集生活の時代から始まります。レジャーとしての釣りは712年(和銅5年)に編纂された古事記には神様が釣りを楽しんでいる様子がかかれているようですが、これが始まりといえるかどうかは微妙な状況です。
 釣りが明らかにレジャーとして扱われるようになったのは江戸時代からだそうで、幕府の勢力下で社会が安定し、寺院の勢力が弱まり仏教思想が弱まった事で「殺生」の抵抗感が弱まった事が原因だといわれています。
 江戸幕府が行った「利根川東遷」など江戸周辺は埋立てと河川の整備が行われた事で、河川が運んだ土砂によって東京湾には「洲(す)」が出来、多くの魚介類が獲れる最高の漁場になりました。また、江戸時代は平和な時代で武士達の生活にも余裕が出来、近くに絶好の釣果があがる漁場があった事で、釣りは絶好のレジャーとして発展していきました。
 また釣りが発達したもう一つの要因は、半透明な釣り糸の「テグス」が普及した事も大きく影響を与えました。テグスの原料になるのは、中国に生息する「テグスサン」という蛾の幼虫の体内から絹糸腺(けんしせん)で、これを抜き出して酢に浸して引き伸ばし陰干しにして作ったものでした。伸びやすい性質を持つ丈夫な糸で、日本が中国から輸入した薬の梱包で使われていたそうです。大阪の漁師がそれを見つけ、その評判を聞きつけ江戸にも入ってきたそうです。日本では「テグス」として普及しましたが、産地の中国で釣り糸として使われなかったのは、川の水が濁っているためだったようです。
 更に性能の良い釣り竿は、江戸時代に「戦(いくさ)」が無くなって需要が減った弓矢を作っていた職人たちが転業し、弓矢と同じ竹を加工する技術を使って作っていました。更に「錘(おもり)」も鉄砲玉を作る技術を使って作られ、表面には漆を塗るなど高度な技術が使われており、その技術は世界最高水準を誇っていたといわれ、輸出までされていたそうです。平和になったからこそ生まれたのが日本の釣り具の技術でした。
船橋三番瀬公園
東京湾に広がる干潟 船橋三番瀬公園
豊富な漁場だった利根川

海釣り・川釣りと両方が楽しめるスポットが充実
 今やコロナ禍と相まって密にならないレジャーが人気になりました。そのおかげでキャンプをはじめとしたアウトドアブームが到来し、県内各地にも豪華なキャンプ施設「グランピング」施設も増えています。更に釣りもコロナ禍でも安全に楽しめるアウトドアレジャーとして人気が更に上昇しているようです。
 三方を海に囲まれている千葉県は、干潟や三番瀬など広大な干潟には小魚が多く集まり、更にそれを餌にする魚が集まるなど、内房地区は海釣りには最適な環境下にあります。また、太平洋に面した外房地区は岩礁で釣る「磯釣り」も盛んで、内房とは違った魚種が存在します。千葉県は首都圏にある最適な環境が整った場所だといえるでしょう。
 また海釣りは「護岸釣り」や「磯釣り」に加え、釣り船で沖合に出て釣る「船釣」も盛んで、外房や内房共に多くの船宿が点在し、賑わっています。
 一方千葉県にある釣り場は、養老川、小櫃(おびつ)川、湊川、夷隅川などで渓流釣りが出来るほか、印旛沼、手賀沼なども釣りスポットになっています。更に千葉県の南房総地区は高い山は無く、降った雨は直ぐに海に流れ出てしまう土地で、大きな川も無く雨が少ないと直ぐに水不足になる地域のため、ダム湖や農業用水を確保するための貯水池「野池」が点在しています。このダム湖や野池も釣りスポットとして活用されている所もあるなど県内全域に釣りが出来るスポットがあります。
 江戸時代に身近になった釣りは、レジャーとして浸透し現在に至って「観光資源」として定着しています。また、良く釣れる時間帯は早朝と夕方から夜にかけてである事から、日帰りで行ける千葉県は恵まれた環境にあるいえます。また南房総など都心から離れた地域は宿泊を伴った観光になる事も期待でき、日帰り以上に地域経済に影響を与えるものと考えられます。
稲毛の浜
人工海浜に作られた稲毛の浜の突堤
江戸川は休日には釣り人たちでにぎわう

