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チバビズ探訪 バックナンバー(49~60)
Vol.60 【勝手に注目】千葉のスポーツチーム
千葉のスポーツチーム
地域貢献にスポーツが貢献
 スポーツチームの中には競技をする事で収入を得る「プロチーム」、地域などの有志によって運営されている「クラブチーム」、企業や組合などの従業員で構成される「実業団チーム」など数多くのチームがあります。千葉県内には、野球の「千葉ロッテマリーンズ」、また野球の独立リーグでは「千葉スカイセイラーズ」の2チームがあります。サッカーは「柏レイソル」「ジェフユナイテッド市原・千葉」、バスケットボールの「千葉ジェッツ」「アルティーリ千葉」の合計で6つのプロチームがあります。いずれも「ホームタウン」を持ち、地域に密接に結びつき、地域の応援を得て活動しています。
 このようにプロスポーツチームが活躍し、人気を博している事から、千葉県は県内で活躍する「トップ・プロスポーツチーム」のホームゲームが開催される事で、より身近に国内トップレベルの競技を観戦することで「みるスポーツ文化」が生まれ、地元チームの活躍が地域活性化に寄与する事が定着しつつあります。千葉県は各チームが学校や地域、スポーツ少年団などと交流する事で地域貢献活動になる「トップ・プロスポーツ関連事業」を行って、各チームと連携した地域づくりの推進に取り組んでいます。
 子供たちがスポーツへあこがれを抱けるように、トップアスリートに触れる事が出来るキャリア体験の場を提供する「ちば夢チャレンジ☆パスポート・プロジェクト」を推進しています。また、県内のプロスポーツ団体に所属する選手やOB、コーチなどを小中学校に派遣する「ちば夢チャレンジかなえたい」の派遣事業などを行っています。
 また、千葉県のホームページでは県内トップ・プロスポーツチームによる「家庭で出来る運動動画集」を公開しています。
 更に「クラブチーム」や実業団も「ホームタウン」が設定されスポーツを通して地域との交流を図る取り組みが行われています。
ホームタウン
千葉ロッテマリーンズの本拠地マリンスタジアム
千葉ジェッツのホーム船橋アリーナ

千葉は巨人軍発祥の地
 そもそもスポーツは、明治維新以降に学校教育の一環として取り入れられるようになりました。なかでも野球は1871年(明治4年)にアメリカから伝えられ、大学野球で人気が高まり、その人気は旧制中学へ広がり、1915年(大正4年)には第一回全国中学校優勝野球大会が開催されました。
 1934年(昭和9年)にアメリカ選抜の野球チームが来日し、その相手をするため臨時に東京6大学の学生選抜を中心にした全日本チームが結成されました。この全日本チームの合同練習と試合が行われたのが、当時習志野市谷津にあった「谷津遊園」内の「谷津球場」でした。その後全日本チームが母体になって結成されたのが「大日本東京野球倶楽部」で、「大日本東京野球倶楽部」は後に「読売巨人軍」になりました。現在の「読売巨人軍」がこの球場からスタートした事から、「谷津遊園」の跡地にできた「谷津公園」には、「巨人軍発祥の地碑」が置かれています。
 千葉ロッテマリーンズは1949年(昭和24年)に「毎日オリオンズ」として設立され、1961年(昭和36年)には「東京オリオンズ」に改称、そして1969年(昭和44年)に「ロッテオリオンズ」に改称されました。その後1992年(平成4年)に本拠地を「千葉マリンスタジアム」に移転し、「千葉ロッテマリーンズ」が誕生しました。2005年(平成17年)に日本シリーズ優勝した「千葉ロッテマリーンズ」が幕張新都心で行った優勝パレードでは、20万人ものファンが訪れ話題になりました。
 また、1993年(平成5年)に誕生したプロサッカーリーグ「通称Jリーグ」は、「鹿島アントラーズ」「浦和レッドダイヤモンズ」「ヴェルティ川崎」「横浜マリノス」「横浜フリューゲルス」「清水エスパルス」「名古屋グランパスエイト」「ガンバ大阪」「サンフィレッチェ広島」の9チームに加え、千葉の「ジェフユナイテッド市原」を加えた10チームでスタートし、また1995年(平成7年)には「柏レイソル」もリーグに加盟し、千葉県にはJリーグのチームが2チームになり、今でも人気を博しています。
巨人軍発祥の地
谷津公園内の巨人軍発祥の地碑
ジェフユナイテッド市原・千葉のホーム福田電子アリーナ

新たなスタジアム、新たなスポーツでより地域に貢献する
 スター選手を擁し、人気のプロバスケットボールチーム「千葉ジェッツ」は、現在ホームアリーナにしている「船橋総合体育館」が2024年(令和6年)から実施されるリーグの入会審査で求められる「5,000人以上収容のアリーナ」の条件を満たしていない事から、現在ららぽーとTOKYO BAYに隣接した場所に新アリーナ「(仮称)LaLa arena TOKYO-BAY」を建設しています。大型ショッピングモールにも隣接している事から、新たなファン獲得にも大きな効果が期待できるでしょう。
 プロ野球といえば「日本野球機構」が運営するセントラルリーグ、パシフィックリーグを指しますが、他にも2009年(平成21年)にプロとして扱われるようになった「独立リーグ」があります。「独立リーグ」には「四国アイランドリーグplus」「ベースボール・チャレンジ・リーグ」「関西独立リーグ」「北海道ベースボールリーグ」「九州アジアリーグ」「北海道フロンティアリーグ」「ベイサイドリーグ」「日本海リーグ」の8つのリーグがあります。千葉県には船橋を拠点とした千葉県初の県民球団「千葉スカイセイラーズ」が誕生し、2023年(令和5年)から「ベイサイドリーグ」に所属し八千代市、習志野市、四街道市などでも試合をする予定になっています。
 また最近では新たなスポーツが続々誕生し、2021年(令和3年)の「東京オリンピック」で初めて正式種目として採用された3人制バスケットボール「3×3(スリー・エックス・スリー)」は全国で48チームあります。千葉県には印西市をホームタウンとする「INZAI RHINOS.EXE」、柏市をホームタウンとする「LEOVISTA BB.EXE」、大多喜町をホームタウンとする「ESDGZ OTAKI.EXE」の3つのプロチームが、また女子チームでは九十九里町をホームタウンとする「OWLS.EXE」がリーグに新規参入しました。
 このように地域と結びついたスポーツチームが増え活躍する事で、地域活性化に大きな役割を果たすと共に、地域経済にも貢献していくでしょう。今後のスポーツチームの活躍にも注目です。
千葉ジェッツ
ららぽーと船橋に隣接した2024年完成予定の
千葉ジェッツの新スタジアム
千葉スカイセイラーズが当面試合をする船橋市民球場

(2023/3/10)
Vol.59 【勝手に注目】千葉の私鉄
千葉の私鉄
県内にある市私鉄は14社で最も私鉄が多い県
 不特定多数の旅客や貨物の輸送を行う鉄道のうち、JRグループと地方公共団体が経営する公営鉄道を除いた鉄道を「私鉄」と呼びます。現在千葉県内に路線がある私鉄は18社にのぼり、そのうち路線のみを所有する第三種鉄道事業者は4社、運行までを行っている第一種鉄道事業者は14社にのぼり、最も私鉄が多い県といえます。
 千葉県内に本社がある私鉄は、第一種・第三種を併せて14社で、そのうち県北部に路線を持つ12社のうち京成電鉄株式会社のみが県外にも路線を保有しています。一方、県南部には「小湊鉄道株式会社」と「いすみ鉄道株式会社」の2社のみと、「私鉄」の路線は県北部が中心になっています。
 千葉県内にある12社の私鉄のうち、「ローカル鉄道」と呼ばれる私鉄がいくつかあります。「ローカル鉄道」とは都市部に比較して輸送人員が少ない地方鉄道を指し、その運営主体はJR各社や私鉄や第三セクターによる「地域鉄道事業者」が運営している鉄道の事をいいます。千葉県内にあるローカル鉄道は松戸市と流山市を結ぶ「流鉄株式会社」、市原市と大多喜町を結ぶ「小湊鉄道株式会社」、大多喜町といすみ市を結ぶ「いすみ鉄道株式会社」の3社があります。また、市町村をまたがない路線を持っているのは「銚子電鉄株式会社」、「千葉都市モノレール株式会社」、「山万株式会社鉄道事業部」、「株式会社舞浜リゾートライン」の4社があります。
京成電鉄
京成電鉄本社
京成電鉄

