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ちばのたね
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千葉の人でも意外と知らなかった特徴と魅力。
チバビズの視点を通して、
街の新しいビジネスの種を見つけてください。

ちばのたね バックナンバー(25~36)
富里市(とみさとし)
地図
スイカの町
 富里市は千葉県の北部、下総台地の中央に位置し、成田市、芝山町、八街市、山武市、酒々井町に隣接しています。
 主な産業の農業はスイカをはじめさまざまな農作物が作られています。元々富里市のある北総台地は火山灰土壌で、水はけが悪く梅雨の長雨や夏場の高温多湿など、野菜の栽培に適した土地ではありませんでした。
 大正時代にアメリカ種のスイカが導入されたことでスイカの栽培が盛んになり、1935年(昭和10年)には現在の富里市農協西瓜部の前身になる「富里村西瓜栽培組合」が発足しました。そして栽培の統一、検査出荷の共同化が行われるようになり、1936年(昭和11年)に皇室にスイカを献上したことで富里のスイカが知られるようになりました。
 その後千葉県全域でスイカの栽培は盛んになり、今では千葉県のスイカの栽培は熊本県に次いで全国第2位で、その多くは富里のスイカが占めており、北は北海道から南は大阪京都方面まで広範囲に出荷されています。
 毎年6月に開催されるスイカや地元の野菜などを販売するスイカ祭りの他、1984年(昭和59年)から始まった「富里スイカロードレース」では、コース終盤の「給スイカ所」という名のエイドステーションとゴールに、食べ放題のスイカが置かれているという大会です。今や募集定員があっという間に埋まってしまうほどのイベントに成長し、昨今は芸能人の参加なども多く、メディアでも多く取り上げられるようになり、富里スイカの知名度向上に役立っています。
 また、成田空港に隣接していることから、空港施設やリネンなど宿泊施設に関する企業があり、大手企業や海外企業の施設も多く、富里臨空工業団地や富里第二工業団地などの工業団地も抱え、国道沿いには大手のロードサイド店が揃っているなど、商業施設も充実しています。
 市内には鉄道は通っていませんがバス路線が充実しており、中でも東京駅までの高速バスが運行しているため都心へのアクセスも便利です。また、市の北西部を東関東自動車道が通り、市内には富里インターチェンジがあります。他に国道は西部に409号線、市のほぼ中央部を296号線が通っているため、道路事情は悪くありません。
富里市役所
富里市役所
旬菜舘
JA富里の直売所「旬菜舘」

スイカのオブジェ
富里市役所前にはスイカのオブジェが
看板
JAの直売所にあるスイカ柄の大きな看板

牧(まき)の町から臨空の町へ
 富里市には平安時代から馬を放牧する「牧」があり、1583年(天正11年)には相模国の北条家の3代目当主だった北条氏康が千葉邦胤に命じて「牧」を作らせたという話もあります。
 江戸時代になると、幕府は千葉県内に「佐倉七牧」という七つの幕府直轄の「牧」を作りました。そのうち「高野牧(こうやまき)」と「内野牧(うちのまき)」は現在の富里市内にありました。
 大政奉還が行われ、明治政府は職を失った下級武士や庶民の困窮対策として牧の開墾が実施されました。その後1875年(明治8年)に十倉地区に毛織物の原材料となる羊毛の国内自給を図るため下総牧羊場が開設され、1888年(明治21年)に宮内省管轄の「下総御料牧場」と改称されました。
 1889年(明治22年)には町村制の施行で13の村が合併して「十三の里」から「とみさと」=「富里」となりました。
 太平洋戦争後には富里内にあった官有地が民間へ払い下げられ、多くの人が入植し人口が増えていきました。
 1962年(昭和37年)に第二国際空港建設が閣議決定され、富里・八街地域設置案が浮上しましたが、反対運動が活発化していきました。1966年(昭和41年)に「三里塚案」に決定し、富里は移転農家代替地の候補になりました。
 1985年(昭和60年)に町制施行で富里町となり、2000年(平成12年)の国勢調査で市制施行可能最小人口の5万人に達したことで、2002年(平成14年)に市制施行し、富里町から富里市になりました。
 2012年(平成24年)、三菱地所より富里市に旧岩崎家末廣別邸が寄付され、敷地は市指定史跡になり、2013年(平成25年)に主屋、東屋、石蔵が富里市はじめての国の登録有形文化財になりました。
馬のブロンズ像
富里は牧だったことから市役所前に馬のブロンズ像がある
富里牧羊跡の石碑
富里牧羊跡の石碑