人口的な釣り施設も大人気
 公益財団法人日本生産性本部が発行した「レジャー白書2022」では、2010年(平成22年)の釣り参加人口が940万人でしたが、2022年(令和4年)には560万人まで減少しています。一方釣り具市場は1999年(平成11年)の2,760億円の売り上げを上げたのをピークに、2010年(平成22年)には過去最低まで下がったものの、2021年(令和3年)には1,830億円まで回復し、若干増加傾向になっています。更に釣りにかけた平均費用は2015年(平成27年)3万円程度でしたが、2021年(令和3年)には4万円を超え、釣りに行く回数も10回程度が15回までに増えています。このデータから見る事ができるようにコロナ禍の影響もあってか、様々なレジャーがある中で「釣り」はいずれも増加傾向にあります。
 房総半島沖は親潮と黒潮が交差する場所のため、魚種が豊富で恵まれた環境にあります。また、このような恵まれた環境に加え、初心者やファミリー層が気軽に楽しめるような施設が存在します。
 鴨川には太平洋にも面した釣り堀「太海フラワー磯釣りセンター」や市原市が作った京葉工業地帯の一角にある市営の海釣り施設「オリジナルメーカー海釣り公園」を作りました。東京湾に釣り用の「桟橋」を作り、海底には捨て石や漁礁などを配置し魚の住処までを用意、投げ釣りなどを行わなくても桟橋の上から釣りを楽しむ事が出来る施設です。休日には開園前から行列ができるほどの大人気の施設になっています。
 更にスポーツフィッシング色が強く、経験者が楽しめる釣り堀の「管理釣り場」も10軒を超えています。「管理釣り場」とは湖や沼、河川、海などの一定の範囲を区切って魚が流出しないようになったもので、釣り堀よりも本格的なスポットとして人気を博しています。
 東京湾と太平洋、一級河川の利根川、県内を流れる大小の川、更に釣り施設と初心者、上級者を問わず楽しめる施設を持った千葉県は、釣りも重要な観光資源として今まで以上に釣り客を意識した施策を進めてはいかがでしょうか。
オリジナルメーカー海釣り公園
市原市の釣り施設「オリジナルメーカー海釣り公園」
保田漁港に停泊されている釣り船

(2023/8/10)
Vol.64 【勝手に注目】サーフスポット
サーフスポット
初のオリンピック開催地一宮町
 サーフィンは第二次大戦後に日本に駐留した米兵が神奈川県のビーチでサーフィンをしたのがきっかけだったという説があり、神奈川県が発祥の地といわれているようです。
 2021年(令和3年)7月23日から8月8日までの17日間開催された東京オリンピックで初めて開催されたサーフィン競技は、千葉県一の宮町の「釣ヶ崎海岸」で行われ、日本選手は男子が銀メダル、女子は銅メダルを獲得する事ができました。
 東京オリンピックのサーフィン競技の会場になった一宮町の「釣ヶ崎海岸」はその南端に位置する場所で、特に海岸の11号突堤付近にある「志田下ポイント」と呼ばれている場所には四季を通して多くのサーファーたちが訪れています。
 一宮町はサーフィンが普及していった1970年(昭和45年)頃からは、年間を通して良質な波が押し寄せる事が愛好者の中で知られ、次第に多くのサーファーたちが集まるようになりました。その結果2009年(平成21年)に役場内に一宮町を「サーフタウン」としてPRする移住推進担当を置くようになりました。2015年(平成27年 )に策定された「一宮町まち・ひと・しごと創生総合戦略」の中で、「一宮版サーフォノミクス」を打ち出すなど、サーファーが集まる事による経済効果を目指しています。
 サーファーというと不良っぽかったり、チャラいイメージがありましたが、オリンピック競技になった事でイメージが変わってきたようです。他のスポーツの様に幼少期からコーチやトレーナーを付けて練習する子も増え、改めて「スポーツ」として認識される様になってきました。
 東京オリンピックは、残念ながらコロナ禍のために無観客競技開催となったため期待された経済効果を得る事ができませんでしたが、オリンピック会場としての知名度はさらに高まったものと想像され、今後の経済効果は大いに期待できるのではないでしょうか。
一宮町釣ヶ崎海岸
オリンピックが開催された一宮町釣ヶ崎海岸
釣ヶ崎海岸は上総十二社祭りの祭典場として
神聖な場でもある