私鉄から始まった千葉県の鉄道
 千葉県の鉄道の歴史は、1894年(明治27年)に市川―佐倉間に開業した「総武鉄道」から始まります。続いて1896年(明治29年)には千葉駅―大網駅間に「房総鉄道」が開業し、翌1897年(明治30年)には「成田鉄道」が開業、1910年(明治43年)には成田駅前―成田山門前間に県下初の電気軌道の「成宗電気軌道」が開業する等続々と私鉄が開業していきました。
 その後千葉県は県営鉄道事業に着手し、1911年(明治44年)に成田―三里塚間と柏―野田間、翌1912年(大正元年)に大原―大多喜間と木更津―久留里間が、1914年(大正3年)には三里塚―八街間が開業するなど千葉県も続々と鉄道路線を整備していきました。
 私鉄として開業した鉄道は、1907年(明治40年)には総武鉄道と房総鉄道が1920年(大正9年)に民営化され、「成宗電気軌道」は不要不急線として1944年(昭和19年)に廃線になりました。一方、県営鉄道は柏―野田間が1944年(昭和19年)に東武鉄道が吸収合併して野田線に、大原―大多喜間は1927年(昭和2年)に廃線、木更津―久留里間は1923年(大正12年)国有化されました。
 民間が立ち上げた鉄道が次々と国有化されていった一方で、その後も私鉄が出来ていきました。1913年(大正2年)には「銚子遊覧鉄道(現銚子電鉄)」が開業し、1914年(大正3年)に「京成電気軌道(現・京成電鉄)」が江戸川―市川新田(現・市川真間駅)間で開業そして1925年(大正14年)には「小湊鉄道」が開業しました。
銚子電気鉄道と小湊鉄道
元々は銚子遊覧鉄道だった銚子電気鉄道
1925年に開業した小湊鉄道

通勤そして観光と活躍する私鉄
 千葉県北西部は東京への通勤圏である事から、鉄道が引かれた事で沿線はどんどん住宅地の開発が進み、商業施設も充実していくなどベッドタウンとして発展していきましたが、東京から遠い地域は過疎化が進むと共に、ローカル鉄道は利用客の減少で経営を圧迫され、その存続のため様々な取り組みを行っています。
 ローカル鉄道は地域の足としてだけでなく経営改善策として小湊鉄道は観光列車「トロッコ列車」の運行、いすみ鉄道は「レストラン列車」をはじめ様々なイベント企画を、銚子電鉄はイベントに加え「ぬれ煎餅」の販売など、地域とも連携して様々な取り組みを行う事で収益の改善を図っています。また、ローカル鉄道の車輛は、一度廃車になった車輛を使っているため、鉄道マニアにとっては魅力的に見えている事でしょう。
 また他にも千葉県には二本のレールを走る一般の鉄道とは違った3つの異色の私鉄があります。そのうちのひとつは軌道をまたいで走る跨座式(こざしき)モノレールが東京ディズニーリゾート周辺を走る「舞浜リゾートライン」です。この「舞浜リゾートライン」はディズニーリゾート施設内の乗り物ではなく、公道上空を走る鉄道事業法に基づいた、れっきとした公共交通機関です。また、「舞浜リゾートライン」はドアの開閉や案内、安全管理のために乗務員は乗っているものの、運転手は乗車せず自動運転で運行されています。
 また佐倉市ユーカリが丘を走る「山万ユーカリが丘線」もゴムタイヤの車両が軌道上を自動運転で走るモノレールの一種「AGT」で、第三セクターを除いた民間企業として初めて導入されたものです。一方、千葉市内を走る千葉都市モノレールは総営業距離が15.2kmの懸垂式モノレールとしては世界最長を誇っており、2001年(平成13年)にギネス世界記録に認定されるなど、モノレール式の鉄道が3つもあるのも千葉県の私鉄の特徴といえるでしょう。
 千葉の私鉄は東京への通勤電車や成田空港への足として、また旧型車両を採用したローカル鉄道と最新の鉄道システムのローカル鉄道が共存し、これからも観光資源としても地域の発展にも貢献してくれるでしょう。
里山トロッコと千葉都市モノレール
小湊鉄道の観光列車 里山トロッコ
世界最長の懸垂式モノレールの千葉都市モノレール

舞浜リゾートラインと山万ユーカリが丘線
舞浜リゾートライン
山万ユーカリが丘線

(2023/2/10)
Vol.58 【勝手に注目】大河ドラマ誘致
大河ドラマ誘致
里見氏と本多親子の大河ドラマ誘致活動
 1963年(昭和38年)に始まったNHKの大河ドラマは、日本人の観光に大きな影響を及ぼしました。大河ドラマが始まると舞台となる地域に関心を持った視聴者がそのストーリーを追って観光に訪れ、それまで観光客が増え、観光地出なかった場所にも観光客が訪れるなど現地に大きな利益をもたらす効果は60年に渡る大河ドラマの歴史の中で実証済みといえるでしょう。
 「南総里見八犬伝」は江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)室町時代後期を舞台に実在した安房里見氏をモデルに書いた長編小説で、大人気を博しました。現代になっても舞台や映画化、人気人形劇になるなど多くの人に知られ、館山市立博物館(館山城)には実際の里見氏に関する展示や八犬伝に関する展示などもされており、市内には「伏姫籠穴」他八犬伝の物語にまつわる場所もあります。
 物語のモデルになった里見氏は実際に千葉県内で大きな勢力を持っていた一族で、館山市では2010年(平成22年)に里見氏大河ドラマ実行委員会が設立され、9回に渡ってNHKに要望書を提出するなど積極的に誘致活動を続けていました。
 一方、大多喜町も本多忠勝、忠朝を大河ドラマで取り上げてもらうよう活動をしています。 豊臣秀吉の命で江戸に移った徳川家康は、家臣の中で四天王と呼ばれていたひとりの本多忠勝に大多喜城を与え、当時勢力を持っていた安房の里見氏に備えました。忠勝は大多喜城を外敵からの攻撃を強固に防ぐ近世城郭に改築すると共に、城下町を形成しました。この城下町の街並みは現在でも一部残っています。
 その後忠勝は関ヶ原の戦いの功績で桑名に10万石を与えられ、大多喜は次男の忠朝へと引き継がれ、1609年(慶長14年)に御宿沖で座礁したスペイン船乗員317名の命を救い日本、スペイン、メキシコの友好交流の基を作りました。
 大多喜町は戦国の世から太平の世へと移る日本を背景にしたこの二人の親子のエピソードを大河ドラマにすべく「NHK大河ドラマ本多忠勝・忠朝」誘致実行委員会を組織し、誘致活動を行っています。
館山城と大多喜城
里見氏の居城だった館山城(現館山市立博物館)
大多喜城(現県立中央博物館大多喜分館)

本多忠勝像
町内を流れる夷隅川にかかる行徳橋には本多忠勝像がある
ロペス・メキシコ大統領来訪記念碑

「歴女」が観光のカギを握るか?
 武将や歴史的人物など歴史的遺産を中心に観光客を集めるターゲットの一つとして、「歴女」が挙げられるのではないでしょうか。「歴女」は Webサイト「刀剣ワールド」によれば、それまで「高齢男性の趣味」という印象が強い分野だった歴史が、2008年(平成20年)公開の映画「三国志」、更にNHKの大河ドラマ「篤姫」などが発端となり、20代の女性を中心に若い女性達が関心を持つようになったそうです。
 更に2005年(平成17年)には歴史ゲーム「戦国BASARA」が発売され、ゲーム内に登場するイケメンに描かれた戦国武将達は、更に女性達の「歴女化」を促進したものと思われます。その後も戦国時代をモチーフにしたゲームも続々と販売され、戦国武将達はキャラクター化され定着していきました。
 このような「歴女」達は、その「押しキャラ」の足跡が残る観光地が、たとえ観光客が減少している場所であっても、「押し」の武将にかかわる場所には「巡礼」と称して訪問する事でその結果、訪問した地域経済に貢献しているようです。
 また、受け入れ側の自治体も旅行会社とタイアップして「歴史コンテンツツーリズム」の企画をして積極的に取り組んでいる事例もあるようです。
 この「歴史ブーム」を象徴する企画からか2020年(令和2)12月にテレビ朝日が放映した「日本人が本当に強いと思う戦国大名ベスト30」が放送され、本多忠勝が10位にランキングされました。また、Webサイト「みんなのランキング」の「戦国武将・大名ランキング!最も愛される戦国時代の武将は?」では本多忠勝が9位、「歴史上の人物人気ランキング!最も愛される歴史上の人物は?」伊能忠敬が14位にランキングされていました。
 2022年1月から始まった「鎌倉殿の13人」では、石橋山の戦いで敗戦した源頼朝は房総半島へと逃げ、房総半島を支配していた千葉常胤や上総広常らの力を得て再起し鎌倉幕府を成立させた事から、千葉氏にも注目が集まり、鎌倉殿の13人の放映中に千葉市立郷土博物館(猪鼻城=千葉城)には「源頼朝に父と呼ばれた武将 千葉常胤」というのぼり旗が置かれているなど、大河ドラマ恩恵の影が見えました。
千葉城
千葉城(現千葉市郷土博物館)
千葉常胤像