旧岩崎家末廣別邸
国登録有形文化財になった旧岩崎家末廣別邸
末廣農場跡
別邸と同じ敷地に広大に広がる末廣農場跡

ジャズとスイカ
 スイカのまちで毎年行われる「富里スイカロードレース」は、残念ながらコロナ禍で2020年(令和2年)の第37回、2021年(令和3年)の第38回と2年連続で中止になったものの、これからも富里の名を広める大きなイベントとして続いていくでしょう。
 更に2007年(平成19年)には富里市農業協同組合が「富里スイカ」という商標を取得しブランド化した他、2015年(平成27年度)にはスイカの苗一株ごとにオーナーを募り、栽培セミナーや収穫体験などの農業イベントも開いています。
 このようなスイカの町富里でも昨今は後継者不足などで作付面積が15年前に比べ4割も減少しています。そこで、富里市は改めて市民の愛着や知名度向上を図り、富里のスイカを守る事を理念とした「すいか条例」を2021年(令和3年)4月1日に施行し、特産品のスイカの魅力を市の内外へ周知する策を講じています。
 スイカ一色のイメージが強い富里市ですが、市のキャッチフレーズが「人と緑が調和し未来を拓く臨空都市」となっているように空港に隣接した町だけに、工業団地や物流センターなどが増え、外国人の在住者も増えています。
 富里国際交流会は在住外国人のための日本語教室を開いたり、逆に市内の中学生のホームスティ体験の支援活動を行い、海外との交流を推進する活動を行っています。そして特筆すべきものとして、アメリカのモントレージャズフェスティバル実行委員会の協力を得て、県立冨里高校に千葉県唯一のジャズ・オーケストラ部「ザ・マッド・ハッターズ」の育成と交流を応援するためのイベント「ジャズフェスティバルinとみさと」を毎夏開催し、高校生のジャズを通しての外国との交流活動を行っています。
 冨里高校のジャズ・オーケストラ部は創設33年の歴史を誇り、国内のコンテストでも優秀な成績を収め、2020年(令和2年)7月にコロナ禍の中で行われたアメリカの高校ジャズバンドの大会でトップタイとなる7つ賞を受賞する快挙を収めました。
 スイカとジャズの町富里市は、音楽を通して国際的な知名度向上と世界に出ていける子供たちが育っていくかもしれません。これからの富里市が楽しみです。
第二工業団地
第二工業団地
県立冨里高校
県内唯一のジャズ・オーケストラ部がある県立冨里高校

香取神社
スイカのお守りが評判の富里市内の香取神社
高級食パン店
スイカ畑が描かれた高級食パン店「はじまりのメッセージ」

(2021/8/10)
山武市(さんむし)
地図
九十九里浜と山武杉の市
 山武市は千葉県北東部に位置し、太平洋沿岸の蓮沼や成東などの東部は海洋性気候で温暖な一方、内陸部の旧山武町の西部は内陸性気候のため寒冷という二つの気候を持ち合わせた地域です。
 主な産業は農業で、特にいちごは国道126号沿いに多くの観光いちご園が集まっていることから別名「ストロベリーロード」と呼ばれるほど多くの観光客を集めています。
 2002年(平成14年)の台風によって大量の海水を含んだ潮風による塩害で、さまざまな農作物が枯れてしまいましたが、何故か長ネギだけはおいしく育った事から調査・試験を重ね、2006年(平成18年)からは海水をかけて栽培する長ねぎを「九十九里海っ子ねぎ」としてブランド商品化をしています。他にも稲作や野菜、花き、畜産など、産業全体で農業産出額が多くを占めています。
 一方林業は、江戸時代に建材や建具として江戸に出荷され、良質だと評価されていた山武杉(さんぶすぎ)があり、この山武市を中心に、高級な杉材として生産されています。
 漁業は海岸線が九十九里浜の砂浜なので市内に漁港は存在しませんが、近隣の漁港で上がったイワシやサバなどの加工業が沿岸部に集まっているため、九十九里地域で獲れる魚介類が名産品になっています。
 山武市へのアクセスは成東駅で分岐するJR東日本の総武本線と東金線が通っており、市内に日向駅、成東駅、松尾駅の3駅があります。また、バス路線も豊富で市内や近郊へはもとより都内へ向かう路線も充実しています。 また、道路は市の西部に自動車専用道路の銚子連絡道路山武成東インターチェンジがある他、市のほぼ中部を国道126号線が通っています。
分岐
JR東日本成東駅から東金線(左)と総武本線(右)が分岐
ストロベリーロード
市国道沿いに観光いちご園が並ぶストロベリーロード

