神社を核に
町の賑わい復活に挑戦する
多くの参拝者が訪れる
「下総之國上祇三社」
検見川神社は869年(貞観11年)に疫病が全国に流行したため、それを鎮めるために建てられた66本の「鉾」のうちの一つがこの場所で、京都の「八坂神社」から「勧請(かんじょう~神の霊を招いて安置する事)」して「素戔嗚尊(サノウノミコト)」を主祀神とする神社が創建されました。当時この辺りは漁村で、海に出るには「方位」が大切なので、航海の安全を願って「方位を司る神様」を祀りましたが、今は「八方除けの神様」をお祀りしています。その後「宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)=お稲荷さん」と「伊弉冉尊(イザナミノミコト)=熊野神社」もお祀りするようになり、昭和末期に「検見川神社」と改称、1970年(昭和45年)には、三柱の神様のお社をひとつにした「拝殿」を建て、今の「下総之國神祇三社 検見川神社」になりました。
参拝客が最も多くいらっしゃる初詣では、JRの「新検見川駅」と京成電鉄の「検見川駅」の乗降客の推移から換算した結果、通常より6万人増えているそうです。
元々検見川は「華見川(けみがわ)」と書き、傍らを流れる「川」を誰かが別読みで「華見川(はなみがわ)」と呼んでいた事が転じて「花見川」になったと伝承されており、私は「花見川」は「検見川神社の神様の川」だと思います。
現在は埋め立てが進んで海は遠くなってしまいましたが、その昔に海が神社のもっと近くにあった頃は、底引き網を引いて漁をする「打瀬船(うたせぶね)」を東京湾で一番多く保有していたのが「検見川」だったといわれています。また、この地域は何度も火災に遭っているので、文献は残っていませんが、遺跡になっている神社の裏手には、北陸の方から持ってきたと思われる「黒曜石」が出土したり、「勾玉(まがたま)」の元になる「翡翠」が出てきたりしているので、他の地域との交流があった事が伺われます。また「馬具」が出土したのも、船で来て馬に乗り換えた名残りではないかといわれています。
この神社は江戸時代までは「池沢家」が代々宮司をされていたそうですが、明治時代になって「宮間家」が引き継ぎました。私は宮司の一人娘と結婚した「婿」で、この神社に来て12年目になります。
三柱の神様が祀られている拝殿
かつては底引き網で用をしていた時に使われた打瀬船
京成の踏切を渡って直ぐに見えるのが検見川神社
もう一つの入り口となる東参道
「雅楽」が
神職についたきっかけ
私は東京都小平市の出身で、父は小児科医で東京の総合病院でICUのような所に勤務していました。父は宿直があったりして、家に帰ると毎日ぐったりして帰ってきたと記憶していますが、今思うとお子さんが亡くなってしまうのを目の当たりにして相当辛い思いをしたようです。開業医ではないので、父母は兄にも私にも「医者になれ」とはいいませんでしたが祖母だけは「誰もお医者さんにならいのか」といっていました。
小学校の頃には、家の近くにある「武蔵野美術大学」の「造形美術サークル」によく通っていました。そのサークルは、多分「教職」を取っている学生さんが子供達と「アートに触れる」というのが本来の目的だったと思いますが、ドッチボールや、キャンプをしたりもしていました。両親は勉強は「やれるならやった方がいいけど」という程度で、それよりも「自立して生きていけるように」という事を比較的に重要視していました。
中学1年生の夏休みには、東京都の「御嶽神社」で邦楽楽器の体験学習のような催し物があり、一人でそれに参加しました。私は三味線をやりたいと思っていましたが、三味線のクラスには落ちてしまって、「篠笛(しのぶえ)」のコースに入って「篠笛」を習いました。体験学習の最後には、神前で雅楽の奉納を行うのを見て「そういう世界があるんだな」と漠然と思っていました。そんな話を三者面談の時に話したら、先生から「それだったら神社に就職するのもひとつだよね」といわれたのが神職を意識したきっかけでした。
家族一同が音楽好きで、私も中学と高校ではバンドをやっていました。ロックやフリージャズでは「雅楽」の楽器を使うこともありますが、私がやっていたバンドではそういう一般に受けないような音楽をやっていました。
高校は一般の高校に入学しましたが、私と同じ世代は「バブル期」に生まれ、バブルが終わった世界しか見ていないので、今までと同じことをしていても、どこかで「絶対ヤバイ」という考えがあるんです。私たちの世代が、普通に大学を出てサラリーマンになるという「固い生き方」が成立しなくなったと思った最初の世代だったと思います。また、もう一回自分の足元を見つめ直す「自分探し」という話題が出始めた世代でもあるので、サラリーマンになる気はありませんでした。私も「普通の仕事についても面白くない」と思っていて、神職は皆「雅楽」をやるものだと思っていたので、興味のある「雅楽」で使う「竜笛(りゅうてき)」が出来て神職の資格が取れる「國學院大學」に進学する事にしました。
いざ大学に入学してみると「雅楽」の授業もありましたが、音楽は好き嫌いもあるので選択科目のような扱いで、週1回ではやってもうまく出来るようにはなりません。そこで私は4年間「雅楽のサークル」に入って「竜笛」を吹いていました。大学を卒業してそのまま神職になり、九十九里の「玉前神社」に奉職していました。「竜笛」の方は卒業してからもしばらくは師匠について教わっていました。
検見川神社の宮司とは、奉職していた九十九里の「玉前神社」で知り合い、懇意になって「うちでやらないか」と声をかけていただいた事がきっかけで現在に至ります。

権禰宜の宮間さんも参加する雅楽の奉納が行われる
巫女さんが稽古を積んだ舞も披露される