オリンピック開催記念モニュメント
オリンピック前に釣ヶ崎海岸に掲示されていた横断幕
設置されたオリンピック開催記念モニュメント

外房地区はサーフィンのメッカ
 サーフィンが普及し始めた1965年(昭和40年)に愛好者が集まって日本サーフィン連盟を発足し、翌年には第一回全日本選手権大会が鴨川で開かれるなど、千葉県は日本のサーフィンの歴史と切っても切れない関係になってきているといっても良いでしょう。
 また、1976年(昭和51年)には若者向けの雑誌として人気だった「POPEY(ポパイ)」が創刊し、アメリカ西海岸のライフスタイルが紹介されました。1978年(53年)にアメリカで公開されたサーフィン映画「ビッグウエンズデー」がヒットし日本でも翌年公開され、サーフィンブームが加速されました。その影響で、サーフィンはしないがサーファーの格好を真似る「陸(おか)サーファー」が登場するまでのブームも生みました。
 「陸サーファー」は死語になった今でも、源頼朝が名付けたといわれる60kmを越えた砂浜が広がる九十九里浜のどの海岸にも週末に限らずウイークデーも多くのサーファーたちが訪れています。
 また、千葉県にはサーフスポットとして知られている九十九里浜やオリンピック会場になった一宮町以外にも、サーファーが集まるサーフスポットがあります。
 北は銚子の犬吠埼灯台の側、君ヶ浜海岸や屏風ヶ浦を望む銚子マリーナに始まり、南房総には御宿町、勝浦市、鴨川市、南房総市と外房側の至る所でもサーファーを見かける事ができます。またサーフスポットとして挙げられているのは外房だけではありません。南房総市富浦の南無谷海岸、岩井海岸、富津海岸など波の穏やかな内房も初心者向きではあるものの、サーフスポットして認識されているようです。
御宿海岸と七浦海岸
御宿海岸でサーフィンをするサーファー
南房総市千倉町の七浦海岸

マリンスポーツは大切な観光資源
 サーフィンが盛んな外房に比べ内房地区は他のマリンスポーツの場にもなっています。帆を使う「ウインドサーフィン」や「カイトサーフィン」の他、パドルを使う「スタンドアップパドル(サップ:SUP)」や「シーカヤック」などを教えるスクールも数多くあるようです。また、外房地区にヨットハーバーは「銚子マリーナ」と「カツウラマリンハーバー」2つですが、内房には市川、浦安市、千葉市、木更津市、富津市に合わせて7つのヨットハーバーがあり、マリンスポーツの拠点にもなっています。
 千葉県の観光には欠かせない資源になる海は、「海洋プラスチックごみ」などで大きな問題になっていますが、それを改善する活動で今注目されている活動のひとつに、SDGsスポーツ「プロギング」があります。「プロギング」は、スウェーデン語の「plocka upp(拾う)」と英語の「jogging(走る)」を合わせてできた造語で、「ジョギング」しながら「ゴミ拾いをする」というもので、2016年(平成28年)にスゥエーデンで発祥し、今や大ブームになり世界100か国以上で楽しまれています。日本では2020年(令和2年)に一般社団法人プロギングジャパンが設立され、全国各地でプロギングイベントが開催され、千葉県でもイベントが行われています。
 また、日本財団は海洋ゴミ対策の「海と日本プロジェクト」を行っており、2022年(令和4年)の9月には「海ごみゼロウイークPLOGGING MAKUHARI」を開催するなどサーフィンをはじめとした千葉県の観光資源になる「海」のためのイベントが開催されました。
 「海あり県」千葉は三方を海に囲まれ、都心に近いメリットを生かし、サーフィンだけでなく様々なマリンスポーツと共に、更に海を綺麗にする活動までもレジャーとして楽しめるようにしながら、これまで以上にマリンスポーツのメッカになる事で大きな経済効果を得ることができるでしょう。
富津海岸と稲毛海岸
富津海岸ではウインドサーフィンを行う人が
稲毛海岸でもウインドサーフィンをする人の姿が