千葉神社
千葉神社
千葉神社には千葉氏のでもある「神紋」がある

たくさんの偉人たちがいる千葉
 NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、2022年12月18日の放送で最終回を迎えましたが、2023年1月から放送が始まる「どうする家康」では、先に述べた本多忠勝が登場しますが残念ながら主人公ではありません。千葉にかかわる重要人物が登場する機会があるにもかかわらず、残念ながらいまひとつ主人公にはなっていないのは原作になる小説などが少ないのも理由のひとつかもしれません。
 他にも大河ドラマの誘致活動は行われていないものの、千葉県には大河ドラマに取り上げられるような偉人をたくさん輩出しています。なかでも商人として地元で活躍した後、転身して生涯をかけて初の日本地図を作った伊能忠敬は、小説にも映画にもなっています。佐原では伊能忠敬が地元に果たした功績は副読本まで作成され、小学校の子供たちに語り継がれる努力をしています。
 他にも当時の医療の最高水準を極めていた日本の蘭方医で、順天堂大学の基礎を作った佐藤泰然とそれを支えた佐倉藩主堀田正睦、世界で初めて農業協同組合を作った大原幽学、「さつまいも」で飢饉から人々の命を救った青木昆陽、日蓮宗の宗祖である日蓮、作家では伊藤左千夫、国木田独歩、芸術家では菱川師宣、波の伊八など大きな功績を残した人物は沢山います。
 佐原の伊能忠敬のように今でも老若男女を通して広く地元で尊敬され愛されている例は、残念ながら他の地域で耳にした事がありません。地元の人が「知らない」という状態では何も始まらないので、皆が敬意を表し、後の世代にも語り継いでいく事。更に、地元自治体とも連携し、外に向けて発信していく事で「歴女」のような「歴史マニア」を呼び、更に大河ドラマ誘致へとつながるのではないでしょうか。
佐倉順天堂記念館
佐倉順天堂記念館
佐倉藩城主堀田正睦

伊能忠敬と大原幽学
伊能忠敬
大原幽学

日蓮上人像、 青木昆陽
茂原市の藻原寺にある日蓮上人像
青木昆陽を祀った昆陽神社

(2023/1/10)
Vol.57 【勝手に注目】インバウンド需要
インバウンド需要
残念ながら千葉のインバウンドは圏外
 インバウンドという言葉は「到着する、入ってくる」という意味の言葉で、旅行業界では外国からの観光客を指し、インバウンド需要とは日本にやってきた外国人が日本国内で購入する商品やサービスを指しています。
 コロナ禍前2019年(令和元年)の訪日外国人の出入国者数は、法務省 出入国管理統計表のデータによると30,635,885人で、そのうち入国者数は8,978,773人の成田空港(成田国際空港)が第1位、続いて2位が関西空港(関西国際空港)で8,378,039人、羽田空港(東京国際空港)が3位で4,288,078人となっています。
 一方、インバウンドビジネスの総合メディア・サイト「訪日ラボ」の記事によると、訪日外国人が参考にする口コミサイト「TripAdvisor」の「旅好きが選ぶ!外国人に人気の日本の観光スポット2020」のランキングでは30位の中に千葉県の観光スポットは残念ながらひとつもランキングされていませんでした。千葉県内の観光で圧倒的に人気なのがご承知の通り大型テーマパークで、他の観光地や施設は肩を並べる事は出来ません。
 株式会社Fun Japan Communicationsの記事によると、2019年(令和元年)の千葉県の訪日外国人客数は11,131,338人で全国3位にランクされているにも関わらず、平均宿泊日数と消費金額は共に全国でも下位に位置しているという残念な結果でした。
成田
成田空港
成田山新勝寺

日本のインバウンドは戦後から
 1945年(昭和20年)の敗戦後日本の観光政策は外貨獲得目的に、訪日外国人の旅行者誘致に取り組みました。戦後の混乱の中、観光業は国内にはまだ期待できなかったものの、1948年(昭和23年)に外国人旅行者の斡旋が一部認められると、いわゆる「インバウンド」によって日本の観光が復活し始めました。
 1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピック、更に1970年(昭和45年)の大阪万国博覧会と国際的なイベントにより外国人観光客の訪日は次第に増加し、1960年(昭和35年)から1970年(昭和45年)までの十年間で訪日外国人は4倍に増えていきました。1992年(平成4年)の訪日外国人旅行者数は326万人に達していたものの、1991年(平成3年)にバブル崩壊が始まって以降は、それまで日本人の海外への観光主体からインバウンド観光振興へと舵を切りました。
 その後2000年(平成12年)に訪日外国人は476万人で2003年(平成15年)のSARSの流行や2009年(平成21年)のリーマンショックや新型インフルエンザの流行の影響を受けて減少した年を除けば、2010年(平成22年)には861万人とほぼ右肩上がりの傾向で、2011年(平成23年)の東日本大震災があった年を除いて高い伸びを示し、LCCの普及もあり2019年(令和元年)には3,188万人にまで増加しました。
 日本への来日目的は観光だけでなく、特に中国人観光客が日本で大量に商品を購買していく事も話題になり、「爆買い」という言葉が2015年(平成27年)の「ユーキャン新語・流行語大賞」にも選ばれるほどでした。
京都と日光
外国人に人気のある京都伏見稲荷大社
日光東照宮の陽明門

SNSの発信で千葉のインバウンドを獲得
 千葉県は成田空港が海外の玄関口になっているものの、一部のテーマパークを除き訪日外国人は県外へ向かってしまい、残念ながら県内の施設や観光地などへは向かってくれていません。また、大資本が計画している施設は2025年(令和7年)にオープン予定の「日本ゲートウェイ成田」という施設はビジネス、日本の魅力・文化を発信する施設で新たな訪日外国人の人気スポットとになる事が想像できますが、県内の地元企業は大資本を投下する事は難しく、今ある物を生かす道しか残されていません。
 一方、訪日外国人の一部は日本のサブカルチャーやポップカルチャーとして世界に評価されているアニメやゲームなどの文化に触れる目的で日本を訪れています。オタク文化の聖地である秋葉原や中野ブロードウエイをはじめ、アニメの舞台になった先をまわる「聖地巡礼」の他、アニメのテーマパーク「ジブリ美術館」などが彼らの訪日目的になっています。
 千葉県内にも映画やドラマなどのロケ地を観光客が巡る「ロケツーリズム」の需要はあり、アニメの「聖地巡礼」を目的に観光客が訪れています。各市町村もロケ地誘致活動を積極的に行っていますが、アニメの舞台になる場所として使ってもらえるように情報を発信し、使ってもらえば「聖地巡礼」でインバウンド需要も取り込めるチャンスがあるのではないでしょうか。
 SNSの普及によって日本を訪れた外国人が発信したSNSで次の訪日外国人を呼ぶ連鎖も起こっています。外国人に人気の鋸山の「地獄覗き」もそのひとつといえるでしょう。また、特にアジアから訪れる訪日外国人は甘くて美味しい苺狩りが人気だとされています。他にも梨狩りなど、千葉の優秀なフルーツもインバウンドを呼び込める可能性があるといえます。
 自治体も積極的にSNSを活用し発信するようになったものの、それに頼ることなく自ら今ある観光資源を「SNSで発信しながら磨いていく」事で、もっと地元に利益をもたらすインバウンド需要を取り込めるのではないでしょうか。
苺狩りとアニメロケ地
アジア系外国人に人気の苺狩り
旭市刑部展望台にあるアニメロケ地の記念碑

(2022/12/9)
Vol.56 【勝手に注目】幕張新都心
幕張新都心
幕張ではない幕張新都心
 幕張新都心は、1983年(昭和58年)に策定された千葉新産業三角構想によって「幕張新都心事業化計画」から始まり、企業の本社やオフィス、住宅地を抱え、野球・サッカー・イベント・展示会・ショッピングなど休日には県内外から多くの人が集まる場所になっています。
 幕張新都心と呼ばれるエリアは、千葉市花見川区幕張町に隣接するかつての海岸で、千葉市美浜区に該当しますが、ホームセンターや大型家具店などの店舗が習志野市の工業地帯にまで拡がっています。住所は「幕張」ではありませんが、今まで無かった埋め立て地のため、開発が進む中様々な所に「幕張」の名称が使われ、「幕張」という名前は、国内はもとより世界にも知られるようになりました。
 新都心エリアを分断する浜田川で仕切られた北部エリアにはショッピングモールが、JR京葉線の海浜幕張がある中央部エリアには、野球場・幕張メッセ・ホテル・オフィス街など多くの施設が、そして花見川までの南部エリアには住宅街が広がっています。
 夏に千葉市のランドマーク「千葉ポートタワー」で開催されていた千葉市民花火大会の開催地が幕張に移され、「幕張ビーチフェスタ」として開催されるようになるなど、今や千葉市の新たなコアタウンとして発展しています。
 またコロナ禍によって1年延期された2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピックでは、幕張メッセはレスリング・テコンドー・フェンシング・シッティングバレー・車いすフェンシング・ゴールボールなどの会場としても使われました。
幕張新都心
大型ショッピングモールのイオンモール幕張新都心
ホテル群