山武杉
良質な木材と評価されている山武杉が至る所にある
山武市役所
山武市役所

「さんむ」と「さんぶ」のわかりにくい市名
 現在の山武市周辺は鎌倉時代には千葉氏が支配していた地域で、1227年(安貞元年)に桓武天皇の流れをくむ印東氏の領地となり、成東城が築城されました。その後成東城は豊臣秀吉の小田原征伐で滅亡した北条氏と共に陥落し、江戸時代になって徳川幕府の大名が入場しましたが、1620年(元和6年)に廃城になりました。
 以後は幕府領を経て藩領、旗本知行地を経て明治維新を迎え、1889年(明治22年)に成東をはじめ11の村が成立し、1898年(明治31年)に松尾村が町制施行で松尾町になりました。
 太平洋戦争後の1958年(昭和33年)と翌年の2年間に渡って合併が行われ新たな成東町が成立、同年に山武町が成立と合併を繰り返していました。
 2006年(平成18年)に山武郡成東町、山武町、蓮沼村、松尾町が合併して山武市が誕生しました。当初は新市名を太平洋市と決定したようですが「自治体が『太平洋』を名乗るべきではない」という抗議が相次ぎ、住民アンケートをとって山武市(さんむし)に決定しました。
合併以前はいつの間にか「さんぶ」と濁音がある呼び方になっていましたが、元々飛鳥時代から明治初期まで、日本の行政区分の基本単位だった令制国(りょうせいこく=律令国)では上総国武社国造(かずさのくにむさのくにのみやつこ)でした。また、明治時代までこの地域が武射郡(むさぐん)と呼ばれていた事から「むさ」を受け継いだ「さんむ」という濁音の無い読み方が歴史的な読み方なので、「さんむ」の方が新しい市に相応していたためといわれています。
成東山長勝寺
行基が海南除けを祈願して開基した浪切不動院
(成東山長勝寺)
山武市民俗資料館
山武市民俗資料館