(2023/7/10)
Vol.63 【勝手に注目】海底ケーブルとデータセンター
海底ケーブルとデータセンター
海外との情報が行きかう動脈「海底ケーブル」
 現在日本のインターネットをはじめとした海外との国際通信の99%は海の底にケーブルを張る「海底ケーブル」によって成り立ち、世界で447本のケーブルが張りめぐらされているそうで、衛星を使った通信はわずか1%にも満たない状況のようです。日本で初めて海底ケーブルが施設されたのは1871年(明治4年)で長崎と上海及び長崎とウラジオストク間に引かれました。
 日本の海底ケーブルの中継地点になる「陸揚げ局(りくあげきょく)」の大半は北茨城、志摩半島、そして千葉県に置かれています。つまり千葉県は世界と繋ぐ通信の要の一端を担う重要拠点に位置付けられているといって良いでしょう。千葉県にある海底ケーブルは、国内3社と外資2社、合わせて7つの陸揚げ局は外房の鴨川市から南房総市の沿岸部に集中しており、「海底ケーブル銀座」と呼ばれているようです。その理由は、海底の地形が良い事、また海底ケーブルがあるこの地域は、基地が造れない国立公園ではなく、基地建設が可能な国定公園だった事、更に首都圏に近い事があげられます。
 2011年(平成23年)の3月11日に発生した東日本大震災では、茨城沖や銚子沖に引かれている海底ケーブルに障害が発生し、海外の10か国以上に繋がる回線がダメージを受けました。また、発生した福島第一原子力発電所の事故による電力供給低下により実施された計画停電では、中継所のある一帯は重要インフラがある場所として対象外になるほど重要な位置づけになっています。
海底ケーブル陸揚げ局とデータセンタ―
海底ケーブル陸揚げ局とデータセンタ―の分布
KDDI(株)千倉第二海底線中継所

海底ケーブル陸揚げ局とデータセンタ―
KDDI(株)千倉海底線中継所
ソフトバンク(株)千倉中継所

ソフトバンクとNTTコミュニケーションズ
ソフトバンク(株)丸山国際中継所
NTTコミュニケーションズ(株)
新丸山ランディングステーション

リーチ・ネットワークスとタタコミュニケーションズ
リーチ・ネットワークス(株)
和田海底ケーブル陸揚げ局
タタコミュニケーションズ・ジャパン(株)
江見海底ケーブル陸揚局

世界に名前を知られている印西市
 印西市は東洋経済新報社の「住みよさランキング」では2012年(平成24年)〜2018年(平成30年)まで7年連続で全国1位、また日経BP社の「人口増減率ランキング2020」では全国17位を誇っています。都心や成田空港へのアクセスが良好な上、通勤・通学にも便利で教育施設や医療施設、また大型の商業施設もあり幅広い年代が暮らしやすい街として知られています。また下総台地に位置し、巨大地震を引き起こす活断層がないという事で、災害に強いという事も人気の大きな理由になっています。
 一方、「データセンター」を建設するための条件は、交通アクセス、地盤の強固さ、耐災害性、電力供給力などと並んで、陸揚げ局からの距離も考慮されます。印西市は「住みよい街」だけでなく、「データセンター」にも最適な地域として認められています。それは、県内にある陸揚げ局に近く、陸揚げ局と東京都を結ぶ中間地域である事、更に活断層が無い強固な地盤で、開発可能な土地がある事で、データセンターに適した場所として広く海外にも知られるようになりました。
 近年は続々とデータセンターが建設され印西地域は集積地になりつつあり、今も国内外のデータセンターの建設ラッシュが続いており、大和ハウス工業株式会社は印西牧の原地域に2025年(令和7年)までに14棟のデータセンターを建築する予定で開発が進められています。この施設が完成すると印西市は日本一の「データセンタータウン」になるかもしれません。
人気の印西市
人気の印西市は北総線沿線に住宅や商業施設が立ち並ぶ
計画されているダイワハウス印西牧の原データセンター