幕張海岸
高層ホテルと幕張海岸を望む
幕張ビーチフェスタ

かつては海水浴や潮干狩りで多くの観光客が集まった海岸
 「幕張」という地名は頼朝伝説では近世までは「馬加(まくわり)」と呼ばれており、頼朝伝説では頼朝が立ち寄り馬を乗り換えた(馬を加えた)ので「馬加」になったとか、陣を構え天幕を張ったので「幕張」になったという伝説も残っています。
 幕張は東京湾沿岸だった事から古くから漁業が行われ、海苔の養殖も行われていました。また明治時代には鉄道が整備され、総武線の中でも千葉駅に続き古い駅のひとつの幕張駅が出来た事により、海岸は東京近郊の海水浴場として賑わっていました。
 1967年(昭和42年)に稲毛、検見川、幕張に計画人口24万人の海浜ニュータウン建設が発表され良好な住宅地として整備する事が決定され、1973年(昭和48年)に幕張地区の埋立てが着工。1975年(昭和50年)に住宅中心の計画から業務機能をもつ新都心を建設する事に見直しが行われ、業務・タウンセンター・住宅・海浜公園などの案がまとまり、1979年(昭和54年)には幕張人工海浜「幕張の浜」が誕生しました。
 また、1976年(昭和51年)には教育文化機能を充実させる「学園のまち」構想が浮上し、1981年(昭和56年)から順次、大学・高校などの文化・教育施設が立地するようになり文教地区も形成されていきました。
 1985年(昭和60年)には老朽化と交通の利便性が悪かった東京晴海の東京国際見本市会場代替と幕張新都心開発の一環として1989年(平成元年)に日本コンベンションセンター国際展示場(通称幕張メッセ)が完成し、東京モーターショーが開催され話題を呼ぶと同時に「幕張」の名前が全国に知られるようになりました。
 更に1990年(平成2年)には千葉ロッテマリーンズのホームグランドであるマリンスタジアムがオープン、1992年(平成4年)の幕張テクノガーデンのオープンを皮切りに業務としての整備が始まり、1994年(平成6年)には幕張ベイタウンの分譲が始まり、住宅地の整備も進みました。
ZOZOマリンスタジアム
潮干狩りでにぎわう昭和40年代の幕張海岸
ZOZOマリンスタジアム

幕張メッセ
幕張メッセ
幕張ベイタウン

職・住の環境が整った新しい街
 1993年(平成5年)に海浜幕張駅前に商業ビル「プレナ幕張」がオープンしたのを皮切りに、2000年(平成12年)に三井アウトレットパーク、更にコストコホールセール幕張倉庫店がオープンするなど、続々とショッピングモールや大型店舗などが進出し一大ショッピングエリアとしても知られ、多くの人たちが「幕張」を訪れるようになりました。
 一方これまで県内屈指の商業地域であった県庁所在地の千葉市中央区には複数の高層マンションの建設が進んでおり、ショッピングの中心は幕張新都心へと移りつつあるようにも見受けられます。かつて遠浅の海岸だったからこそ、首都圏でありながら一から計画的に街づくりをする事が出来、ひとつの地区で仕事、住宅、ショッピング、娯楽が充実している理想的な街が実現できたわけです。
 また、東京ビッグサイトが出来た事で、幕張メッセの展示会場としてのポジションは変化したものの、音楽フェスをはじめ若者文化の開催地としても利用されています。幕張人工海岸に面した場所には公益財団法人日本サッカー協会「高円宮記念JFA夢フィールド」がオープンし、日本代表を始め選手育成や指導者育成のための施設として稼働し始めました。更に、元日本代表の本田圭佑氏プロデュースの未来のサッカー選手を育てる「ソルティーロ ファミリアサッカースクール」も出来るなど、サッカーの街としても知られています。
 幕張新都心エリアにはまだまだ多くの空き地が存在し、更に進化していくでしょう。未来の街として発展を続ける幕張新都心のこれからに注目です。
三井アウトレットパーク幕張
三井アウトレットパーク幕張
続々誕生するタワーマンション

JFA夢フィールド
高円宮記念JFA夢フィールド
ソルティーロ ファミリアサッカースクール幕張

(2022/11/10)
Vol.55 【勝手に注目】大規模商業施設
大規模商業施設
1960年(昭和35年)から始まった
千葉県内の大規模商業施設
 小売店舗面積が50,000m2を超える商業施設は、全国で152施設ほどあるようですが、そのうち千葉県内には9か所の施設があります。店舗面積のランキングで比較すると、埼玉県のイオンレイクタウンMORIが第1位、2位がイオンモール幕張新都心、3位が三井ショッピングパーク ららぽーと TOKYO-BAY、10位にアリオ蘇我、22位にイオンモール千葉ニュータウン、29位にオーロラモールジュンヌと千葉県内には5か所の上位30位以内にあがる大規模商業施設があります。
 千葉県内の大規模商業施設の歴史を紐解くと、1960年代に「ペリエ千葉」「千葉ショッピングセンタ・C-One」「イトーヨーカドー柏店」「千葉三越」「そごう柏店」「千葉パルコ」など26か所がオープンし、70年代には「三井ショッピングパークららぽーとTOKYO-BAY」「ニッケコルトンプラザ」など18か所がオープンしました。80年代に入ると、「プレナ幕張」「イトーヨーカドー幕張」「イオンユーカリが丘店」など31か所がオープンするなど次第に数が増え、90年代には、「イオンモール成田」「イオンモール千葉ニュータウン」「ビビット南船橋」「イクスピアリ」など48か所とどんどん増え続けました。しかし、2000年から2010年までにオープンしたのは19か所とその勢いが止まってきました。
 リアル店舗のショッピングモールが人気を博している一方、ECサイトの躍進も見逃す事が出来ません。2021年(令和3年)の売上高国内1位は楽天、2位はYAHOO!、3位はアマゾンジャパンでZOZOTOWNは4位にランキングしています。
千葉県内の大規模商業施設
ららぽーとTOKYO-BAY
イオンモール幕張新都心

アウトレットと黒船来航
 大規模商業施設の中でも近年はハイブランドの商品が安く買えるという事で、アウトレットモールの人気が高まり、全国に造られ今や35か所までに拡大しています。千葉県内には3か所のアウトレットモールがあり、店舗面積の全国ランキングでは、三井アウトレットパーク木更津が16位、酒々井プレミアムアウトレットが22位、三井プレミアムアウトレットパーク幕張が27位の面積になっています。
 Webサイト「マーケットピア」が発表した「アクセス数」、「動画」、「写真」、「コメント」のアクセス数・投稿数が多い順にランキングされた「全国のアウトレットモールランキング」の2022年8月29日~9月4日までの調査結果では、三井アウトレットパーク木更津が第1位、酒々井プレミアムアウトレットが第2位、三井プレミアムアウトレットパーク幕張が第22位になっています。
 一方、外資系の大型商業施設も大人気で、スウェーデン発祥の家具量販店のIKEAは、1981年(昭和56年)に船橋市にIKEA Tokyo-Bayをオープンしました。その後IKEAは全国に12店舗まで拡大しています。また、アメリカのコストコホールセールは、1999年(平成11年)に福岡県糟屋郡久山町に1号店をオープン、翌2000年(平成12年)は千葉市にオープンし、現在国内に31店舗、千葉県内だけでも千葉市、印西市、木更津市の3店舗と海外の大型商業施設も拡大しています。
アウトレットモール
酒々井プレミアムアウトレット
IKEA Tokyo-Bay

県内三大「大規模商業エリア」の集客力を活用できるか
 このZOZOTOWNを経営する株式会社ZOZOは、1995年(平成7年)に東京都江戸川区で創業し、2001年(平成13年)に千葉市美浜区に移転、現在は千葉市稲毛区に本社を置いている千葉の企業です。
 リアル店舗からネット販売へと消費者の意識が大きく変化を遂げた事から、大型商業施設でもリアル店舗だけではなくECサイト展開も始まっているようです。三井アウトレットパークは「&mall」をオープンし、アウトレット商品がネットでも購入できるようになるなり、更にIKEAやコストコホールセールなど外資系の大型商業施設でもでもネット購入が出来るようになるなど、時代の流れに対応したネット販売も進んでいます。
 ネットショッピングが台頭する一方、千葉県内に1960年代から始まった大規模商業施設は、千葉市美浜区から習志野市かけてのベイエリアにイオンモール幕張新都心、コストコホールセール幕張、三井アウトレットパーク幕張などが集中しており、一大商業エリアとして知られるようになりました。また、内陸部の人気エリアの印西市は、国道464号線沿いに数多くの大規模商業施設が集中しており、こちらも一大商業エリアが構成されています。
 更にバブル崩壊後、中心街がさびれてしまった木更津市は今や人気のベッドタウンとして復活し、アクアラインの着岸地になっている金田エリアが続々と開発が進んでいます。三井アウトレットパーク木更津をはじめ、コストコホールセール木更津などが続々と作られ、ショッピングエリアとしての街が出来上がりつつあります。
 しかし、大型商業施設が増える事で、地元の商店が厳しい状況に陥ってしまう事も否定できません。首都圏からのアクセスが良く広大な敷地を確保できる千葉県は、これからも大型商業施設の展開が増えていくかもしれません。地元企業は大型商業施設に無い「何か」を提供する事で、大型商業施設の集客力を活用出来れば、ライバルの大型商業施設を味方につける事が出来るのではないでしょうか。大型商業施設と地元との共存がこれからの課題でしょう。
道の駅みんなみの里
コストコホールセール幕張
三井アウトレットパーク木更津に隣接する「キサラピア」