伊藤佐千夫の生家
資料館の隣接地にあるは歌人・小説家伊藤佐千夫の生家
生家の中
見学することができる生家の中

魅力度ランキング最下位でも魅力ある市
 ブランド総合研究所の「2020年魅力度ランキング」の中の、1,000の市区町村を対象にしたランキングで山武市は全国最下位タイの997位になってしまいました。東京駅までノンストップでも行け、バス路線なども充実し、悪くないアクセス環境でありながら、この結果に関係者はショックを受けています。
 山武市の本須賀海岸は水質や安全性など33の基準に合格して取得できる、国際環境認証の「ブルーフラッグ」を取得している県内唯一の海岸で、週末は多くのサーファーが集まり、ロケ地としても人気があります。また、地球温暖化・気候変動問題の対策を行い2050年までに掲げられている市内の二酸化炭素(CO₂)排出量実質ゼロを目指す「ゼロカーボンシティ」の実現に取り組んでいるなどさまざまな取り組みを行っていますが、どれも魅力にはつながっていないようです。
 その原因は市の名前が以前の「さんぶ」ではなく「さんむ」と変わったことや、本須賀海岸や蓮沼ウォーターガーデンなどのレジャースポットや、関東有数のいちご狩り農園が集まっている「ストロベリーロード」など人気スポットが山武市にあるということが知られていないのではという声もあるようです。
 知名度やイメージの問題はさておいても、山武市の2015年の総人口にしめる65歳以上の割合(高齢化率)は30.9%で、すでに3割を超えています。全国平均(26.6%)よりも4.3ポイント高く、2045年までには高齢化率は51.3%に達し、おおよそ10人に5人が高齢者になると見込まれています。そんな大きな問題を抱え、地元の商工業も大きな危機を迎えています。
 そこで山武市は減少傾向にある中小の商工業の成長で地域経済活性化を目指す「エコノミックガーデン」に取り組むことになり、2014年(平成26年)に山武市エコノミックガーデニング準備委員会が組織されました。市内の行政や商工会議所、銀行などが連携しながら地元の中小企業が活動しやすく成長できるように、地域資源活用、オープンイノベーション活用などさまざまな活動を通して地域経済の活性化に取り組む活動が進められています。エコノミックガーデンで地域経済活性化を目指す山武市に注目です。
グリーンタワー
いちごの里さんむS1グランプリも開かれる
山武の森念公園のシンボル「グリーンタワー」
オライ蓮沼
人でにぎわう道の駅オライ蓮沼

蓮沼海浜公園
広大に広がりさまざまな施設がある蓮沼海浜公園
展望塔
蓮沼海浜公園のシンボルタワー展望塔

(2021/7/9)
大網白里市(おおあみしらさとし)
地図
里山と海がある横に長い市
 大網白里市は千葉市に隣接している千葉県の中央部に位置する市で、西側は丘陵地区、中央は田園が広がる地区、東側は内陸から外房へとつながる海岸部になっている横長な形をしています。
 元々は第一次産業中心の地域でしたが、高度経済成長期になり千葉市や東京のベッドタウンとして注目されるようになりました。1975年(昭和50年)代に千葉市に隣接する丘陵地区から宅地開発が進み始め、それにより人口が急増したため隣接する市町村との合併をすることなく単独市制を施行し、2013年(平成25年)大網白里市になりました。
 市の中央部は古くから稲作が中心で、ネギ・大根・トマト・キュウリ・玉ネギ・しし唐辛子などのほか、落花生などさまざまな野菜も栽培されています。いちごの栽培も盛んで、市場にはまだあまり出回っていない品種の「真紅の美鈴」は市内の育苗家が開発した品種です。また、ブランド乳牛「八千代ビーフ」のほか肉牛の「かずさ和牛」の生産などの酪農も行われています。
 市内東側の海岸線は砂浜のため漁港はありませんが、水産加工場が多くイワシをはじめ干物や蛤などが名産品になっています。
 市の西部をJR東日本の外房線が通っており、大網駅から成東駅までの東金線が分岐し、房総半島の東側のJR東日本路線の分岐点になっています。
 高速道路は通っていませんが、自動車専用道路が市の東部を海岸線に沿って九十九里有料道路が、西部を圏央道が縦断しています。また、国道は468号線と128号線が市の西部を縦断しています。
九十九里有料道路
九十九里有料道路
白里海岸
市の東端に位置する白里海岸