「Googleの国内初進出」反対があるものの
千葉に好機を呼ぶ最先端施設
 2023年(令和5年)4月には、日本で初めてGoogleのデータセンターがオープンしました。Googleは印西市のデータセンターの開所にあたり、NPO法人と協力して地元印西市や千葉県に住む児童生徒を対象にしたプログラミングなどのデジタル教育活動の支援も行っていくとされています。
 印西市は「データセンター」以外にも成田空港にも近い事から、物流センターの建設も進んでおり、住宅地周辺に物流センターと「データセンター」という大型の施設が立ち並ぶ地域として発展を続けています。また、印西市以外にも隣接している白井市や柏市、八千代市などにも「データセンター」と物流基地が建設され、印西市をコアに「データと物」の基地が拡大しています。
 一方では、地域住民が必ずしも「データセンター」建築に賛成するとは限らず反対意見で計画が進んでいない地域のひとつに流山市があります。流山市は1992年(平成4年)に常磐自動車道(常磐道)の「流山インターチェンジ」が出来た事、更にインターチェンジ周辺は農地で土地があった事から、複数の事業体が盛んに物流基地の建設を行い、今でも続々と建設されています。そういう理由もあったからか、流山でも「データセンター」の建設計画が動いているようです。
 建設場所としてあげられているのが市役所の南側の空き地、流鉄株式会社の流山駅東口に面した場所で、市は公聴会を開き市民に説明をしていたようですが、市民は「得体のしれない施設」の建設に反対し、署名を寄せられ計画は難航しているようです。
 更に柏市でも新たな「データセンター」建設の計画があるようですが、市民の反対の声があがっているようで、こちらも難航しそうな状況です。
 「データセンター」というある意味「得体のしれない」施設に抵抗がある人も多いと思いますが、これからの産業の中心に位置するコンピューター関連の施設が千葉県に続々と出来る事は県の発展において重要なファクターではないでしょうか?千葉にある「最先端」にこれからも注目していきたいと思います。
データセンター建設計画
印西にオープンしたGoogleの日本初データセンター
印西にオープンした三井不動産のデータセンター施設

(2023/6/09)
Vol.62 【勝手に注目】ご当地ラーメン
ご当地ラーメン
もはや全国区の「勝浦タンタンメン」
 ラーメン博物館のホームページによると室町時代の1488年(長享2年)には日本初の中華麺「経帯麺」が食べられ、それを機に中国の麺料理も日本に伝わったとされています。現在のラーメンが本格的に広まったのは、1910年(明治43年)にオープンした「淺草 來々軒」がきっかけで、中華料理と共に日本中に広まっていきました。ラーメンは次第に「日本食」として定着すると共に、全国各地で地域特性を取り込んで様々な変化をしながら地域に根付き発展してきました。1998年(平成10年)には「旭川ラーメン」が話題になり、それがきっかけで「ご当地ラーメン」のブームが起こり、全国各地のご当地ラーメンが全国区へと広がっていきました。
 千葉県の3大ラーメンとされているのが「勝浦タンタンメン」「竹岡(式)ラーメン」「アリランラーメン」で、多くの人達が現地までわざわざ食べに出向いて来るのを見かけるようになりました。
 いちばん有名な「勝浦タンタンメン」は、1954年(昭和29年)に創業した大衆食堂「江ざわ」が担々麺を真似て現在のスタイルにレシピ化した物が始まりとされ、海女や漁師など海仕事の後に冷えた体を温めるメニューとして定着しました。
 2006年(平成18年)に「地域おこし」を目的に始まったB級グルメのイベント「B1グランプリ」で第7位入賞、2012年(平成24年)には第8位、2013年(平成25年)には「ブロンズグランプリ」、2014年(平成26年)には「シルバーグランプリ」を獲得、翌年の2015年(平成27年)にはついに「ゴールドグランプリ(1位)」を獲得し、広く全国に知られるようになりました。
 2011年(平成23年)には「勝浦タンタンメン」を正規に提供する団体「ONE勝浦企業組合」を設立し、地域団体商標を取得しています。その後地元企業から「土産品」として販売されて、大手インスタントラーメンメーカーからも全国に向けてカップ麺が販売されている他、大手パンメーカーから「勝浦タンタンメン風」ランチパックやカレー、ポテトチップスなど「勝浦タンタンメン味」の商品までが発売されるようになりました。
勝浦タンタンメン
勝浦タンタンメン
大手食品メーカーが発売した勝浦タンタンメン