(2022/10/11)
Vol.54 【勝手に注目】地域団体ブランド
地域団体ブランド
地域団体ブランド
地域団体ブランドで差別化を図る
 地域団体ブランド(地域団体商標)制度とは地域の産品等について、事業者の信用の維持を図り「地域ブランド」の保護による地域経済の活性化を目的として、2006年(平成18年)に導入されました。「地域ブランド」として用いられることが多い地域の名称、及び商品(サービス)の名称等からなる文字商標について登録要件を緩和する制度です。
 地域団体ブランドは「地域の名称」+「商品(サービス)」の普通又は慣用名称の組み合わせでできている商標で、2022年(令和4年)8月現在814件の登録があります。
 地域団体ブランドを登録できるのは、事業協同組合、農業協同組合など特別の法律により設立された法人格を持つ組合の他、商工会・商工会議所、NPO法人、更にこれらに相当する外国の法人と定められています。
 地域団体ブランド取得のメリットは、
 ①商標権で保護されているため、他者から商標権を侵害された場合に攻撃・防衛できる
 ②ライセンス契約による収入が得られる
 ③大企業から信用が得られ、取引において競合他社との差別化が図れる
 ④国が認めた商標を持っていることで、商品・サービスの訴求力が上がる
 ⑤知名度とブランド力の向上によって商品単価が上がり、売上アップが図れる
などが考えられ、県や市町村も地域ブランド取得を推奨しています。
チバブランド
富里の落花生も地域団体ブランド
 千葉県内で地域団体ブランドを取得しているのは、水産物、加工食品、菓子、その他サービスが夫々1件、野菜3件、米1件、果物8件、温泉2件の計18件の登録があります。なかでも農業協同組合の取得が12件と断トツに多くなっています。
 「千葉といえば」と聞かれた際に皆が答えであろう「落花生」は、全国出荷高80.1%(2020年産)を占める断トツ1位で、特に八街の落花生は「八街産落花生」として商標登録がされています。実際には落花生は県内各地で栽培されていますが、一般消費者にとって千葉県産落花生は「八街産落花生」として認識されており、地域団体ブランドが絶大な効果を上げている事を証明しているでしょう。この「八街産落花生」ブランドは八街商工会議所内にある「八街落花生商工協同組合」が2007年(平成19年)に登録しています。
 またテレビで人気になった「しゃべる梨の妖精」キャラクターで改めて認知度が高まった「梨」の栽培は、千葉県内では江戸時代に始まり県内に定着していきました。落花生と同様に県内各地でも栽培されていますが、千葉県で最初に栽培が始まった市川を中心とした東京に近い地域が特に盛んで、市川、船橋、白井、松戸、鎌ヶ谷が地域団体ブランドの登録をしています。
 他にも「富里のスイカ」「房州びわ」など果実の他、千葉のブランド米「多古米」、松戸の「矢切ネギ」「安房菜の花」「船橋にんじん」なども地域団体ブランドとして登録されています。
大山不動尊
八街商工会議所内の八街落花生商工協同組合
「市川の梨」と「市川のなし」「船橋のなし」を
登録した市川市農業協同組合

日本の酪農の始まりの地千葉酪農のさと
「房州びわ」と「安房菜の花」を登録した
安房農業協同組合
「富里スイカ」を登録した富里市農業協同組合

農産物だけでない千葉の地域ブランド
 千葉県の地域ブランドは、農産物以外でも銚子沖で「立て縄」と呼ばれる一本釣り漁法で獲れる「きんめだい」は、一本釣りで魚体に傷がつかない高級品である事から「銚子つりきんめ」として地域団体ブランドとして登録されています。
 一方、コロナ禍の前までは観光立県を目指していた千葉県には、観光の重要な目玉の「温泉」が数多くありますが、残念ながら火山県では無いため「鉱泉」と呼ばれる低温の温泉です。それでも、この温泉も南房総の鴨川市に「鴨川温泉」と「小湊温泉」の二つが地域暖帯ブランドとして登録されています。
 18件登録されている千葉の地域団体ブランドの中で異彩を放っているのが、習志野商工会議所が登録した「習志野ソーセージ」とB級グルメで知られるようになった「勝浦タンタンメン」です。
 「習志野ソーセージ」は、大正時代に習志野にあった捕虜収容所に収容されていたドイツ人が伝えたソーセージ製法のレシピを復刻したもので、ソーセージを目玉にイベントなどを行っている他、市内の店舗やインターネットなどで販売されています。
 また、「勝浦タンタンメン」は海女や漁師たちが海仕事で冷えた体を温めるメニューとして生まれ定着した食べ物で、勝浦市商工会議所の青年部が2011年(平成23年)の「B-1グランプリ全国大会」に初出場し7位入賞を果たした事で広く知られるようになりました。その後「ONE勝浦企業組合」を結成し地域団体ブランドとして登録されています。
 千葉の地域団体ブランドは既に知名度があるものを守るため、更に知名度を上げるために取得されたものが多いですが、「習志野ソーセージ」のように地域団体ブランドを登録して知名度向上効果を狙ったものも登場しています。千葉県の地域団体ブランド登録は、海外からの登録を除き全国で15位。この例の様に他県に負けない良い物は、「知られてこそ真価を発揮」するので、もっと積極的に地域団体ブランドの登録を推進し、千葉県の良い物を全国に知ってもらう事をお勧めしたいと思います。
道の駅みんなみの里
「習志野ソーセージ」ブランドを登録した
習志野商工会議所
「勝浦タンタンメン」を登録した
勝浦商工会内のONE勝浦企業組合

(2022/9/9)
Vol.53 【勝手に注目】長狭街道
長狭街道
長狭街道
南房総を横断する街道
 長狭街道(ながさかいどう)は、南房総を横断する街道として古くから使われており、今では鴨川市横渚から富津市を経由し、南房総市の鋸南町の保田交差点までを横断する「県道34号鴨川保田線」になっています。また、鋸南町側では館山自動車道とクロスしている事から外房側に移動するには最適な街道として観光バスなども利用しています。
 街道の名前にある「長狭」という名前は飛鳥時代以前から使われており、1897年(明治30年)に安房郡、平郡、朝夷郡、長狭郡の4つが合併して現在「安房郡」の前身が形成されました。1971年(昭和46年)に鴨川町、江見町、長狭町が合併・市制施行され、長狭という名前はこの時点で正式な地名としては消えてしまいました。
 かつての長狭地区で生産されている米にはこの「長狭」という地名が残っており、この地区で生産された米は「千葉県の三大ブランド米」のひとつ「長狭米」として知られています。
 長狭米が生産されている地域は長狭街道に沿って広がっており、鴨川側から街道を西に3kmほど進むと両側に田園風景が広がってきます。この辺りからが「長狭米」の生産地で、街道を少し左に入った所には「日本の棚田百選」に選ばれた「大山千枚田」という棚田あります。この大山千枚田は、現在「オーナー制度」を導入し、景観保全とともに農業体験の場が提供されるようになっています。2012年(平成24年)に上皇・上皇后両陛下が千葉県を訪問された際にはこの大山千枚を視察され、上皇陛下がその風景に感動して詠まれた短歌を掘った石碑が棚田を一望できる場所に置かれています。
大山千枚田
大山千枚田
上皇陛下の短歌が彫られた石碑

古くから利用されてきた街道
 長狭街道のちょうど中ほどには、724年(神亀元年)に良弁僧正が開基したといわれている高蔵山大山寺(通称大山不動尊)があります。この大山寺は、神奈川県伊勢原市にある雨降山大山寺、成田山新勝寺と共に「関東の三大不動」ともいわれています。江戸時代後期の1802年(享和2年)に建てられた大山寺の不動堂には、鴨川生まれの彫刻師「武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし)」通称「波の伊八」が彫った龍と、本尊の木造不動明王は千葉県有形文化財に指定されています。
 1180年(治承4年)の「石橋山の戦い」で敗れた源頼朝は、安房に上陸し再挙を図った事で、南房総地区には数々伝説が残されており、長狭街道付近にもいくつかの伝説の地が存在しています。具体的には兵力を立て直す策を練った上陸地近くの竜島にある「神明神社」上総・下総地域を治めていた上総広常との合流をあきらめた街道沿いにある「大山不動尊」当時長狭地区を治めていた長狭常伴の軍勢に襲撃を受けて身を隠した「伊予ヶ岳」長狭常伴と戦となって勝利した「魚見塚一戦場公園」などあります。
 また、江戸時代に入ると街道近くにある標高が日本一低い千葉県最高峰の「愛宕山」の向こう側にはかつて江戸幕府の牧場「嶺岡牧」があり、日本初の酪農が行われていました。明治時代に入り、牧が廃止になった跡地は、今では日本の酪農の発祥の地として「千葉県酪農のさと」が出来て、観光客を集めています。
大山不動尊
上総広常との合流をあきらめた大山不動尊
波の伊八作の龍