JR東日本大網駅
JR東日本大網駅
大網駅の分岐
大網駅のJR東日本外房線(左側)、東金線(右側)分岐

檀林そして県庁があった街
 大網白里市は古くから人が住む地域で、貝塚や遺跡などが発見されています。
 室町時代の1488年(長享2年)に土気城に入った上総酒井氏は東金城にも勢力を広げ、現在の大網白里市の地区を治めていました。北条氏の房総半島への勢力拡大に伴い里見氏との戦いが始まり、酒井氏は板挟みになりましたが、里見氏側に付き北条氏と対峙しました。1576年(天正4年)に北条氏に降伏し北条氏に従って里見氏に対する備えを担っていましたが、豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏が敗北すると上総酒井氏所領を失ってしまいした。
 江戸時代になると将軍家は下総、上総一帯で鷹狩りを行うようになり、鷹狩の場となる大網白里市と将軍家とは大きくかかわりを持つようになりました。
 当時、地方の教育は寺子屋で、現在の大学に当たる高等教育は「檀林(だんりん)」でと、いずれも寺院が行っており、大網白里市にも檀林が作られるようになりました。
 大網白里市がある地域では、上総酒井氏の祖といわれる土気城主酒井定隆が領内に法華宗(日蓮宗)への改宗令(上総七里法華:かずさしちりんほっけ)で、法華宗が浸透していた土壌があったため、市内には小西檀林(現妙高山 正法寺)、宮谷檀林(現法流山 本国寺)、細草檀林(現法雲山 遠霑寺:おんでんじ)の三つの日蓮宗の檀林が作られました。
 江戸時代の大網地域は、幕府直轄領や旗本領、米津藩など複数の領主が治める領地でした。明治維新を迎え、1869年(明治2年)の版籍奉還で藩は解体され、安房・上総・下総の天領と旗本領はその地理的位置関係は問わず、まとめて宮谷(みやざく)県になり、県庁が大網白里市の法流山本国寺に置かれました。その後1871年(明治4年)には廃藩置県が行われ、木更津県になりました。
 1896年(明治29年)に房総鉄道が房総半島の太平洋側を巡る鉄道として現在の外房線の前身、房総東線の蘇我駅―大網駅間を開業し、その後、すでに市川から成東駅まで路線が引かれていた総武鉄道と接続しました。
 昭和になり太平洋戦争に突入すると、本土空襲が本格化したため、大網白里周辺には軍事施設ができ始めました。東京防空のために茂原に海軍、東金に陸軍が飛行場を建設し、大網白里市には飛行機のエンジンを作っていた日立航空機が工場を移し、現在もその戦跡が残っています。
 1972年(昭和47年)に大網駅が今の場所に移転し、複線化・電化により特急が通るようになったため、通勤圏となったことで人口が急速に増加していきました。
小西檀林跡
中村檀林、飯高檀林と並び
関東三大檀林と呼ばれた小西檀林跡
うんてんじ
細草檀林だった法雲山遠霑寺(うんてんじ)

法流山本国寺
法流山本国寺(宮谷檀林跡)
県庁跡
本国寺宮谷県庁跡だった

街のすみここちランキングで10位を獲得
 大網白里市は南関東ガス田の九十九里地区に位置し、採掘された天然ガスはパイプラインで市内の各家庭に届けられています。その埋蔵量はこのままの使用なら600年分の採取が可能だといわれるほど豊富な資源を持っています。この天然ガスは大手の電気・ガス事業者と異なり海外から輸入していないため、為替相場の影響を受けることなく安定した低価格で供給されるインフラに恵まれた街でもあります。
 千葉市・東金市そして大網白里市にまたがった季美の森は、1994年(平成6年)に欧米の高級郊外住宅をモデルとして、ゴルフ場を中心にした街づくりを行い、ゴルフをしない大人にとっても、ゴルフ場が「庭」のような身近な存在として感じられるように開発・分譲された住宅地です。
 しかし昨今は住民の高齢化が進んできたためデベロッパー、自動車メーカー、大学などが共同し、バイクと軽自動車の良いとこ取りをした超小型電気自動車の実証実験や予防医学の講座を開くなど、住民と一体になった街づくりを始めているそうです。
 一方、 2020年(令和2年)4月から8月に実施された住宅情報サイト「ライフルホームズ」が調査した「LIFULL HOME’Sのコロナ禍での借りて住みたい街ランキング(首都圏版)」の「問合わせ増加率」で大網駅が3位を獲得しました。また、大東建託株式会社賃貸未来研究所が調査した「街の住みここちランキング2020」の千葉県版「街の住みここち(自治体)ランキング 」の「静かさ治安」の因子でも10位を獲得するなど、その注目度は上がってきています。都心へのアクセスの良さと、郊外暮らしの良さの両方を持った大網白里市は注目です。
大網白里市役所
ガス事業を行っている大網白里市役所
季美の森の住宅街
個性的な家が並ぶ整備された季美の森の住宅街

(2021/6/10)
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