カップ麺にもなった残り二つのご当地ラーメン
 一方「竹岡(式)ラーメン」は、富津市の「梅乃家」と「鈴屋」が発祥といわれ、「出汁」を使わずチャーシューを煮込んだ醤油ダレに麺を茹でたお湯を入れただけのスープで仕上げたシンプルなラーメンです。この「竹岡式ラーメン」はレシピの制限をかけていない事から周辺地域にも広まりました。また、隣接する木更津出身のミュージシャンもメディアで紹介するなど広く知られるようになり、「ご当地ラーメン」としてテレビでも紹介されるようになりました。
 レシピがシンプルな事もあり、知名度が増えていくに従って「竹岡ラーメン」をメニューに掲げる店がどんどん増えていきました。また発祥の店舗に習い、味の決め手になっている富津市の宮醤油店の醤油を使っている店舗もあるようですが、次第に進化系として「出汁」を使った物など工夫を凝らしたラーメンも登場するようになりました。更にインスタントラーメンを製造する大手メーカーから「ご当地ラーメン」としてカップ麺が登場するなど、次第に全国区になっていきました。
 残る一つ「アリランラーメン」は長柄町の国道14号線沿線にある「八平の食堂」が発祥で、「アリラン」という名前は店が峠にあり、峠越えができるような「スタミナがつくラーメン」だという事で、朝鮮民謡で知られている「アリラン峠」から付けられたとされています。玉ねぎをベースに、ニラ、にんにく、豚肉、ネギなどを使ったピリ辛ラーメンですが、その詳しいレシピは門外不出とされ、「アリランラーメン」を現在提供しているのは、本家の親族が経営しているいくつかの店舗のみになっています。しかし、ホームページには「独立支援制度」が掲載されており、3年間の修業で独立できるとされています。
 このアリランラーメンも千葉三大ラーメンにあげられた事から、地元企業が袋麺やカップ麺の商品開発をして販売された事があったようです。
竹岡式ラーメン
竹岡式ラーメン
カップ麺で発売されている竹岡式ラーメン

「町おこしラーメン」で地域に貢献
 「千葉三大ラーメンに続けと」他の地域でも「町おこしラーメン」といえる「ご当地ラーメン」が登場しています。
 酪農が盛んで生乳の生産が県内トップクラスの袖ヶ浦市は、特産品である牛乳を使用したご当地グルメを作ろうと考え2011年(平成23年)に開催された「袖ヶ浦ご当地グルメ王座決定戦『袖-1グランプリ』」で優勝したのが「牛乳」を使ったラーメン「ホワイトガウラーメン」です。市内の中華料理店「ホサナ」が開発した商品で、現在は「ホサナ」の他市内の3店舗で提供されているようです。
 他にも2010年(平成22年)から茂原市のご当地ラーメンとして提供されるようになった「もばらーめん」、市原市内のラーメン店と中華店の有志が集まって結成された「市麺会」が提供している「いちはらーめん」など三大ラーメンに続けとばかり、「ご当地ラーメン」化に向けた活動をみる事ができます。
 一方で「地域おこし」として開発されたものではなく自然発生的に誕生し、改めて「ご当地ラーメン」として販売されるようになったものもあります。
 船橋市には元々太平洋戦争後に中華料理店で「ダイヤキ」という名前で提供されていたソースベースのスープを使ったラーメンがあり、それを船橋名物「ソースラーメン」と名前を変え、「ご当地ラーメン」化しています。この「船橋ソースラーメン」は現在市内の4店舗ほどで提供されているようです。
 更に香取市小見川にも「ソースラーメン」に似た「ご当地ラーメン」が存在しているようで、ソースベースのスープに入った麺に別添えで「カレー粉」が付いていて、お好みでカレー粉を入れて食べるものだそうです。船橋では「ソースラーメン」という名前になっていますが、小見川では「カレー焼きそば」という名前で提供されており、現在は小見川地区の数店舗が提供しているようです。
 このように各地で工夫を凝らしたご当地ラーメンの登場は、同業者や地域と共に「ラーメン愛好者」や「観光客を呼ぶ活動」として地域に貢献している活動だといえます。これからも人を呼ぶ新たな「ご当地ラーメン」の登場と、その発信力に期待したいと思います。
ホワイトガウラーメン
ホワイトガウラーメンの元祖となった「ホサナ」
袖-1グランプリを獲得したホワイトガウラーメン