日本の酪農の始まりの地千葉酪農のさと
日本の酪農の始まりの地千葉酪農のさと
鋸南町竜島海岸にある源頼朝上陸の地の石碑

今でも観光・物流に欠かせない街道として機能する
 長狭街道を進み国道128号線を越え1.5kmほど進んだ内房方向に進んだ左手には体育館、野球場、陸上競技場、サッカー場などが集まっている「鴨川市総合運動場」があります。野球場は千葉ロッテマリーンズの秋季キャンプ地として知られている他、サッカー場は女子サッカー「なでしこリーグ1部」の「オルカ鴨川FC」のホームスタジアムにもなっています。
 街道を内房方向に進み「長狭中学校前」の交差点を左に曲がり国道410号線を200mほど進むと、鴨川市の道の駅「みんなみの里」があります。みんなみの里では地元産の野菜などの販売や地元野菜などを使った料理を出すカフェが併設されている他、田植えや稲刈りなどの体験イベントも開催されています。また道の駅は株式会社良品計画が指定管理者として運営しているため、施設内には南房総で唯一の「無印良品」の店舗も併設されています。
 長狭街道の内房側の終点近くには、館山自動車道の鋸南保田インターチェンジが繋がっているので、内房へのアクセス拠点になっている他、長狭街道を使う事で外房へのアクセス拠点にもなっており、房総半島南部へのアクセスの鍵をにぎる要衝だといえます。
 鋸南保田インターから内房側へ街道を進むと直ぐに話題の鋸南町の道の駅「保田小学校」が見えてきます。2014年(平成26年)3月末で廃校になった保田小学校の校舎を再利用して造られた施設で、地域振興拠点として地元の野菜などの販売とお土産物を販売する「きょなん楽市・直売所」、観光情報提供施設更に道の駅では珍しい簡易宿泊施設「学びの宿」、温浴施設「里の小湯」があります。
 このように長狭街道は、街道として長い歴史の中外房と内房を結ぶ街道として使われてきました。今では館山自動車道とも連結し、鋸南町、富津市、鴨川市を繋ぎ、沿線には市民の生活に根付いた場所として、二つの道の駅と共に東西の観光拠点を結ぶ重要な街道として機能しています。
道の駅みんなみの里
運動公園内の鴨川市サッカー場
道の駅みんなみの里

道の駅保田小学校
道の駅保田小学校
街道には観光スポットにもなっている酒蔵もある

(2022/8/10)
Vol.52 【勝手に注目】地学的観光資源
地学的観光資源
房総半島
海底が隆起して出来た房総半島
フィリピン海プレートが作った房総半島
 日本列島はユーラシア大陸の東端の縁の部分が分離し形成されました。一方房総半島は海底が隆起して日本列島に合体して出来上がりました。房総半島の沖合は「北米プレート」に「フィリピン海プレート」が沈み込み、更に「太平洋プレート」が沈み込むという3つのプレートが重なる世界でも珍しい地域で、その力で海底が隆起し千葉県の大地が出来ています。東山魁夷の「残照」のモデルになった「九十九谷」もこの「フィリピン海プレート」が房総半島を押し上げた痕跡で、畝(うね)がいくつも重なる景観からその痕跡を見る事が出来ます。
 また、房総半島も北部、中部、南部とそれぞれ特徴があります。北部はかつて「海(古東京湾)」が氷河期に干上がり、そこに火山灰が堆積した関東ローム層になっています。
 また中部は、氷河期の海面下降で表出した土地がその後隆起したもので、かつて深海にあった土石流の堆積物などは「いすみ市文化とスポーツの森」付近の地層でも見る事が出来ます。
 南部は海底火山からの噴出物がプレート付近で発生する海底地震によって隆起したため、火山岩を多く見る事が出来ます。観光名所の鋸山も火山噴出物が主体の凝灰岩や角礫岩(かくれきがん)で出来ており、かつて「房州石」として東京や神奈川の多くの建築物で使われました。
 他にも宮城県の松島を思わせる景観としてその名が付いた鴨川市の景勝地「鴨川松島」は火山の噴出物がプレートによって地上に隆起したものです。
 また、海底から隆起した地層からは巨大地震の痕跡を見る事も出来ます。南房総市千代地区から白浜町を結ぶ広域農道南武線「安房グリーンライン」の工事中に発見された「白浜の海底地すべり堆積層」も激しい隆起活動によって地上に現れたもので、プレート付近で発生した巨大地震の痕跡を見る事が出来ます。この地層は約200万年前の巨大地震により海底に堆積した地層が大規模な地滑りを起こしたもので、地層がちぎれていくつかの大きなブロックで液状化して回転し、上下が逆になったものを見る事が出来ます。
海底地震によって隆起
畝が続く九十九谷
いすみ市の海底土石流でつくられた地層

約200万年前の巨大地震により海底に堆積
鴨川松島
巨大地震の痕跡「大規模海底地すべりの地層」

今も隆起する南房総
 銚子は景観を見る事に加え、その成り立ちや地球科学的な背景と生活との関わり合いを知る「ジオツーリズム」を観光資源にしており、犬吠埼、屛風ヶ浦をはじめとした自然が観光の目玉のひとつになっています。
 観光資源としては地味な「地学的スポット」ですが、房総半島には銚子以外にも「地学的スポット」が数多く見つかっています。北部・中部で見る事が出来るのは「地層」が中心で、どちらかというと「静」のイメージが強いスポットですが、南部は「動」を感じさせるダイナミックな「地学的スポット」を見る事が出来ます。
 たとえば千倉町川口海岸付近には「屏風岩」と呼ばれている屏風を立てたような岩場を見る事が出来ます。この場所は3つのプレートがぶつかっている所で、「太平洋プレート」が年に10cm位のスピードで押し寄せているそうで、その力で大きく押し曲げられた地層が海面に姿を現し、長い年月をかけて凝灰岩の部分だけが残ったものが「屏風岩」と呼ばれています。
 また、館山市内には地震による隆起の痕跡を見る事が出来る複数のスポットがあります。市の南東部、東京湾に面した見物海岸の砂浜にある階段状の大きな岩盤の上段は、1703年(元禄16年)に関東地方を襲った元禄地震によって3mほど隆起した痕跡です。下段は関東大震災で1.5m隆起した痕跡で二回の大地震で高さは4mを超えるほど隆起しています。
 更に縄文時代の海中遺跡、サンゴの北限、としても知られ、海水浴スポットとして人気の「沖ノ島」もかつては房総半島から分離した小島でしたが、1923年(大正12年)の関東大震災で砂州が1.4mほど隆起し地続きで渡れるようになりました。他にも南房総には地震による隆起の痕跡を見る事が出来る場所がいくつも存在しています。
屏風岩と見物海岸
千倉町の屏風岩
見物海岸の地震によって隆起した岩盤

沖ノ島
関東大震災の隆起で地続きになった沖ノ島
沖ノ島にもプレートによる痕跡を見る事が出来る

千葉の大地は「地学的観光資源」
 2020年(令和2年)1月に「チバニアン」と命名された事が大きく報道されました。そもそも「チバニアンとは何か」とよくわからない方も、「また千葉に新しい観光資源が誕生した」と思われた方も少なくないでしょう。
 そもそも方位磁石は常にN極が北を向くのは地球自体が磁石の様になっているからで、その事を「地磁気」と呼びます。地球が磁気を持つ仕組みは解明されつつあるようですが、地磁気の逆転が何故起きるのかは分かっていないようです。但し、過去2000万年の間に地磁気の逆転現象が起こっている事は分かっています。
 地球の46億年の歴史を語る際に採取された化石で時代を分けますが、「地磁気逆転が起こった時期」も時代を分ける材料として使われています。更に、恐竜がいたジュラ紀や白亜紀など名称が決まっている時代がありますが、名前が決まっていない時代もあります。
 市原市田淵地区の養老川沿いで見つかった地層、すなわち「チバニアン」は、一番最近に地磁気逆転が発生した約77万4千年前から12万9千年前までの時代の境界が、世界中で最もよくわかる地層として国際地質科学連合に認められました。「チバニアン」の名前の由来は、ラテン語で「千葉の時代」を意味するもので、2018年(平成30年)10月には国の天然記念物にも指定されています。
 「チバニアン」は比較的観光客が来訪しやすい場所にあり、地質学の一般への普及や学校教育への大きな波及効果が期待されます。また、「マイナス」を「プラス」に転じるという理由からか、パワースポットとしても話題になっているようです。「チバニアン」の地元市原市は、付近に駐車場とビジターセンターを設置し、現地を見学するだけでは正しい理解が難しい地磁気逆転地層の意義や魅力を解説しています。
 銚子ではこのような「地学的資源」を「ジオパーク」として観光資源にしていますが他にも、千葉県内にはたくさんの「地学的観光資源」が残っています。視点を変えてもっと千葉の「地学的観光資源」を活用したらいかがでしょうか。
チバニアン
足元の悪い養老川沿いにチバニアンがある
写真の赤は地磁気が逆転していた時代、
黄は地磁気が不安定な時代

