鎌ケ谷市(かまがやし)
ゆれにくい街鎌ケ谷
鎌ケ谷市は千葉県北西部に位置し、下総台地と谷津田で構成されている大地です。標高が約13m~28mと隣接する市に比べて比較的高いため水没しにくいといわれています。また、千葉県が作成した「同じ強さの地震の場合に相対的に揺れやすいか」を図化した「ゆれやすさマップ」によると、鎌ケ谷市の周辺にはマグニチュード7以上の地震が心配される活断層は無く、プレート境界型地震でも震度6以上の地震になる可能性が低いということから「都心に近い千葉県北西部」のなかでも「ゆれにくい」ことがわかりました。そのことから鎌ケ谷市は「ゆれにくい街鎌ケ谷」をアピールし、企業誘致や新鎌ケ谷地区の住宅開発を推進しています。
産業は農業が盛んで、県内でも有数の梨の産地として知られていますが、他にもブドウやサツマイモなどの観光農園もあります。1983年(昭和58年)に鎌ケ谷市は特産の梨を生かして梨ワインと日本初の梨ブランデーを開発しました。その後、鎌ケ谷梨ワイン・ブランデー株式会社が設立され、市から事業を引き継いでいます。
鎌ケ谷市への鉄道アクセスは、市の中心部に位置する新鎌ケ谷地域を中心に東西南北に放射状に鉄道路線が引かれています。京成成田空港線が市を横断し、北初富、新鎌ケ谷の2駅が、縦断する東武野田線(愛称:東武アンバーパークライン)には鎌ケ谷駅、新鎌ケ谷駅の2駅、市の南東部から北西部にかけて縦断している新京成線には、くぬぎ山、北初富、新鎌ケ谷、初富、鎌ケ谷大仏の5駅があります。高速道路は通っておらず、国道は464号線が縦断しています。
江戸の終焉と開墾が今の鎌ケ谷の礎を作った
鎌ケ谷市には縄文時代の貝塚がいくつか発見されており、そのうち貝殻山公園の西側には県内でも規模・内容共に有数の中沢貝塚があり、この地域に古くから人が住んでいたことが伺えます。
鎌倉時代、現在の茨城県から千葉県にまたがり鎌ケ谷市の一部も含んでいた相馬郡は、千葉常胤の次男の相馬師常(そうま もろつね)が父から相続したことがはじまりで相馬氏が所領としていました。
江戸時代には本多氏が鎌ケ谷市の一部を所領としており、また幕府が作った「小金中野牧」があった場所で、野生馬の供給地になっていました。村人は牧で放し飼いされている野馬(馬)が畑の作物を食い荒らさないように村と牧の境に「野馬除け(のまよけ)」の土手を作って防いでいました。また、牧で飼われていた野馬を捕らえて選別するための施設「捕込(とりこめ)」の跡も残っています。
1776年(安永5年)には当時の鎌ケ谷宿に住んでいた大国屋福田文衛門が先祖の霊の冥福を祈るため大仏を作らせました。高さ1.8mもある釈迦如来像は、「鎌ケ谷大仏」と呼ばれ、最寄りの駅名も「鎌ケ谷大仏駅」になっています。この鎌ケ谷大仏は地域住人からの崇敬が高く、明治時代の廃仏毀釈や太平洋戦争中の金属供出も逃れ、1972年(昭和47年)には市の文化財に指定されています。
明治時代になると牧は廃止されましたが、東京には失業者や生活に困っている武士たちが溢れていました。そこで人々を救済するため1869年(明治2年)に牧の廃止後の初富地区の開墾が始まりました。後の三井財閥になった三井八郎右衛門が、政府から20万両の開墾の出資を受け、豪商135人を選び開墾会社を作り、1869年(明治2年)に初富への入植が始まりました。「初富」という名前は最初に入植が行われた土地ということで名付けられたもので、その後入植順に二和、三咲、豊四季などと名づけられていきました。
大正時代に入ると1923年(大正12年)に現在の東武野田線となった北総鉄道船橋線が開通し、1949年(昭和24年)には滝不動駅~鎌ケ谷大仏駅間で新京成線が開通。1979年(昭和54年)には北初富駅~小室駅間の北総線が暫定開業するなど、次第にアクセス環境が改善されていきました。
1918年(大正7年)に建てられた開墾50周年記念碑
プロ野球が知名度向上に貢献し、さらに鎌ケ谷産商品を発進する
日本ハムファイターズの2軍球場がある鎌ケ谷市は、プロ野球との関係も深い場所で、今はメジャーリーグで活躍しているような話題の選手が入団すると多くのファンが駆けつけ、スポーツニュースなどでも紹介されることで「鎌ケ谷市」の知名度アップに大きく役立っています。
日本ハムファイターズの前身「東映フライヤーズ」時代は川崎市の多摩川河川敷に練習場と2軍の公式戦が行われるグラウンドがありました。その後、日拓ホーム、日本ハムファイターズとオーナー企業が変わっても、グラウンドはそのまま使われていましたが、河川敷は水はけが悪く、また設備の老朽化もあり、相模原市へ移転しました。しかし選手の移動などにも時間がかかり育成施設も改善が必要ということになり、1994年(平成6年)に鎌ケ谷に球場と室内練習場、合宿所からなる「ファイターズタウン鎌ケ谷」が完成しました。球団は鎌ケ谷事業部を設け、ファイターズと地元市民との結びつきを更に強めようとさまざまなイベントが企画、実施されています。
2006年(平成18年)に鎌ケ谷市はファイターズの2軍球場のマスコットになっている「カビー・ザ・ベアー」を親善大使に任命し特別住民票を交付しました。「カビー・ザ・ベアー」は試合のない日やオフシーズンに、地元鎌ケ谷市を中心とした周辺地域の幼稚園、保育園へ出向き子供たちとの触れ合う活動を行うなど鎌ケ谷市とファイターズは強い結びつきを持った活動を行っています。
鎌ケ谷市は、2021年(令和3年)から2026年(令和8年)まで、市の特性を活かした「食育」を総合的かつ計画的に推進していくため「第三次鎌ケ谷市食育推進計画」を策定し、「地産地消」になぞって「鎌産鎌消費」と銘打ち地元鎌ケ谷の食材についての学び、学校給食で積極的に使うようにしています。
市内のイオンモールショッピングセンター内にオープンした企業組合「鎌ケ谷ブランド館」では、「鎌ケ谷ブランド館」を商標として使用できるようにし、「鎌ケ谷ブランド館」で取り扱う商品を「認定商品」に位置づけ、鎌ケ谷ブランド商品を取り扱う事業拠点として地域経済の活性化の推進を行っています。
(2022/8/10)