(2023/5/10)
Vol.61 【勝手に注目】クラフトビール
クラフトビール
千葉県内にも20のブリュワリーがクラフトビールを提供
 ビールに関する法律はかつて「年間最低2000㎘を作らなければならない」とされており、小さい醸造所で作る事は出来ませんでした。しかし、1994年(平成6年)に法律が変わり、年間の最低製造量が「60㎘」とされ、小さい醸造所でも作る事が可能になったのが、「地ビール」誕生のきっかけになりました。当初は「地ビール」が製造される目的が土産品扱いで、おいしさにこだわった物が少なかったため、「地ビール=おいしくない」という烙印を押されていたようです。
 千葉県のクラフトビールは、山武市にある1883(明治16)年創業の酒蔵「合資会社 寒菊銘醸」が1997(平成 9)年にビール製造免許を取得し、「九十九里オーシャンビール」の製造が開始されました。更に翌年1998年(平成10年)には南房総市の農業法人安房麦酒が「安房ビール」の製造を開始し、2001年(平成13年)迄で4件のブリュワリー(ビール醸造所)ができましたが、その後10年間は新たなブリュワリーは出来ませんでした。
 千葉県内に再度新たなブリュワリーのオープンが始まったのは2012年(平成24年)からで、現在までの11年間で16件の醸造所がオープンしています。2012年から新たなブリュワリーの開設が始まったきっかけは、2000年代にアメリカでクラフトビールの人気が高まった事が影響しているようです。日本でも徐々にクラフトビールが注目されるようになり、お土産品ではなく「おいしいビール造り」が始まりました。また、そのネーミングも「おいしくない」というイメージがついてしまった「地ビール」と差別化するため、「クラフトビール」という名前で次第に人気が高まっていきました。
 2023年(令和5年)2月現在、千葉県54市町村のうち柏市に4件、千葉市・船橋市・南房総市に各2件、浦安市・松戸市・習志野市・佐倉市・木更津市・成田市・銚子市・山武市・鋸南町・白子町の10市町で各1件、合計14市町で20件のブリュワリーが出来ています。  千葉県のホームぺージ「元気半島、ちば!」でも「ちばの地ビール特集」で紹介しています。
千葉のクラフトビール
九十九里オーシャンビールの醸造元寒菊銘醸
九十九里オーシャンビール