地学的観光資源
付近には市原市が設置したチバニアン解説の表示板がある
市原市が設置したビジターセンター

(2022/7/8)
Vol.51 【勝手に注目】ベーカリー カステット
ベーカリー カステット
ベーカリー_カステット
新しい町ほたる野にできた一味違うパン屋
 木更津市は古くから港町として栄えていました。1997年(平成9年)に開通したアクアラインの交通量は予測をはるかに下回る状況で、更にバブル崩壊で東京のベッドタウンとしての需要は発生せず、地価は下落し、人口も流出していきました。
 2005年(平成17年)には東京圏の超過密問題を解決するため諸機能を適正配置するための受け皿になる「業務核都市」となり、金田地区にスパ施設やアウトレットパークなど新しい施設が造られ、更に2009年(平成21年)にはアクアライン料金値下げなどの効果もあり、商圏の拡大や人口増加など好転していきました。
 カステッドさんがある市内のほたる野地区は、土地区画整備事業により市の中心エリアから東に続く丘陵部に2007年(平成19年)に竣工されました。開発テーマは「うるおいのある夢さく丘の街『ほたる野』~学ぶ、遊ぶ、憩う、住む・・・未来はこのエリアにある」で、自然林が残る丘陵部に隣接し、大型ショッピングセンターなど、生活に必要な施設が多く立ち並び、インターロッキングというカラフルなブロック舗装の歩道や自然石の石積み、沿道の植栽など住む人が暮らしやすい配慮もされた新しい住宅エリアです。
木更津港とアクアライン
木更津港
アクアライン

アウトレット
アウトレットモール
専門店も出展するアピタ木更津

パンを通して食の事を広めたい広げる
 カステットは、2019年(令和元年)12月に木更津市ほたる野にオープンしました。 2020年(令和2年)にはクラウドファンディングにも挑戦し多くの賛同者を得た事もその評価になっていると思います。
 店主の國吉さんは、自分のパン屋を開業する計画でパン職人の世界に飛び込まれました。まずは基礎を学びながら、研究のため食べ歩きをしていたそうです。そんな中で知った大阪の有名なパン屋に移って更に修行をし、パン作りはもとより食に関する考え方も学んだそうです。
 食材全てにこだわり抜いて作った高価なパンではお客様のハードルを上げてしまう事になり、「パンを通して食の事を広めたい」という目標に向け「普通のお客様がいつでも買える値段のパン屋」になる事が最適だと考えているそうです。その代わり積極的に地域食材を使う事で輸送時に発生する二酸化炭素削減など、少しでも環境負荷を減らす努力や食品ロスの削減、食生活に関する発信などにも注目しています。
 更に國吉さんはハム、ソーセージ、パテ、テリーヌなどの食肉加工を行う「シャルキュティエ」としての修業も行い、パンに加えその技術をもう一つの柱として店をオープンされ、常連のお客様、特にハード系のパンを求めている方に大好評をいただいているそうです。
焼き立てもパン
カステッド
開店時には美味しいパンが並び更に焼き立ても次々並ぶ

手作りソーセージ
國吉さんの作ったソーセージ
使っている蜂蜜は市原市の蜂蜜

私好みの風味豊かなカステットのパン
 以前にもカステットの國吉さんの作るパンを購入して食べた事がありましたが、今回記事を書くために改めて購入させていただき食べてみました。
 今回購入したのは、「豆乳胡桃パン」「ホットドック」、それに定番の「クロワッサン」と「ハーフサイズのバゲット」の4種類でした。「豆乳胡桃パン」は5分ほど待てば焼きたてが買えるとの事で、ちょっとだけ待って焼きたてを購入させていただきました。
 國吉さんのパンはいわゆる「ハード系」といわれるタイプで、どのパンもしっかりと噛み応えがあり、小麦の風味を感じる事が出来ます。「豆乳胡桃パン」は一口かじると、ほんのり豆乳の風味がして、中にはその名のごとく胡桃がいっぱい入っていました。
 また、「ホットドック」には國吉さんが特別に肉屋さんにオーダーしているソーセージが使われ、パンはしっかり噛み応えがありました。当然ですがよく売っているふわふわパンのホットドックとは全く別物でした。
 「シャルキュティエ」でもある國吉さんが現在作っているのはパテとハムだそうで、残念ながら今回購入した中にはありませんでした。今度は國吉さん手作りのパテやハムを使ったものを購入したいと思います。
 一方シンプルな「クロワッサン」はしっかりとバターの香りがして風味豊かな感じ、「バゲット」は当然ながら噛み応えがありますが、よく販売されているバゲットに比べ國吉さんが作るバゲットの風味は私の好みです。何もつけなくても美味しくいただけました。
 國吉さんの「パンを通して食の事を広めたい」という思いを持って地元千葉の厳選された素材を使い、パンにひたむきに向き合う國吉さんのパン作りは注目です。ぜひ一度國吉さんのパンを食べてみてください。
千葉城
焼き立てにありつけた豆乳胡桃パン
ソーセージまで手作りのホットドック

千葉神社
サクサクのクロワッサン
定番のバゲット(ハーフサイズ)

●取材先
株式会社カステッド
〒290-0035 千葉県木更津市ほたる野1-31-1エクセレントNOW102
TEL:0438-77-6790
URL: https://cassetete.thebase.in/
Facebook: Casse-têteカステット
Twitter: https://twitter.com/casse_tetechiba
Note: https://note.com/hitachio_ta/
(2022/6/10)
Vol.50 【勝手に注目】千葉の頼朝伝説
千葉の頼朝伝説
千葉常胤
千葉常胤像

頼朝の成功のカギは千葉にあった
 現在放送され、人気を博している大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、頼朝の死後に発足した13人の合議制で鎌倉幕府が運営されていた話です。残念ながらこの13人の中には千葉にゆかりのある人物はいませんが、源頼朝が平家を滅ぼし征夷大将軍に任じられ、鎌倉幕府成立に千葉が大きくかかわっていた事はご存じだったでしょうか。
 頼朝と千葉が大きくかかわるのは、平家隆盛を打ち負かし源氏の世の中に転じるために起こした「石橋山の戦い」に敗戦した事がきっかけになります。
 石橋山の戦いは、平安時代末期の1180年(治承4年)8月に源頼朝軍の約300騎が挙兵し、相模国の武将大庭景親らが平家方の武士たち約3000騎と石橋山(現在の小田原市)で戦いました。その勢力の差を見ても結果は明白で、頼朝は大敗し雪辱の機会を狙って逃走しました。歴史書「吾妻鏡」によると、頼朝は8月末に現在の神奈川県真鶴岬から小舟で房総半島の安房国猟ヶ島に上陸したとされています。この「猟ヶ島」という記載から鋸南町の竜島海岸に上陸したと認定され、海岸には「源頼朝上陸地の碑」が置かれています。
 また、頼朝が上陸したのは館山市洲崎という説もあり、上陸した頼朝には飲み水が無く「矢尻を地面に刺したところそこから清水が湧き出た」という伝説が残っており、「矢尻の井戸」と呼ばれ記念碑も置かれています。
 千葉に上陸した頼朝は上総国の上総広常(かずさひろつね)と下総の千葉常胤(ちばつねたね)に使者を送り、挙兵の賛同を得て頼朝は再起の機会を得る事が出来ました。頼朝の再起にはこの二人の武将の力が大きかったわけです。
 頼朝が上陸したといわれている鋸南町は、町内に残る頼朝伝説をまとめた頼朝伝説マップを公開しているほか、町内にある早咲きの河津桜を別名「頼朝桜」と呼び観光の目玉としています。
 他にも南房総には頼朝伝説が残っており、房総半島の南端の野島崎には見方を増やそうとした頼朝が立ち寄った際に降られた雨を凌いだ岩屋といわれている「頼朝の隠れ岩屋」があります。更に外房の鴨川市太海浜の「仁右衛門島」は初代の仁右衛門が頼朝をかくまった事でその礼として、頼朝から与えられたという伝説が残っています。
南房総鋸南町
鋸南町竜島海岸にある源頼朝上陸の地碑
鋸南町の早咲きの川津桜「頼朝桜」

