市原市(いちはらし)
工業、住宅地、農業、そして地磁気逆転の痕跡がある街
市原市の人口は千葉県内では柏市に次ぐ6位の規模で、その面積は368.2㎢と千葉県内ではトップ、関東で14位の広さです。市域は房総半島の中部まで南北方向に細長く延びて、養老川が市を縦断しています。南部は房総丘陵に位置しており、北部の沿岸部は温暖で南部の内陸部は寒冷な気候になっています。2004年(平成16年)7月には県内最高気温の40.2度を観測しましたが、高滝湖や養老渓谷付近は夏も涼しく、標高の割に冷涼な地域になっています。
市の南部には「チバニアン」として話題になった約77万年前に地磁気逆転の痕跡を見ることができ、「養老川流域田淵の地磁気逆転地層」の名称で国の天然記念物にも指定されています。
農業は就業人口全体の2%弱と少なく、加茂地区の伝統的な作物「加茂菜」や姉崎大根、皇室献上品になった「姉崎いちじく」、セリなどが特産物で、市内唯一の道の駅「あずの里いちはら」などでも販売されています。
工業は就業人口の30%弱を占めるほどで、市の沿岸部には国内最大規模の石油コンビナートや県内で唯一造船所があり、工業地帯の製造品出荷額は全国で第2位、県内では第1位を占めています。
市原市へのアクセスは、市の北部の海岸に沿ってJR東日本の内房線が横断しており、五井駅、姉崎駅の2駅があります。また、五井駅からは小湊鉄道が通っており、市内には五井駅、上総村上駅、海士有木駅、上総三又駅、上総山田駅、光風台駅、馬立駅、上総牛久駅、上総川間駅、上総舞鶴駅、上総久保駅、高滝駅、里見駅、飯給駅、月崎駅、上総大久保駅、養老渓谷駅の17駅があります。
道路は東関東自動車道館山線と国道16号がが市の北部を横断しており、更に297号が縦断、409号が中央部を横断しています。
律令国家では上総の中心だった
市原市を縦断する養老川流域には古墳が点在し、古くからヤマト王権とのつながりがあったことを示す出土品があります。飛鳥時代には当時13設けられた大国のひとつ「上総国」として正式に一国になり、行政機関である国府が置かれるようになりました。大国に位置していることから国を管理する国守は皇族から任命されますが実際には現地に赴任せず、上総介(かずさのすけ)という次官級の役人が現地に着任しました。
有名な「更級日記」は当時の上総介だった菅原孝標(すがわらたかすえ)の次女が書いた回想録で父が上総国での任期を終え京の都へ帰るところから書かれた回想録であることから、JR内房線の五井駅前の更科通りにはこの菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の像が置かれています。
741年(天平13年)には聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、全国に国分寺と国分尼寺の建立を命じ、上総国にも建立されました。市役所の西側にある国分寺跡は、上総国分寺として残っており、東側にあった国分尼寺跡は、「史跡上総国分尼寺跡」として展示館が作られ、復元された建物の一部を見学することができます。
その後、戦国時代には千葉氏に続いて里見氏の勢力下に置かれ、江戸時代には五井藩、鶴巻藩の旗本領になっていました。
931年(承平元年)当時の下総付近で反乱を起こした平将門が、奈良の大仏を模して現在の市の東部に建立させたのが「奈良の大仏」で、江戸時代の資料によると当初は銅製の「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」が建立されていたとされていました。その後何度か作り直しが行われたようで、現在この地に残っているのは江戸時代の1804年(文化元年)に建てられた高さ1.7mの釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)です。この像は東日本大震災で台座から落ちて破損してしまったそうですが、市と住民が費用を折半して修復をしたそうです。今は無くなってしまった大仏ですが、今でも「廬舎那仏」の名前と、この地域の「奈良」という名称だけが残っています。
明治時代になり1871年(明治4年)の廃藩置県では、現在の市原市は菊間県、鶴牧県、鶴舞県となり、1873年(明治6年)に他の県と合併して千葉県が誕生しました。
太平洋戦争後には東京湾の埋立てが進み、市原市の沿岸は千葉港の一角に組み込まれ、特に石油産業などの化学工業を主とする企業が進出しました。
ジオラマで再現された上総国分尼寺と一部再現された尼寺
さまざまな面を通して
千葉県内で最大の面積を持つ市原市は沿岸部に面しているエリアが狭く、内陸部に大きく食い込み、それぞれ工業地帯、住宅地、農地、山間部とさまざまな顔を持っています。沿岸部はほぼ工場で覆われているものの、唯一市民に開放されているのが市営の桟橋スタイルの釣場「オリジナルメーカー海釣り公園」で、釣り好きはもとより家族連れも楽しめる施設として多くの人を集めています。また、住宅地は海岸寄りのエリアに広がっていますが、内陸部の千葉市とエリアを共有する「ちはら台」は新しい住宅地として開発・整備され、新しい街並みが続々広がりつつあります。
「ちはら台」のように新しい街並みができつつある一方で、人口減少、過疎化の悩みを抱えています。その対策として市原市は提案型スタイルで「地域おこし協力隊」を募集し、採用されたそれぞれのアイデアで活性化に貢献しています。いちはら湖畔美術館の広場では、毎月「湖畔のマルシェ」が開催され、地域で活動する店が出店し賑わいを見せています。また地域おこし協力隊」の任期3年を過ぎても、それまで培ったネットワークを活用して活動を続けていることで徐々にその輪が広がり、活性化の一助となっているようです。
一方、企業活動でも市原市を盛り上げる活動が起きています。市内を走る小湊鉄道は市民の足として機能するだけでなく街おこしの活動の他、里山を走る路線を生かしてトロッコ列車を運行することで観光客誘致に貢献しています。また、1946年(昭和21年)に創部した古河電機工業サッカー部は、東日本旅客鉄道と共同出資でジェフユナイテッド株式会社を設立し、1993年(平成5年)に創設された日本サッカーリーグ(通称Jリーグ)に市原市をホームタウンとして「ジェフユナイテッド市原」とし参戦、その後2005年(平成17年)からは「ジェフユナイテッド市原・千葉」になったものの、サッカーを通して市原市に貢献しています。
更に市原市は、まち・ひと・しごと創生総合戦略のリーディングプロジェクトとして2014 年(平成26年)から3年毎に「房総里山芸術祭いちはらアート×ミックス」を開催。地域の資源を現代アートと融合させるという取り組みをしている他、2021年(令和3年)には内閣府地方創生推進室のSDGsの達成に取り組んでいる都市を選定する「SDGs未来都市」に千葉県の自治体で初めて認定され、更に特に先導的な取組である「自治体SDGsモデル事業」にも選定されるなど先進的な取り組みを行い、住みたくなる街づくりを進めています。
ジェフユナイテッド市原・千葉のホーム
「フクダ電子アリーナ」
(2023/6/9)