組織化とコラボで更に広がるクラフトビール
 クラフトビールは、作り方によって「ラガー系」と「エール系」に大別されます。低温で長期間発酵させて作るのが「ラガー」で、酵母が麦汁の下へ沈んでいくために「下面発酵(かめんはっこう)」と呼ばれています。「ラガー」は低温で発酵させるため、雑菌があまり繁殖する事無く、常に品質を一定に保ったままビールを作る事ができます。
 一方「エール」は「下面発酵」よりも歴史が古く、やや高温であまり時間をかけずに発酵させる方法で、酵母が麦汁の上に浮き上がっていくため「上面発酵(じょうめんはっこう)」と呼ばれています。この製法は大量生産には向かないものの、味わい深さと飲みごたえで根強い人気で、多くのクラフトビールは「エール」を製造しています。
 「ラガー系」の「ピルスナー」は世界のビールの7割を占めるといわれていますが、千葉県内のクラフトビールで作られている「ラガー系」は「シュバルツ」が多いようです。
ラガー系とエール系の比較
 全国にブリュワリーが広がっていった事で、1994年(平成6年)に「日本地ビール協会」が、1999年(平成11年)には「全国地ビール連絡協議会(JBA)」が発足、更に2010年(平成22年)「日本ビアジャーナリスト協会」が発足されました。それらと共に、3つの団体を結ぶ「日本クラフトビール業界団体連絡協議会」が2022年(令和4年)に発足されるなど、「クラフトビール」が次第に社会に定着してきている事を示しています。
 このようなクラフトビールの3つの団体には所属せずに活動している千葉県内のブリュワリーも数多くあります。そして個別のブリュワリー同士のコラボレーションも盛んに行われているようです。
 2018年(平成30年)に八街市で地産地消をコンセプトに「ちばクラフト青空ビアガーデン」が開催されました。「ちばクラフト青空ビアガーデン」は県内の飲食店、生産者を応援する活動で、「銚子ビール」「こまいぬブリュワリー柏ビール」「九十九里オーシャンビール」のクラフトビールブリュワリー3社が集まって始めたもので、2019年(令和元年)には県内13か所で開催されました。しかし、2020年(令和2年)にはコロナ禍に入ってしまい開催が出来ない状況になってしまいました。そこで自宅でもクラフトビールを楽しめるようにと、3社のコラボ商品「ちばクラフト青空ビアガーデンEpisode0 -East Coast IPA-」を発売するなど3社のコラボレーションを続け、コロナ禍でも普及活動は継続されています。
銚子ビール
銚子チアーズ犬吠埼ブリュワリー
銚子ビール

地域食材や企業とコラボし更に進化
 千葉県内のクラフトビールブリュワリーは、単にビール製造をするだけでなく新たな取り組みを行う所が増えています。
 木更津市の有限会社ベアーズは、千葉県初の自社生産オーガニッククラフトビールを2022年1月に発売、他にも地域食材を使ったビール(発泡酒も含む)造りにも取り組んでいます。
 千葉市のY.Y.G.BREWINGは、第一弾は西船橋の小松菜と八千代のパクチー、第二弾は市川の梨、第三弾は船橋の苺と習志野の人参を使った「千葉県民のためのエール」などを製造販売しました。
 山武市で九十九里オーシャンビールのブリュワリー「合資会社寒菊銘醸」は、千葉県産のコシヒカリを使用したクラフトビール「KUJUKURI OCEAN RICE ALE」を製造し、2022年(令和4年)に開催された50カ国・地域の3200銘柄のビールが様々な分野で競う「ワールド・ビア・アワード2022」で、「ワールドベスト・スタイル」に選ばれました。日本からは82銘柄が参加し、他にも4銘柄が受賞するなど日本のクラフトビールの実力が上がっている事を表しています。
 たとえば千葉市初のクラフトビールブリュワリー、「幕張ブルワリー株式会社」は、千葉の老舗パンメーカー「株式会社川島屋」とコラボし、クラウドファンディングで資金調達を行い、廃棄されてしまうパンを原料に使った「パンからつくったペールエール」(発泡酒)を製造し、フードロスに取り組みました。
 また、地域の食材だけでなく他の企業や団体とのコラボレーションも積極的に取り組んでいる事例も増えました。「幕張ブルワリー株式会社」は千葉市に誕生したプロバスケットチーム「アルティーリ千葉」とコラボした「ALTIRI CHIBA CRAFT BEER - AMBER ALE」という名のエールビールと「ALTIRI CHIBA CRAFT COLA」を製造しました。「銚子チアーズ株式会社」の「犬吠埼醸造所」は、「成田国際空港株式会社」とグループ会社の「株式会社グリーンポート・エージェンシー」との共同開発で成田空港オリジナルクラフトビール「成田空港エール」を発売しました。
 千葉県の総合企画部地域づくり課ブランド戦略室が発信している「元気半島、ちば!」でも千葉県のクラフトビールを取り上げ、一部のブリュワリーを紹介する等これからの千葉のクラフトビールには目が離せません。
成田空港エール
ワールドベスト・スタイルを受賞した
KUJUKURI OCEAN RICE ALE
成田空港エール

幕張ブリュワリー
幕張ブリュワリー
幕張ブリュワリーのホワイトエールとペールエール

(2023/4/10)
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