館山市州崎
もう一つの上陸地といわれている館山市洲崎の矢尻の井戸
洲崎にある頼朝上陸の地碑

野島埼灯台と仁右衛門島
野島埼灯台の下にある頼朝の隠れ岩屋
頼朝から与えられたという仁右衛門島

頼朝に「常胤を以って父」といわせた千葉常胤
 千葉に残る頼朝伝説の中には誰もが知るものもあります。それは房総半島の東側の旭市飯岡の刑部岬からいすみ市岬町の大東岬までの60km続く砂浜の九十九里浜です。頼朝の命で一里ごとに矢を立てたところ99本あった事から九十九里浜と名付けられたといわれています。
 千葉の地で再起をはかって鎌倉へと房総半島を北上していった頼朝の伝説は、市原市にも数多く残っています。養老渓谷にある「養老山立国寺」は、頼朝が再起をかけこの場所に立て籠り持っていた観音像を祀って一心不乱に戦勝祈願を成就した事から「出世観音」と呼ばれています。
 また、市原市君塚にある「武の塚大権現」が祀られていた神社は、千葉常胤が頼朝に賛同を得た事を大いに喜び、源氏が標識としていた白旗を奉納したため「白幡大明神」と呼ばれるようになりました。ほかにも頼朝が立ち寄り源氏の旗竿を切り替えたといわれている「立野の切替家」、他にも姉崎神社、飯香八幡宮などにもその伝説が残っています。
 千葉の武士、千葉常胤と上総広常は共に頼朝に力を貸し鎌倉幕府成立へと寄与しましたが、その運命は大きく分かれました。頼朝と共に打倒平氏に向け戦ってきた上総広常は、1183年(寿永2年)に謀反の企てがあると疑われ暗殺されてしまいました。また暗殺された場所が千葉県内ではなかった事もあったためか、かつての領地だった地区に供養塔が残っているだけでほかは何も無いようです。一方で千葉常胤との対面を果たした頼朝の喜びようは格別で、「常胤を以って父」と称したほどだったそうで、鎌倉に幕府を築くよう進言したのも常胤だったといわれています。更に広常の死後は常胤の権力が上総国まで及ぶなど下総の守護になるまでの勢力を誇れるようになりました。千葉氏の勢力は、続き戦国時代には戦国大名として地位を維持し続けました。
千葉常胤の居城「猪鼻城」
頼朝が名付けたという九十九里浜
千葉常胤像

養老山立国寺と君塚白幡神社
別名出世観音の養老山立国寺
頼朝が源氏の白幡を奉納したといわれている君塚白幡神社

千葉の頼朝伝説めぐり
 頼朝から「常胤を以って父」といわせた千葉常胤の居城「猪鼻城」付近にも当然頼朝にまつわる伝説が数多く残っています。
 千葉市中央区港町にある石碑「君待橋の碑」は、藤原実方が詠んだという説と、悲恋の話から来ている説、そして千葉常胤の居城「猪鼻城」に立ち寄った頼朝を出迎えた橋という説があります。また、中央区新宿にある白幡神社は頼朝から味方に付くよう使者を送られた常胤が、結城稲荷の境内に源氏の旗印の白幡を建てて奉納した事から白幡大明神になり、明治時代に入って「白幡神社」と社号を改めたとされています。
 更に千葉氏との関係が深い千葉神社の創建は1000年(長保2年)に守護神である妙見菩薩を本尊とした「北斗山金剛授寺」として千葉氏の祖先にあたる平忠常によって創建されました。千葉常胤の案内で参拝した頼朝も参拝したとされています。その後1869年(明治2年)に明治政府が発令した「神仏分離令」により妙見大祭の神輿渡御が神社の様式であったことから千葉神社と改称し現在に至っています。
 大河ドラマに取り上げられると、観光客が増える観光活性化の引き金になり、大きな経済効果を生むことが出来ます。県内には里見氏や徳川四天王といわれた本多忠勝など大河ドラマ化を熱望している地域もあり、何とか実現してほしいものです。
 「鎌倉殿の13人」は今後はドラマの舞台は鎌倉になっていくのでしょうが、千葉にも源頼朝の鎌倉幕府創設に大きく寄与した人物と、その伝説が存在しています。伝説の地巡りなどしてみては如何でしょうか。
千葉城
千葉常胤の居城を復元した猪鼻城(千葉城)
千葉常胤が源氏の白幡を奉納したといわれる白幡神社

千葉神社
君待ち橋
千葉氏ゆかりの神社

(2022/5/10)
Vol.49 【勝手に注目】苺 梶いちご園
苺 梶いちご園
直売所か苺園でしか食べられない千葉の苺
 苺はリンゴやサクランボと同じバラ目バラ科の植物で、野生の苺は石器時代から食べられていたようで、遺跡から種が出土しているそうです。18世紀にオランダで南アメリカ原産のチリ種と北アメリカ原産のバージニア種が掛け合わされ、今のような苺が誕生しました。日本に苺が伝来したのは江戸時代末期で、オランダから長崎に観賞用として伝わりました。
 その後皇室用として栽培が始まったのが明治時代の初め頃で、フランスから取り寄せた早生種を露地栽培していたため春から初夏に収穫されていました。庶民が口にする機会が増えたのは温室栽培の技術が発達した昭和30年代になってからで、旬は12月から6月までになりました。日本の苺は今では様々な品種改良が行われ、広く海外でも評価されるようになりました。
 2021年(令和3年)の苺の収穫量は栃木県が1位、福岡県が2位、熊本県が3位になっており、千葉県は9位にランクしています。栃木県が全体の14.3%なのに対し千葉県は4.0%で、県内のスーパーなどで見かけるのはほとんどが他県産です。千葉県産の苺は、県内全域にある苺狩りをしている観光農園や直売所の他、道の駅、農産物直売所などで販売されています。
 千葉県が育成した苺の品種は6品種で、なかでも2013年(平成25年)に品種登録の出願をしたチーバベリーは県イチオシの品種で、県内の苺園で栽培されています。また、他にも大網白里市の農家が品種登録した真紅の美鈴(別名:くろ苺)は、大網白里市や山武市などで栽培されている希少な品種もあります。
苺の花といちご狩り
苺の花
食べごろに育ったハウスで苺狩りが楽しめる

個人的に一押しの梶いちご園
 千葉県には27の苺組合や研究会など苺栽培の団体があり、2013年(令和3年)現在一般社団法人千葉市園芸協会に登録されている生産者は340件になります。なかでも19件の苺園で組織されている山武市成東観光苺組合の12件の観光苺園は国道126号線沿線にあり、多くの苺狩り観光客が集まる「ストロベリーロード」として知られています。
 ストロベリーロードの北側に位置している梶いちご園(旧小手苺園)は、梶さんが奥様の実家を継いで二代目として営業している苺園で、創業40年になるそうです。
 栽培した苺の一部はスイーツ店などに卸しもしているそうですが、そのほとんどは自前の直売所で販売し、土日だけは観光農園として苺狩りを受け付けているそうです。
 栽培品種は「さちのか」「やよひひめ」「紅ほっぺ」「とちおとめ」「あきひめ」「おいCベリー」「恋みのり」の他、千葉県の品種「チーバベリー」と大網白里で登録された「真紅の美鈴」と9品種を栽培しています。
 他の作物の栽培などは一切せずに「苺一筋」で、オフシーズンは土づくりから取り組んでいるという、苺園です。
豊富な品種のいちご狩り
苺狩りがある日は朝早くから続々と人がやってくる
上下二段の棚に違う品種が栽培されている

トレードマークの女の子のイラストが描かれたパッケージ
トレードマークになっている女の子のイラスト
大きな苺がゴロゴロ入っている

採れたて苺はそのままが最高
 取材の際にたまたまごちそうになった苺が梶さんの苺でした。あまりの甘さにびっくりしたのがきっかけで、チバビズドットコムの取材もお願いしました。今になって思えばその時食べた苺は「真紅の美鈴」だったのかもしれません。
 早速記事を書くために梶いちご園の直売所に向かいましたが、販売しているのは熟した朝採れのものなので、今回は残念ながら真紅の美鈴はありませんでした。どれを買おうか迷いましたが、粒の大きい「とちおとめ」を購入しました。
 スーパーなどで見かける苺は良い形、いわゆる「苺の形」をしているのがほとんどですが、でもいちばん甘いのは「先のとがった所で」形は悪くても先の尖った所が平らになっている方が実は甘い苺。梶さんの直売所でも「よく知っていますね」といわれました。
 採れたての苺はそのまま食べるのが一番なので、スイーツにせずそのまま食べてみる事と甘さ控えめの杏仁豆腐に混ぜて食べてみました。
 苺狩りで渡されるような練乳を付けて食べるのは、かえってもったいない。採れたての甘い苺はそのまま食べるのが一番です。期待通りみずみずしく果汁たっぷりで、何もつけずに食べるのがいちばんです。一方、杏仁豆腐に混ぜた方も苺の香りが強いせいか、杏仁豆腐の風味に打ち消されず、充分苺が主張しています。でも甘くて新鮮な苺は、やっぱりそのまま食べるのが一番という結論でした。
 梶さんが丹精込めて作ったこだわり苺はお勧めです。苺のシーズンは12月から5月頃までなので、是非一度味わってみてください。
そのままでもおいしいいちご
赤ちゃんのこぶし位大きい甘い苺はそのままがいちばん
一口大にカットして杏仁豆腐と一緒に食べてみた

●取材先
梶いちご園
〒289-1311 千葉県山武市早船1482
URL: http://kaji15en.parallel.jp
Facebook: https://www.facebook.com/kaji15en
山武市成東観光苺組合ページ: https://https://sanmu15.com/farm/kaji.html
(2022/4/8)
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